空手の長老の失敗点は方法論を手放さずに延々とライスワークのネタにし続けた点にある。 俺は主だった点はここで全て無償で公開して居る。 はっきり言って流派はどうでも良いのである。 極意みたいなことを言って空手だけが(一般に)親しまれていない。
こんばんは。改めて自己紹介していきます。ぼくは長老です。名前ですよ。あだ名じゃないですからね。亀なので、お水の中は好きです。まぁ、雨は苦手です。日向ぼっこは甲羅を干すので大好きです。が、しかし。そろそろ梅雨になりそうです。その前に台風の進路が気になりますね。何もありません様に。
空手の意義とは原型をやるという事で良いと思われる。 指導者はいても良いが指導者の指導者はいらない。(最高指導者みたいなやつ) 私はこの原型性に欠く現代社会において真実を把握する為のプロセスとして空手を始め終えたに過ぎない。 そうでしか有り得ない。