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わるいところをよくするだけにとどまらない。

たとえば、
だめなじぶんを変えたい、とか、
わたしはもっと変わらないといけない、とか、
つまり、じぶん自身が「変わる」ことを
じぶん自身に求める、
という場合ってあると思うけれども。
そういうふうにして、じぶんが
「変わる」というのは非常に困難だと思える。
でも、どちらかと言えば
「変わること」自体は、ある意味では
そこまでむつかしいことでも無いやもしらない。

以前、たしかぼくが
30代になったぐらいのころかな、友人から
「おまえ、変わっちゃったな。」
というようなことを言われたときがある。
そう言われて、ぼくは
「いや、変わったんじゃあなくて、
 変えたんだよ。」と答えたんですが、つまり、
流されるように変わったのではなくって、
自発的にじぶん自身を変えた。
そしてまた、この場合に彼が言うような
「変わっちゃった」つまり「変わる」とは、なんだか、
よい感じになったよりも
わるい感じになってしまった、
という意なのだとぼくは感じられたのですが。

その当時、いろいろ悩みながら
考え方も模索しながら、
じぶんが変わらないといけない、及び、
じぶんを変えないといけない、
というふうに考えていたと思うけれども。
今、思うのは、
「変わる」とか「変える」とかって、
むつかしい、というか、その
なにがむつかしいかと言えば、
変わろうと思うときには、じぶん自身の
「わるいところ」をよくしたい! って、
考えるところから始まるとぞんじますが、
でも、そういうときには、結局
「わるいところをよくする」だけにとどまらない。

つまりはさ、じぶん自身の
「一部分」だけを変えることはできなくって、
一部分を変えれば、その同時に
「全体」までも変わってしまって、つまり、
「わるいところ」をよくすれば、
「よいところ」がわるくなる。

もとからよかったところはそのままで、
わるいところだけをよく変えようとする、
というのは、じつは
相当、困難であると言えるやもしらない。
って、以前、この上で書いたようなことを
友人より言われてから、このことについて
折に触れて考えながら、ぼくの今のところの
結論としてそういうふうに思っているの。

理科の物理の分野では
「エネルギー保存の法則」というのがあり、
つまり、ある物体の持つエネルギーとは、
ある形態からある形態へと変換されたとしても
その全体の総量は変わらない。
この法則って、もしかしたら
「人間」の場合にも言えて、たとえば、ひとりの人が持つ
身体的及び精神的な「エネルギー」みたいなものは、
ある形態からある形態へと変換されたとしても
その全体の総量は変わらない。
いわば、
どこかを突出させれば、逆に
どこかはへこんでしまう、的な?!

そういうような法則で考えるとすると、
よいところはそのままで、かつ
わるいところだけをよくしたい、
ってゆうのは非常に困難である。
それを実現させるためには、
じぶん自身が持つ「エネルギー」の
総量を増やさなければならない。
であるとすれば、どうすれば、その
「総量」を増やすことができるのか?! って、
それはぼくにはわからないんだけどね〜。

令和6年6月29日


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