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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2024年8月の記事一覧

メタファーの想像による創造的な解釈。(してもよいver.)

メタファーの想像による創造的な解釈。(してもよいver.)

ぼくのこれまでの人生の中では、あるころ
「メタファー」という概念を知ったことは、
じぶん自身の思考の形成において、
けっこう重要だったやもしれない、ってえのをね、
このごろふと思いついたんだった。

メタファーとは、比喩の種類のうちの
「暗喩(隠喩)」のことでして、そして、
ぼくが初めてこのことばを知ったのは
Mr.Childrenの曲の歌詞だったけれども。
(2004年リリースのAL「シフクノオ

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ことばのシグネチャーと声と文体。

ことばのシグネチャーと声と文体。

前回noteでは、オリジナリティについて
考えることを申しあげましたが、たとえば、
ことばにおけるオリジナリティ性って、
どういうことなのだろう?????
つまりはさ、ぼくが、今、ここで
「あ」
と記したとしても、この
「あ」
という文字自体には、ぼく自身の
オリジナリティ性なんて全くありゃあしない。
そして、この「あ」の文字から、なにかしらの
文章を続けたとして、その文章にだっても
ぼく自身のオ

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師弟関係とオリジナリティのこと。(言語と額縁と表現と)

師弟関係とオリジナリティのこと。(言語と額縁と表現と)

数年前、とあるグループディスカッションに参加して、
どのような話しの流れだったかは忘れてしまったけど、
あるとき、ぼくが
「師匠から学ぶようなことが大切だと考えている。」
みたいなことを申しあげると、ある男性から
「それは、一番やってはいけないことだ!
 オリジナリティが損なわれてしまうから。」
とのように、非常につよく否定された。
このことばを聞き、ぼくはその返答として
「なんにもできないような

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つなぐ人。(今、パスをするver.)

つなぐ人。(今、パスをするver.)

人間は、何のために生きるのか?
と問うたとしても、ぼくにはそんなの
よくわからないと言えばよくわからないけれども。
つまり、たとえば、人が
生きることには意味があるかどうか、とか、
生きることには理由があるかどうか、及び、
それには理由が必要なのかどうか、ってゆうのをね、
考えたほうがよいのかどうか?!
みたいなふうに思ってみたとしても、
ぼくはあんまりわかんないけれど。
でも、なんだか、ときには

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姉、兄、弟、妹、と、涙のこと。(Aqua_mix)

姉、兄、弟、妹、と、涙のこと。(Aqua_mix)

一昨日の日曜日、お買い物から帰宅すると
家にいた母が扇風機の前で立ちながら呆然としていて、
「おにいさんが、、」と言う。
話しを聞けば、さきほど電話連絡があり、
母の兄弟の三番目の兄が亡くなり、
その日にお通夜、そして、翌日、
つまり、昨日が葬儀とのことで、
お通夜には出られなかったのですが、
昨日、葬儀及び初七日法要へと参列してまいりました。

今年三月のあるときのブログで申しあげましたが、

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愛と祈りのブログ。(太平洋ver.)

愛と祈りのブログ。(太平洋ver.)

ときに、ぼくは、このブログを
何のために書いているんだろう?
って思ってしまうこともあるけれども、
そう思ってしまったら、その都度、
そのことについて考えたいと思っている。
つまりはさ、その都度、考える、
ということは、この問いについて
いまだにきちんとした答えは出ていない、
というふうでもあるわけだし、
もしくはね、そもそも、その
答えは無いのやもしらないな。

何のために? と考えるときに、

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何を書くのかを考えるバランス。

何を書くのかを考えるバランス。

このブログを書くときには、大抵、書く前の段階で
今回は何のことを書くのか? ってゆうのをね、
考えてから書き始めている。つまり、
ぼくのブログはほぼ日刊更新なので、基本的には
日々、明日のブログは何を書くのか?
と考えているとも思うけれども。
それでも、ときには
何を書くのかが決まらずその日になり、
iMacのコンピュータの前で座りながら、
おれは、今日、何のことを書くのか?
って想いながらブログ

