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記事一覧
台本『脱輪氏の「推し活」論 「資本主義リアリズム」から「生活のアナキズム」へ』
要点まとめ
・推し=購買行動は好きに評価を下す(批評)責任を免責する
・自由/多様性概念の運用上の失敗→不干渉の原則から不感症の怠惰へ
・暴力と加害性を引き受けることなくして他者と関わることはできない
・”ひろえもん”的コスパニヒリズムは未来の自己否定へと行き着く
・「環境管理型」権力(東浩紀)の危険性
・「天使化」やコスパニヒリズムに潜む「代理満足」(フロイト)の心理
・オタクならぬ「推し活者」
無条件加速主義(工事中)
以前、とある方から、無条件加速主義(U/ACC)なる思想があると教えてもらった。左翼や右翼の主張どちらにも属さず、特定の政治思想というよりも、一種の理念に近いのだという。なお、この単語はこれから読んでいく予定の、批評誌「ぬかるみ派」においても言及されている。
この記事曰く、無条件的な加速主義の源流は「政治的な主張への反感と不満」にある。一方、その不満は政治活動の源動力にもなる。
特定の行
にゅんさんの「「通貨」とは?- 理論と言語体系」を読んで
かねてより、不勉強な僕はMMTに対しある違和感を感じ続けていたのだけれど、にゅんさんの新しい記事を読み、これが氷解した。
「MMTは現代の経済を形而上学的に語っていやしないか?」
この疑問に対するにゅんさんの回答を一言にまとめると、MMTは括弧付きの真実を述べるパースペクティブの一つだということだ。にゅんさん曰く、これに最も自覚的なのがビル・ミッチェルなのだという。
紙幣や高貨という形
ポストモダン人類学と「1968年」【完成】
これまで人類学の仕事は、例えばマルセル・モースが顕著であるように、既存の資本主義のあり方を相対化する役割を果たすものだった。「万物の黎明」が翻訳され、注目されているデヴィッド・グレーバーはアナキストの活動家だった。
さらにその文脈を掘り下げていこう。この前YouTubeの動画で紹介した、ヴィヴェイロス・デ・カストロなどのポストモダン人類学の流れはアナキズム的な性格が強く、1968年の革命の延
「生権力」のあり方について
Twitterに重箱の隅をつつく小煩いコメントがついたので、削除してこちらに転載します。脱輪さん通知になってしまったらごめんなさい。
この脱輪さんの意見に概ね同意する。
ハラスメントが問題であることは間違いない。難しいのはその問い方だ。いわゆる「生権力」≒「環境管理型」の権力性を恐れ神経症的に拒むが故に、より醜悪な形で自分たちが「生権力」になるという逆説。
権力は突き詰めれば、他者との関
もしも僕が「あのお方」だったら
※全文無料でお読み頂けます
最初、「もしも僕が南洲翁だったら」という題にする予定だった。傲岸不遜にも程がある。世が世なら右翼の方に軽く嗜められることもあるのかもしれない。ただ僕は、「お茶代」の「もしもわたしが◯◯だったら」という課題を目にした時、思わず翁のことを想起せずにはいられなかった。
なぜあの時あの状況で、立ち上がらなくてはならなかったのか。西南戦争へ至る翁の思考を完璧に説明できる人
J-Popまもるくんの萌芽——「守るべきもの・守られるべきもの」序説
※全文無料でお読みいただけます
「俺がお前を守るから」。これまでのJ-Popにおいて、少しずつ形を変えながら繰り返し歌われてきた、男女の親密性についての価値観が伺われる表現だ。その親密性の正体について考えるならばおのずと、「何から守るのか」という問いが生まれてくるに違いない。本論考は「敵」が残した歌詞という足跡からその容貌・正体へ近づいていく、探偵の試みである。
分析の方法論 人々の集合的な