レビー小体型認知症②『要支援1の体感心労は要介護3』
あれ?
最初の方
あんまり覚えてない…
バイトを辞めて
義姉に
丸投げされて、
そのあと、
義母の眼科に
付き添ったんだ。
タクシーで。
何日後かに、
義姉と、
包括センター
の人が来て、
デイサービスを決めて
帰って行ったんだっけ。
デイサービスの送迎時に
必ずいなくては
いけなかった。
週3回から
始まった。
荷物は特に無かった。
着脱も、飲食も
まだ自分で出来ていた。
私は、洗って作って出して。
本人は
体が動くから
自分で洗濯したり
ご飯を作る。
トイレにも行く。
買い物にも行く。
お金の管理も
薬の管理も
掃除も。
食事。
朝
焦げ臭い。
急いで台所に行くと
お鍋が焦げてる。
真っ黒。
火が着きっぱなし。
洗濯物。
臭い。
私の服も
臭い。
私は
義母の洗濯物と
旦那と私の
洗濯物を
同居した時から
分けていた。
それまでは
義母は
自分で洗っていたから。
ちゃんと説明して
私のは私が洗う。
という事を
了解してくれていた。
でも、
ある時から
ある物全部
一緒に洗われた。
洗剤を入れずに
洗っていた。
便尿失禁
をした
義母の下着や
ズボンと一緒に。
一度
その臭いや
色が着いてしまうと
二度と取れない。
そして、
どんなに気に入ってて
着たくない。
買い物。
これは、
もう何年も前から
始まっていた。
認知症は
急に始まるものではなく
何年もかけて
脳が収縮して行くもの
と理解している。
私が
同居を始めた
時から
気になっていた事。
同じ物が
沢山ある。
買い置きなんだと
思っていた。
多過ぎて
納戸がグチャグチャ
だった。
食料も
腐るほど入っていた。
賞味期限切れの物が
殆どだった。
認知症が
如実に見え始めた頃
出来合いの
お惣菜を
よく買ってきていた。
唐揚げやお寿司など。
ある時、
うちの犬が
部屋の隙間に
頭を突っ込んでいた。
何かと思って
みると、
腐った唐揚げを
食べようとしていたのだ。
半分食べてしまった。
義母は、
食べ物を
隠すようになった。
お惣菜やカップラーメン
お団子、甘いお菓子。
色んな所から
出てきた。
お金の管理。
デイサービスに
通い始めた頃から
義姉が
義母の通帳を
管理するようになった。
年金や保険の事。
義母は、
年金の日になると
銀行に行きたがった。
必要であろう現金は
所持していたが、
通帳にボールペンで
色々メモをしだしてから
義姉が持っていったのだ。
義母は
通帳を欲しがった。
義姉が持っていると言っても
勿論理解はされず
私が泥棒になった。
「返して!私のお金!どこやったの!」
強い口調で
睨まれる。
義姉に電話をして
話してもらった。
数日後
義姉が
通帳と印鑑を
持って来た。
そして、
とうとう全てを
預けられてしまった。
「月に1回は来るようにするから」
「ゴメンだけど宜しくね」
それから5年、
法要の時以外
皆が集まる時以外
義姉1人で
来る事は
1度も
無かった。
薬の管理。
沢山あった。
毎日ちゃんと
飲んでいれば
ちゃんと
無くなっていく
はずなのに
病院で
貰うだけ貰って
飲まずに
綺麗なまま
残っていた。
毎週貰って来る。
飲んでない。
日付が早いものだけ
残して
全て捨てた。
良いのか悪いのか
分からないけど
デイサービスに持って行く
薬が
分からないから
仕方がなかった。
1週間の薬が入れられる
壁にかける
お薬シートに
朝昼晩
の薬を入れた。
ある時
それが
剥がされていて
「こんな所に貼らないで!バカバカしい」
と怒った。
自分の薬だというのは
理解していた。
ただ、
『ここに貼るよ』
という事を
了解した事を
忘れていた。
お薬シートを探すと
薬が入ったまま
ゴミ箱に
捨てられていた。
100円だから
まぁいい。
また買う。
毎食後
薬を渡す。
文句を言わずに飲む。
新しい
お薬シートは
流しの下の
扉の内側に
貼った。
掃除。
全く
気にしなくなった。
便尿失禁、
自分が汚した事も
分かっていないのだから。
トイレは
汚れたまま。
汚れた
下着やズボンも
冬は
コタツに入れて
乾かして履く。
だから
茶の間と
コタツは
臭くなった。
夏は
ハンガーにかけて
乾かすだけ。
布団の下敷きにして
乾かす事もあった。
布団も
臭くなっていた。
徐々に。
本当に少しづつ、
おかしい行動が
増えて来た。
1番初めの
包括センターの担当者との
やり取りは
義姉がしていた。
要支援1
から始まった。
でも、
私のストレスと体感は
既に
要介護3レベルだった。
義母は
口も達者だった。
介護度調査の時
何も
問題ない様に
回答する。
他人には
そう見える様に
普段以上に
頑張る、
認知症初期の
特徴。
その時の
調査員は
それを鵜呑みにした。
義姉は、
普段の生活を知らないから
週3回の
デイサービスで納得した。
これではダメだと思い
普段の様子を
紙に書いて
包括センターの担当者に
訴えた。
デイサービスは
週5になった。
介護度も
要介護1になった。
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