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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2024年6月の記事一覧

豊橋から名古屋へどう行くか?(電車も車もver.)

豊橋から名古屋へどう行くか?(電車も車もver.)

愛知県豊橋市に住むぼくは、ときに
県庁所在地の名古屋市へと行くけれども。
いかんせん、県の東端である「東三河」の豊橋から
「尾張」の名古屋へは、距離的にも、そして
精神的にも遠い感じがしていて、県民ながら
名古屋を訪れた回数は少ないと言えるし、
名古屋の詳しいこともぜんぜん存じない。
とは言えども、そんなぼくでも年に数回ぐらい
都会である名古屋の街を訪れます。

豊橋から名古屋へ行く手段としては、

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全員でmake a brief stopするチーム。

全員でmake a brief stopするチーム。

鉄道の詳しい知識は存じていないですが、
ぼくは、電車に乗るのが
けっこう好きなんだなあ。
満員電車ではそうもゆかないと思うけれども、
読書に集中できたり、
頭の中で考えごとしたり、もしくは
車窓より見える景色をぼーっと眺めてみたり、
駅に着いて乗客が入れ替わる光景を感じたり、
そして、ぼくはぼくとて
ぼくがむかう目的地の駅へとたどりつく。

電車内でそういうふうに過ごすときにおいて、
ぼくなりのル

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リズムに乗りたい。(夢の景色_mix)

リズムに乗りたい。(夢の景色_mix)

前回noteでは、音楽を聴くことによって
その音楽のリズムを感じながら、
そのリズムを真似ぶようにして
じぶん自身のリズム感を養えたい、
というのを申しあげました。

そういうふうに思いつつ、でも、
そもそも、「リズム」及び
「リズム感」とは何か? ってゆうのもね、
ぼくはよくわかってないと言えば
よくわかってないとも思えるけれども。
たとえば、リズムって
「乗る」と言うじゃん。

「乗る」と言え

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リズム感を真似ぶ。(turn_mix)

リズム感を真似ぶ。(turn_mix)

ぼくは音楽を聴くのがすきなのだけれども、でも、
いろいろな音楽に詳しかったり、
音楽の専門知識を持っていたり、
演奏や歌の技術に優れていたり、
というのはまったくない。
それでも、ぼくは、ぼくなりに
音楽を聴きたいし、音楽を聴くのが
すきだと申せたい!

そんなような、とくに
知識や技術の無いぼくとしては、音楽鑑賞とは
たのしいから聴くだけでなくて、
たとえば、音楽的素養を学びたいために
音楽を聴

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『SAKANAQUARIUM 2024 “turn”』へと。

『SAKANAQUARIUM 2024 “turn”』へと。

(今回のブログはライブ演出のねたばれがあります!)

昨日は、ポートメッセなごや第3展示館にて
サカナクションのライブ
『SAKANAQUARIUM 2024 “turn”』へとまいりました。
すばらしくって、最高だった!!!!!

コロナ下以後、ぼくはサカナクションのライブを
オンライン配信で観ていて、なので
ひさしぶりというふうでは無い気もしているけれども。
思えば、サカナクションのリアルライ

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あさのうた、そして、この先に待ち受けてるyears。

あさのうた、そして、この先に待ち受けてるyears。

映画『違国日記』、観てまいりました。
とってもよかったなあ〜。

ヤマシタトモコさん原作の
漫画作品も素晴らしかったのですが、
瀬田なつきさん監督の映画作品もまた
素晴らしくって、なんと言えばよいでしょうか、
新垣結衣さん演じられる「槙生さん」も、
早瀬憩さん演じられる「朝さん」も、
そこに居て、日々の月日を過ごしている、
と申しあげますか、いや、なんだか
ぜんぜんうまく言えないんだけれど。
つま

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無理してがんばるのこと。(月は流れて東へ西へver.)

無理してがんばるのこと。(月は流れて東へ西へver.)

