見出し画像

人間の力を超えているからこそ。

現代の人類の文明では、自動車、電車、船、及び
飛行機などなどの乗り物は必須なのだと考えられる。
その人自身はその乗り物に乗らなくとも、
その人の生活のための商品(物資)は、
どこかの土地より運ばれてきて、そして
お店で購入するという場合、それらの物資は
あらゆる乗り物に乗せられてお店へと届くのだから、
物資の輸送の面でも乗り物は生活に欠かせない。

逆を言えば、乗り物は使わず人間の
手や足の身体だけで運ばれるとすれば、もはや
現代の文明の生活は行えないとも言えるんだろう。

この上のところで挙げました乗り物として、
自動車、電車、飛行機は
具体的な年代は存じあげないですが、
けっこう新しいものなのだとして、でも、
船はたぶんそれよりもずっと以前からあって。
たとえば、江戸時代における日本海海運の
「北前船」のことはテレビで聞いたことがございますが、
そのような海運だけでなくって、おそらくは
古代の時代から、なのかな? 船という乗り物は
使われていると思えども、でも、やはり
大型のタンカーやコンテナ船等は現代文明の乗り物だ。

ってゆうふうに考えるときにね、
これらのあらゆる乗り物とは、
すでに、人間の力を超越している!
つまり、人間の身体では
運ぶことのできない重さや数や量を、
その乗り物によって運んでいるんだから。
このことについて身近なところで言うとすると、
やっぱり、自動車よね。
個人的にでも免許さえあれば、車で
いろいろな場所へとゆき、なおかつ
いろいろなものを運ぶことができる。

人間の身体で行える移動の速さとして、
100メートル走の世界記録は
「9秒58」とのことで、つまり
時速37.6kmぐらいらしいけれども。
このスピードも超人的なものではあるとしても、
それ以上の速度となれば、確実に
人間の能力を超えてしまっている。
自動車だっても、そのような
「時速40km」を超えるようなスピードってえのは、
アクセルを踏めばすぐに出すことはできるけれども、
それもやはり、人間の力を超えているからこそ
こわいものでもあるとも思われる。
つまりはさ、人間の
個人の力ではできないことが、それらの
機械を使用することによって超人の力を出すことができる。

そう考えてみると、そういうような
「機械」というのは、ある意味では
SFの世界なのだなあ! とも考えられるし、なおかつ
SFの世界のごとく危なそうなイメージも思えてしまう。
車とか、電車とか、飛行機とか、だけでなくて、
電話とか、コンロとか、冷蔵庫とか、電子レンジとか、リモコンとか、
懐中電灯とか、シャワーとか、印刷とか、ナイフとか、ピストルとか、
などなどなどだっても、完全に
人間の力を超越してしまっている。
そして、そのいちばんの発展してしまったものとして、
原子爆弾や原子力発電所があるとも言えるでしょうか。

人類の文明におけるその原初とは、
たとえば、産業革命での
蒸気機関だったりするのやもしらないけれども。
かつて、その能力を手に入れた人間たちは
どのように感じていたんだろう???

令和6年6月21日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?