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謎とあまりにも長い年月と神隠し。

謎とあまりにも長い年月と神隠し。

このごろの何度かのブログでは、
宮﨑駿さん監督映画作品集より今回はあらためて
『千と千尋の神隠し』を観て考えたことを申しましたが。
そのブログの文章をね、だれかに
読まれるか読まれないかはこの際置いておくとして、
ぼく自身としては、このことを書く、というのは
大切なことなのかもしれないとも存じました。
つまり、書けば書くほど考えられるし、
考えたことや思ったことを整理できる。
たとえば、昨日のブロ

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ほんとうの姿を見ることができるならば。

ほんとうの姿を見ることができるならば。

じぶん自身でも何度しるすのかなとも思いつつ、
今回のブログもまた、宮﨑駿さん監督映画作品集よりあらためて
『千と千尋の神隠し』を観て考えたことを申しあげます。
昨日のブログでは、映画のラストシーンにて、
千尋が湯婆婆の姉・銭婆へと話していた
「おばあちゃん」という呼び方をね、
湯婆婆に対しても言われていたのは、
ほんとうにすごい! というのをしるしましたが。
では、なぜ、千尋は湯婆婆のことを
「お

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ほんとうの名前と支配と自然のこと。

ほんとうの名前と支配と自然のこと。

宮﨑駿さん監督の映画作品集より、このたびはひさしぶりに
『千と千尋の神隠し』をあらためて鑑賞して、
やっぱり、すごい作品だなあ! って思いながら、
このブログでもね、いくつか、たとえば
千尋の両親のこと、千尋の行動やことばのこと、及び
物語の舞台となる油屋のシステムのこと、
などから考えられる感想を申していたのですが。
『千と千尋の神隠し』において、ぼくとしてはね、
いちばん疑問に思うのは、やっぱ

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礼儀正しさと敬意とボイラー室にて。

礼儀正しさと敬意とボイラー室にて。

このごろのブログでは、先日購入いたしました
宮﨑駿さん監督の映画作品集より、あらためて
『千と千尋の神隠し』を観た感想を記しているけれども、
まだもうすこしだけ考えることがございまして、今回も
『千と千尋』のことを申しあげたいとぞんじます〜。

8月19日のブログの中では、千尋はその自身の
素直な性格によって油屋のみなに愛されてゆく、
というのを申しましたが、素直さ以外でも
よいなあと感じたのが千

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支配的な質問に答えないこと。(誓いと呪いと)

支配的な質問に答えないこと。(誓いと呪いと)

前々回及び前回のブログより引き続き、先日購入いたしました
宮崎駿さん監督映画作品集より、このたびは
『千と千尋の神隠し』をあらためて鑑賞しまして、そこから
もうすこし考えたことをしるしたいとぞんじます。

前回申したのは、千尋がたくさんの人たちに助けられながら
油屋のてっぺんの奥の部屋に居る湯婆婆のもとへたどりつき、
そこで無事に働くための契約を果たす。
このときにね、千尋、すごいなあ! って感じ

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就職の極意とみなに愛される千尋。

就職の極意とみなに愛される千尋。

前回noteでは、先日購入いたしました
宮﨑駿さん監督の映画作品集より、このたびは
『千と千尋の神隠し』をあらためて観たことを申しまして、
きょうもまた、映画の感想を申しあげます。

『千と千尋の神隠し』について、前回では
千尋の両親のことを感想として記したけれども、
そのほかで申すとすると、たとえば、
就職活動、及び、就職してからのお話しとしても
観ることができるかなあ。
つまりはさ、千尋が幾度

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常識だと考えてしまっていること。

常識だと考えてしまっていること。

先日、宮﨑駿さん監督の映画作品集を購入してから、
以前のブログのときから少し時間があいてしまったけれども、
今回はね、平成13年公開の
『千と千尋の神隠し』を観ました〜。
『千と千尋の神隠し』は当時映画館で観て、その後も数度
テレビ及びレンタルで観ていると思うけど、
やっぱり、すばらしいなあー。
たとえば、映画の中においてたくさんの要素が
詰まっているかのようでいて、すごい!

『千と千尋』での印

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