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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2024年6月の記事一覧

じぶんなりの方法を見つけないとならないとき。

じぶんなりの方法を見つけないとならないとき。

ぼくにはうまくできないことが、
だれかにはたやすくできることがある。
逆を言えば、ぼくのできることが
だれかにとってはできない、
という場合もあるやもしらない。
そんなときにね、
ぼくのできないことを相手はできる、かつ、
相手のできないことをぼくはできる、とすれば、
そのお互いで「できる・できない」を
おぎなうようにしてチームを組めたら、
それがいちばん理想なんだろうなあ〜。

仮にね、そのような

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わるいところをよくするだけにとどまらない。

わるいところをよくするだけにとどまらない。

たとえば、
だめなじぶんを変えたい、とか、
わたしはもっと変わらないといけない、とか、
つまり、じぶん自身が「変わる」ことを
じぶん自身に求める、
という場合ってあると思うけれども。
そういうふうにして、じぶんが
「変わる」というのは非常に困難だと思える。
でも、どちらかと言えば
「変わること」自体は、ある意味では
そこまでむつかしいことでも無いやもしらない。

以前、たしかぼくが
30代になった

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じぶん自身が変化してしまっている。

じぶん自身が変化してしまっている。

先日のブログでは、このブログを書くことにおいて
「なるべくいろいろなことを書きたい!」
というのを申しあげました。
でも、それは、なかなかむつかしい。
毎回、ちがう内容のことを
書きつづけるなんてできがたいから。
そんなふうに思うぼくとしては、日々、けっこう
似たようなことをブログで書いていると思う。
もっと言うとするならば、
以前書いたことと同じことを
書いてもよい、とも思っている。

とは言い

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海に浮かぶ小さな島でぶらぶらと待ちながら。

海に浮かぶ小さな島でぶらぶらと待ちながら。

たくさんの人が、インターネット上で
文章を書かれているとぞんじますが、
その理由や動機は人それぞれなのだと思う。
たとえば、この「note」を含めたブログでは、
文章を読んでくれた人の心が、すこしでも
軽くなってくれたらという想いで書く、つまり、
だれかのために書く、というのも多いと思うのですが、
このブログを書いているぼくの場合は、
そういうふうなこともできないと思えるから。
とは言えども、なら

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固有名詞が登場すること。

固有名詞が登場すること。

辞書の頁をぱらっと眺めるだけでも、
ことばって、あまりにもたくさんのものがある、
というのはわかるけど、いったいぜんたい
いくつのことばがあるのか? ってえのは、
ぼくは知らない。

昨日のブログでは、このブログを書くことにおいて
「なるべくいろいろなことを書きたい!」
という旨を申したですが、そのうちのひとつとして、
いろいろなことばを書きたい、
ってゆうのもございます。
つまり、これまでに使っ

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定まりがちな性質のぼくだからこそ。

定まりがちな性質のぼくだからこそ。

このブログを書くときに思っているのは、
なるべくいろいろなことを書きたい!
というものでして。たとえば、
抽象的なことも、具体的なことも、
精神的なことも、理屈的なことも、
どんなことでも書けたら、と思っているけれども、
実際はなかなかむつかしい。
なぜ、なかなかむつかしいか?
を考えてみるとね、つまり、ひとりの個人が
思って、そして、書こうとするような事柄は
どうしても定まって来てしまうものであ

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好きな映画と暗闇で振り回す両手。

好きな映画と暗闇で振り回す両手。

20代のころのある自己紹介の場において、
名前と、各自の好きな音楽と映画を答えてゆく、
というお題があり、そのとき、ぼくは
好きな音楽は「奥田民生さん」と「Led Zeppelin」、
好きな映画は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と
『ショーシャンクの空に』と答えたのだった。
それから約20年が経ち、考えてみれば
好きな音楽としての「Led Zeppelin」のところはさ、
もちろん、今もなお、

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なぜその場所が道路になったのか?

なぜその場所が道路になったのか?

