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批評・評論

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僕が書いた批評・評論・雑文のまとめです。
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記事一覧

リアリティ、この劇的なるもの

リアリティ、この劇的なるもの

※全文無料でお読みいただけます

 脱輪氏の『わたしたちはなぜフィクションと仲良くなれるのか』という文章を読んだ。我々が普段から触れている芸術作品、その中でも映画に感じられるリアリティの正体をめぐる考察である。

 氏は人間の認識能力を通して捉えられる「現実の表象」と、作品として意識的に生み出される「虚構の表象」を区別する。人々は前者を自明視し、当然の前提として日々経験し生きているけれど、その認識

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台本『脱輪氏の「推し活」論 「資本主義リアリズム」から「生活のアナキズム」へ』

台本『脱輪氏の「推し活」論 「資本主義リアリズム」から「生活のアナキズム」へ』

要点まとめ
・推し=購買行動は好きに評価を下す(批評)責任を免責する
・自由/多様性概念の運用上の失敗→不干渉の原則から不感症の怠惰へ
・暴力と加害性を引き受けることなくして他者と関わることはできない
・”ひろえもん”的コスパニヒリズムは未来の自己否定へと行き着く
・「環境管理型」権力(東浩紀)の危険性
・「天使化」やコスパニヒリズムに潜む「代理満足」(フロイト)の心理
・オタクならぬ「推し活者」

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今村仁司のベンヤミン解釈に対する大貫隆の言及について調べたい

今村仁司のベンヤミン解釈に対する大貫隆の言及について調べたい

 Twitterで壱村健太さんが興味深い言及をされていたので、ここにメモしておく。

 壱村さん曰く、今村仁司はベンヤミン「歴史哲学テーゼ」を非神学化して解釈したのだという。その読解について、アガンベン「残りの時」邦訳に収録されている訳者の上村忠夫との対談において、大貫隆が言及しているというのだ。

 雑誌「最前線」に寄稿した「物語の力」はレーニン論として十分とは言えない。それでもあの時の自分に書

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無条件加速主義(工事中)

 以前、とある方から、無条件加速主義(U/ACC)なる思想があると教えてもらった。左翼や右翼の主張どちらにも属さず、特定の政治思想というよりも、一種の理念に近いのだという。なお、この単語はこれから読んでいく予定の、批評誌「ぬかるみ派」においても言及されている。

 この記事曰く、無条件的な加速主義の源流は「政治的な主張への反感と不満」にある。一方、その不満は政治活動の源動力にもなる。

 特定の行

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にゅんさんの「「通貨」とは?- 理論と言語体系」を読んで

にゅんさんの「「通貨」とは?- 理論と言語体系」を読んで

 かねてより、不勉強な僕はMMTに対しある違和感を感じ続けていたのだけれど、にゅんさんの新しい記事を読み、これが氷解した。

 「MMTは現代の経済を形而上学的に語っていやしないか?」
 この疑問に対するにゅんさんの回答を一言にまとめると、MMTは括弧付きの真実を述べるパースペクティブの一つだということだ。にゅんさん曰く、これに最も自覚的なのがビル・ミッチェルなのだという。

 紙幣や高貨という形

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ポストモダン人類学と「1968年」【完成】

ポストモダン人類学と「1968年」【完成】

 これまで人類学の仕事は、例えばマルセル・モースが顕著であるように、既存の資本主義のあり方を相対化する役割を果たすものだった。「万物の黎明」が翻訳され、注目されているデヴィッド・グレーバーはアナキストの活動家だった。

 さらにその文脈を掘り下げていこう。この前YouTubeの動画で紹介した、ヴィヴェイロス・デ・カストロなどのポストモダン人類学の流れはアナキズム的な性格が強く、1968年の革命の延

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仲正昌樹「ヘーゲルを越えるヘーゲル」序を読んで

仲正昌樹「ヘーゲルを越えるヘーゲル」序を読んで

 今年はマルクスについて一本評論を書こうと考えており、ヘーゲルについても一冊何か読んでおきたいところ。というわけで仲正昌樹「ヘーゲルを越えるヘーゲル」の冒頭を少し読んでみた(記事の画像は書影より引用)。

 どうやら現代思想におけるヘーゲルの受容を解説する本のよう。非常に面白そうな内容だけれども、今自分が読むべき本かどうかについては疑問が残る。いずれにせよ、何度も読み返す本になるのは間違いなさそう

