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レビー小体型認知症介護⑦『しんどい』

義母の異常行動を

紙にメモり、

ケアマネに見せた。

メールでも

送ったりしていた。

その施設には

認知症の人はいても、

レビー小体型認知症は

義母だけだったから、

私のメモは

生きた資料の様になった。

普段から

義母の行動を知らせて

こんな気持ちでしんどい

という事を

伝えていたせいか、

急な泊まりにも

対応してくれた。

でも、ちゃんと伝わっていない

スタッフさんもいて、

その人が電話に出ると

もっとイラついた。

私は多分、

厄介な介護者家族だったかもしれない。


でも、助けてくれる

唯一の場所

人達だから、

全身ですがっていた。

『もう無理です!助けて!』

そう言って

夜にもかかわらず

迎えに来てくれた事もあった。


それでも、

私の気持ちはおさまらず、

旦那に当たった事があった。

『何でお姉さん達はこないの?

自分の親でしょ?

知らないでしょ、どんな状態か!

言ってないもんね!

穏やかな老後を過ごしてると

思ってるんでしょ?』

などなど。

旦那は大型ドライバーで

何日も帰らない日があった。

その間、

1人で義母の介護をしていた私は

何度も限界を迎えていた…


ある日、旦那は

「おかしくなってもいいからやって!

おかしくなったら面倒見るから!

病院にも連れてくから!

今は貴女しかいないんだから、

薬飲みながらでも

やってくれないと困る」


そう言った。


そういう人間だった。

それまで、

旦那と同じ部屋で

同じベッドで寝ていた。


その後も

同じベッドで寝ていたが

夫婦のそういうものは

一切断った。

大袈裟に、絶対的に

拒絶した。

同じベッドに寝る事も

嫌だった。

イビキにイライラした。


私は、

旦那に言われた事も

ケアマネに話した。

すると、

義兄と旦那を呼んで

私抜きで3人で

義母の現状と今後の事について

話し合いをしてくれた。

旦那が私に言った事を

知っているという事は

内緒にしてくれた。

私が

『言わないで』

とお願いした。


その後、

旦那は茶の間で寝るようになった。

義母の部屋は

襖を挟んですぐ隣。

深夜徘徊は任せられると思った。

そう思ったのが甘かった。


オムツを取り替えさせず

シーツもパジャマも

ビショビショのまま

起きて来た義母を

何とか言いくるめて

そのまま布団に寝かす。

何度も起きて

襖を閉める音が聞こえたが

ただ閉じ込めるだけの

深夜の見守りだった。

言葉通りの見守り。


ショートステイは

3日4日5日間と

だんだん多くなった。


帰ってきた後の洗濯と、

5日分の荷物の準備、

薬の準備、

オムツとパットの準備、

ひと仕事だった。

なるべく小さく、

分かりやすく、

しまいやすく

色々考えて、

下着やパジャマ、ズボンは

何枚あっても足りなかった。


自分の物より

義母の下着やももひきを

買った。

同世代の女の人が、

キャラクターの描いた赤ちゃん用の

オムツを選ぶ横で

私は

介護用のオムツを選んでいた。


お肌に優しい洗剤を選ぶ横で

強力消臭の洗剤を手に取った。


同じなのは

肢の長いスプーンと

スタイ。

防水シーツ。


ベビーカーをおしてニコニコ笑顔の親子


私は、

無表情で

義母の車椅子をおす。


すれ違う時、

目を逸らされた様に感じた。

私は立ち止った。

車椅子をひっくり返して

このまま放置して逃げたいと思った。


病院の診察待ちの時

周りをウロウロする子供が

義母の車椅子をみていた。

『なに』


私の口から出た言葉の音は

自分でも耳を疑うほど

低く冷たかった。


子供のお母さんが

その子の手を引っ張り

「近づいちゃダメよ」

と言った。


私は

嫌な人になろうと思った。

気分に任せて

子供の母親を無言で睨んだ。

「すいません」

と言って離れて行った。

こうやって、

感じ悪い人が出来上がる。


気持ちが荒むと

怖いものがなくなって

どうでもよくなる。


どうでもいい、

どう思われてもいい

なにか文句あるなら

代わってよ。

そう思った。


家の中でも

平気で大声で

怒鳴るようになっていた。


絶対に

外まで聞こえている。


通報するならしろ!

して!

助けて!

誰か…


挙句の果て、

そんな事を思いながら

気持ちのまま

怒鳴り散らしていた。


でも、

近所の人が助けてくれる訳もなく

通報する訳もなかった。








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