道路って、不思議だなあと思える。

ぼくの家の前にも道路があり、その
道路を通れば、日本中、と申しますか、
愛知県に住んでいるぼくとしては、
本州の島内ならば、お金と時間さえあれば
どの場所へも行くことができる。
本州から橋が架かっている島なのだとすれば、
その場所へも行ける。

そういうような道路は、どうして、
道路のところは道路で、なおかつ
道路じゃあないところは道路じゃあないか?

かつて、

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人間の力を超えているからこそ。

人間の力を超えているからこそ。

現代の人類の文明では、自動車、電車、船、及び
飛行機などなどの乗り物は必須なのだと考えられる。
その人自身はその乗り物に乗らなくとも、
その人の生活のための商品(物資)は、
どこかの土地より運ばれてきて、そして
お店で購入するという場合、それらの物資は
あらゆる乗り物に乗せられてお店へと届くのだから、
物資の輸送の面でも乗り物は生活に欠かせない。

逆を言えば、乗り物は使わず人間の
手や足の身体だ

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豊橋から名古屋へどう行くか?(電車も車もver.)

豊橋から名古屋へどう行くか?(電車も車もver.)

愛知県豊橋市に住むぼくは、ときに
県庁所在地の名古屋市へと行くけれども。
いかんせん、県の東端である「東三河」の豊橋から
「尾張」の名古屋へは、距離的にも、そして
精神的にも遠い感じがしていて、県民ながら
名古屋を訪れた回数は少ないと言えるし、
名古屋の詳しいこともぜんぜん存じない。
とは言えども、そんなぼくでも年に数回ぐらい
都会である名古屋の街を訪れます。

豊橋から名古屋へ行く手段としては、

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全員でmake a brief stopするチーム。

全員でmake a brief stopするチーム。

鉄道の詳しい知識は存じていないですが、
ぼくは、電車に乗るのが
けっこう好きなんだなあ。
満員電車ではそうもゆかないと思うけれども、
読書に集中できたり、
頭の中で考えごとしたり、もしくは
車窓より見える景色をぼーっと眺めてみたり、
駅に着いて乗客が入れ替わる光景を感じたり、
そして、ぼくはぼくとて
ぼくがむかう目的地の駅へとたどりつく。

電車内でそういうふうに過ごすときにおいて、
ぼくなりのル

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リズムに乗りたい。(夢の景色_mix)

リズムに乗りたい。(夢の景色_mix)

前回noteでは、音楽を聴くことによって
その音楽のリズムを感じながら、
そのリズムを真似ぶようにして
じぶん自身のリズム感を養えたい、
というのを申しあげました。

そういうふうに思いつつ、でも、
そもそも、「リズム」及び
「リズム感」とは何か? ってゆうのもね、
ぼくはよくわかってないと言えば
よくわかってないとも思えるけれども。
たとえば、リズムって
「乗る」と言うじゃん。

「乗る」と言え

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リズム感を真似ぶ。(turn_mix)

リズム感を真似ぶ。(turn_mix)

ぼくは音楽を聴くのがすきなのだけれども、でも、
いろいろな音楽に詳しかったり、
音楽の専門知識を持っていたり、
演奏や歌の技術に優れていたり、
というのはまったくない。
それでも、ぼくは、ぼくなりに
音楽を聴きたいし、音楽を聴くのが
すきだと申せたい!

そんなような、とくに
知識や技術の無いぼくとしては、音楽鑑賞とは
たのしいから聴くだけでなくて、
たとえば、音楽的素養を学びたいために
音楽を聴

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『SAKANAQUARIUM 2024 “turn”』へと。

『SAKANAQUARIUM 2024 “turn”』へと。

(今回のブログはライブ演出のねたばれがあります!)

昨日は、ポートメッセなごや第3展示館にて
サカナクションのライブ
『SAKANAQUARIUM 2024 “turn”』へとまいりました。
すばらしくって、最高だった!!!!!

コロナ下以後、ぼくはサカナクションのライブを
オンライン配信で観ていて、なので
ひさしぶりというふうでは無い気もしているけれども。
思えば、サカナクションのリアルライ

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