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「生権力」のあり方について

「生権力」のあり方について

Twitterに重箱の隅をつつく小煩いコメントがついたので、削除してこちらに転載します。脱輪さん通知になってしまったらごめんなさい。

 この脱輪さんの意見に概ね同意する。
 ハラスメントが問題であることは間違いない。難しいのはその問い方だ。いわゆる「生権力」≒「環境管理型」の権力性を恐れ神経症的に拒むが故に、より醜悪な形で自分たちが「生権力」になるという逆説。
 権力は突き詰めれば、他者との関

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もしも僕が「あのお方」だったら

もしも僕が「あのお方」だったら

※全文無料でお読み頂けます

 最初、「もしも僕が南洲翁だったら」という題にする予定だった。傲岸不遜にも程がある。世が世なら右翼の方に軽く嗜められることもあるのかもしれない。ただ僕は、「お茶代」の「もしもわたしが◯◯だったら」という課題を目にした時、思わず翁のことを想起せずにはいられなかった。

 なぜあの時あの状況で、立ち上がらなくてはならなかったのか。西南戦争へ至る翁の思考を完璧に説明できる人

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ホイジンガの「遊び」と神道における祭り

ホイジンガの「遊び」と神道における祭り

 ホイジンガのいう「遊び」はエリアーデが論じるような「永遠回帰」ではない。本来性は志向されておらず、「そこから一歩踏み出し」た、「仮構の世界」と戯れるのである。ホイジンガは祭礼もまた、「遊び」の一種として論じているが、僕はここに、神道における祭りの精神と似通ったものを発見するのである。

 もちろん上田賢治が述べるように、ホイジンガの概念を無批判に取り入れることはあってはならず、警戒を要する。ホイ

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J-Popまもるくんの萌芽——「守るべきもの・守られるべきもの」序説

J-Popまもるくんの萌芽——「守るべきもの・守られるべきもの」序説

※全文無料でお読みいただけます

 「俺がお前を守るから」。これまでのJ-Popにおいて、少しずつ形を変えながら繰り返し歌われてきた、男女の親密性についての価値観が伺われる表現だ。その親密性の正体について考えるならばおのずと、「何から守るのか」という問いが生まれてくるに違いない。本論考は「敵」が残した歌詞という足跡からその容貌・正体へ近づいていく、探偵の試みである。

分析の方法論 人々の集合的な

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インテリと精神分析——ロマン派芸術批評と自由連想法

インテリと精神分析——ロマン派芸術批評と自由連想法


フランス革命とロマン派 中山元「フロイト入門」で指摘されているが、精神分析は、フランス革命に対する反動としてのロマン派の系譜に位置づけることができる。

 なぜ自分たちはあのような狂熱にいかれてしまったのか。
 なぜ自分たちはあの時、暴力と破壊にとり憑かれてしまったのか。
 なぜ自分たちは国王を殺めてしまったのか。

 何かを選ぶということはすなわち、何かを捨てるということ。そこに進歩などあろう

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nyunさんの「剰余価値(Mehrwert)周辺の話、その2」を読んで

nyunさんの「剰余価値(Mehrwert)周辺の話、その2」を読んで

nyunさんによれば「利潤」は「剰余価値」の現れ方の一つ。
ディルクの「剰余労働」概念をマルクスは『剰余価値学説史』で批評し、発展させたものが「剰余価値」だという。



ポスト構造主義のエクリチュールについての議論と重なる。
資本に対応するのがテクスト、労働に対応するのはエクリチュール?
このあたりは詳しく掘り下げていきたい。

追記、真の「富」について

以前より考えていたことだがここにま

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ブランキと「ONE PIECE FILM RED」

ブランキと「ONE PIECE FILM RED」

※この記事を公開後、千坂先生からブランキはユンガー、ハイデガーはサン・シモンに対応させるのが適切なのではというご指摘をいただきましたことを、この場をお借りして報告させていただきます。

 笠井潔氏や千坂恭二氏(そして外山恒一氏?)の好んで使われる言葉に、ブランキの「革命は彼方より電撃的に到来する」というものがある。
 「革命家」はいわば「革命」を祀る神主のようなものだが、いわゆる神懸りのようなもの

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