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じぶんなりの方法を見つけないとならないとき。

ぼくにはうまくできないことが、
だれかにはたやすくできることがある。
逆を言えば、ぼくのできることが
だれかにとってはできない、
という場合もあるやもしらない。
そんなときにね、
ぼくのできないことを相手はできる、かつ、
相手のできないことをぼくはできる、とすれば、
そのお互いで「できる・できない」を
おぎなうようにしてチームを組めたら、
それがいちばん理想なんだろうなあ〜。

仮にね、そのようなチームワークのもとで
ある業務を行なってゆくとして、でも、
ときには、チームではなくって
ワンオペで、つまり、ひとりで
やってゆかなければならない状況があったとすれば、
どうすればよいの?

ぼくができないことをおぎなってもらえるような
チームメイトはそこに居ないのだから、
大変ではあれども、結局のところ
やらないとならないことは、
やらないとならないんだから。
そういうとき、じぶん自身の
できないことをやろうとしてみるも、
やっぱり、できない。
できる人と同じようにやってみても、
できないものは、できない。つまり、
人の物真似ではいかんともしがたいことがある。
それこそが、人間の個性である、
って言えるやもしらないけれど、
そのできなさというのも、
つらいと言えば、つらい。

そのことをできる人と同じように
やってもできないんだともすれば、
じぶんなりの方法を、
じぶんで考えながら、
行うしかないわけで。
でも、そういうのって、はたして
考えればできるようになるものなのか?!

「学ぶとは真似ぶである」
とも言われるからこそ、
真似することは大切なのだとしても、
でも、人の物真似のやり方ではなくって
じぶんなりの方法を、つまり
じぶん自身の個性に見合った道すじを、
見つけないとならないときもある。
考えて、考えて、試行錯誤して
それでもできなくって、
じぶんのできなさに絶望しながらも、
まだまだ、その道を探す。
そんなようなことも、そこまで
いやじゃあないと思えたら、もしかしたら
その絶望も、じつは
希望なのだと言えるやもしらないな。

令和6年6月30日


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