無理はせず、というのは
とってもとっても大切だ。
無理をして、無理をしすぎて、
身体をこわしてしまったらどうしようもない。
しかし、物事には、すこしばかりでも
無理をしなければ完了できないこともある。
じぶん自身の能力よりも、
すこしむつかしめで、なおかつ
大変なことに挑むようなときには、
無理も必要な場合がある。
そんなときにおいて、
無理はせず、と思っていれば
もしかしたらできていたことが、

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あきらめて、飛びこむ。

あきらめて、飛びこむ。

やらなければいけないこと、だけでなくって、
やっておいたほうがよいこと、とか、
やりなさいと言われたこと、とか、
やるとじぶん自身で決めたこと、とか、
を、やる、というときには
それらは必ずしも、その人にとって
「やりたい」ではない場合がある。
つまりはさ、
やりたいことを、
やりたいときに、やる、
というわけにはゆかないこともある。

やりたいんではないことを、
やろうとするときには、どうしても

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習慣化か、義務化か。

習慣化か、義務化か。

なにかを行おうとするときには、
それを日々、繰り返しながら
つづけてゆくことが大切だ、
というふうによく言われている。
つまり、そのものごとを
「習慣化」させることが大事である、
という意味だとは思うけれども。
繰り返して、そして、つづけてゆくようなときに
けっこうネックとなってくるのが、そのものごとが
義務的のようになってしまう。

つまりはさ、義務になってしまえば
つらいと申しますか、いわば、

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ブログを書いてなければ考えもしなかったこと。

ブログを書いてなければ考えもしなかったこと。

前回noteでは、このブログを書くことについて
ぼくは、書きたいことを書く、
ということができない、もしくは
「書きたいこと」が無い、と申しあげまして。
そんなぼくができることと言えば、
かろうじて書けそうなことを書く、
って思いながら、日々、ブログを書いている、
という旨をあらためてしるしました。

書きたいことが無く、そして、
かろうじて書けそうなことを書く、って
そんな気持ちでブログ書いてい

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ブログを書きたいという気持ちを持たないまま。

ブログを書きたいという気持ちを持たないまま。

ブログを書くことにおいては、
「書きたいことを書く」というのが
大切であり、また、なおかつ
セオリーのようになっているとも聞くのですが。
ぼくの場合はね、日々、こうして
ブログを書いてはいるんだけれど、その
「書きたいことを書く」ということができないのよね。

そもそも、ぼくには
「書きたいこと」が無い。
って、じぶん自身では思っている。

なので、ぼく個人としては
書きたいことを書く、そして、書

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考えの海のなかでたゆたうように。

考えの海のなかでたゆたうように。

ちょっとつかれたなあ、ってゆうときには
ベッドで横になってぼんやりしてみたり、
ときにはそこでお昼寝のごとく眠る。
そうしてしばらくすると、すこしだけ
つかれもとれたような感じになってきていて、
そろそろと身体をベッドから起こす。

そういうような、この
ベッドで横になってぼんやりしているときにはね、
スマホをながめたりする場合もあれども、
つかれの状態がけっこうつよいときには、
スマホの画面も見

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何も考えないでいられる時間はいまもない。

何も考えないでいられる時間はいまもない。

先日6月6日、創刊26周年をむかえられました
WEBサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」では、この日より
宮沢りえさんと糸井重里さんとの対談連載コンテンツ
「はかないことも、諦めることも、とてもたのしい。」
がスタートしていて、対談、おもしろい!

「ほぼ日」での宮沢りえさんと糸井さんの対談は、
10年前、雑誌『AERA』×「ほぼ日」共同企画
「40歳の特集」として、当時41歳のりえさんと
糸井さんがお話

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青春の音楽と架橋と冷静なる情熱。

青春の音楽と架橋と冷静なる情熱。

このごろのブログでは、先日、神原一光さんの著書
『WOWとYeah 小室哲哉 起こせよ、ムーヴメント』
を読んでから小室さんの音楽をあらためて聴きたくなって、
2018年リリースのコンピレーションアルバム
『TETSUYA KOMURO ARCHIVES BOX』をね、
ドライブのさなか聴いていることを申していたですが。
そんなふうにして、小室哲哉さんの音楽を
今もまた聴いているぼくは現在42歳で

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