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レビー小体型認知症介護⑨『介護終了』

義母は、新しい施設に入る頃には

話す事も、歩く事も

出来なくなっていた。

あんなにぎゃあぎゃあ言って

拒否してたくせに。

レビーの進行は進んでいた。


施設で着る服を届けに行った時

全部に名前が書かれてる事を

褒めてくれた。

職員の手間が省けたらしい。

使っていた

防水シーツも沢山渡した。


義母は、

発熱を繰り返していた。

病院に何度も運ばれた。

もうそろそろ危ないという頃

私は病院に通った。

病室に行き

耳元で

義母が好きだった演歌を聴かせた。

雪国の春。


目を瞑っているが

瞼が動く。

雪が降った日も

雨の日も

病室に行った。


亡くなったと電話が来た日

忙しそうに

義兄とそのお嫁さんが来た。


貴女はなにもしなくていいから。

お通夜とお葬式だけで。


お葬式は、私の母も県外から来た。

私はずっと母といた。

まるで一般の参列者のように。


お葬式代は、旦那が全て払う事になった。

義母の財産は実家と土地。

それを全部渡す代わりに

葬儀、お寺さん等のかかる費用を

全部うちが出す。

単純な話しだ。

ずる賢いとも言える。

代表者、喪主は義兄。(長男)

請求書は旦那。(次男)

計100万円近く。

銀行から借金をして、払った。


数日後、長男夫婦、義姉と息子達が来て、

義母の部屋の物を全て壊して、

処分して行った。


私はずっと顔を出さずに

部屋にいた。

体調が悪かった。


ある日、車の中で

旦那と喧嘩をした。

原因は覚えてないが

言われた一言は

一生忘れないと思う。

「貴女に介護されてる

婆ちゃんを見てて、

可哀想だと思っていた。」


さんざん、1人で介護させて

私に介護されてる義母の事を

可哀想。

と思ってた。

一生忘れない。

お終い。


疲れた。

書き終わったところで


スッキリする事もなかった。

ただただ、

思い出すのが

気持ちが

しんどかった。

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