お山座りは、20代半ばから約5年間、レビー小体型認知症の義母の介護をしました。全てが敵に見えた。色んな事を諦めて、失って、壊して、傷付けて、傷付いた。
- 運営しているクリエイター
記事一覧
レビー小体型認知症介護③『面前DVの影・抑止力』
介護度が上がった事で
入れる施設の
選択肢が増えた。
この頃、
尿便失禁に加え
入浴も
自力では
難しくなっていた。
週3回から4回
家で
入浴介助をした。
滑らない様に
浴槽の下に滑り止めを敷いた。
縁をまたげず、
足を高さまで持ち上げる。
「痛い痛い!」
そう言って
入ってくれる日は
まだいい。
『お風呂入って』
と言っても
「入らない」
「アンタが入
レビー小体型認知症介護④『ごめん』
脊椎管狭窄症の
リハビリの為
義母を整形に
連れて行く。
車椅子がまだ
なかった頃、
徒歩10分位の
病院でも
タクシーを利用していた。
歩行介助しながら
タクシーに乗せて
病院名を告げる。
『近いんですけど、○○整形までお願いします』
病院に着き
『車椅子が必要なので少し待っていて下さい』
とお願いした。
「チッ」
タクシーの運転手さんが
舌打ちをした。
ミ
レビー小体型認知症介護⑦『しんどい』
義母の異常行動を
紙にメモり、
ケアマネに見せた。
メールでも
送ったりしていた。
その施設には
認知症の人はいても、
レビー小体型認知症は
義母だけだったから、
私のメモは
生きた資料の様になった。
普段から
義母の行動を知らせて
こんな気持ちでしんどい
という事を
伝えていたせいか、
急な泊まりにも
対応してくれた。
でも、ちゃんと伝わっていない
スタッフ
レビー小体型認知症介護⑨『介護終了』
義母は、新しい施設に入る頃には
話す事も、歩く事も
出来なくなっていた。
あんなにぎゃあぎゃあ言って
拒否してたくせに。
レビーの進行は進んでいた。
施設で着る服を届けに行った時
全部に名前が書かれてる事を
褒めてくれた。
職員の手間が省けたらしい。
使っていた
防水シーツも沢山渡した。
義母は、
発熱を繰り返していた。
病院に何度も運ばれた。
もうそろそろ危ないとい