寺岡敏親

寺岡敏親

最近の記事

ティーバッグスタンド

ティーバッグスタンド久しぶりの投稿です。 NOTEの基本から外れていますが、アイデアを込めた物作りはなかなか難しい。マイペースで進めます。 今回は超簡単なグッズを作ってみました。 Tバックではないよ! お茶類のティーバッグの為の道具です。 ティーバッグはとても便利で簡単にお茶を楽しむ事が出来ますが、ただ一つ 何とかならないかな?と言う気持ちがありました。 お茶メーカーさんは一回の使用を推奨していますが、二度くらいは使えます。 二杯目までのバッグの置場が無いのです。(小皿を用意

有料
300
    • 北の果ての鉱山開発(母の事2)

      もっと話しをしっかり聞いておけばなぁ・・・・  昭和19年か20年か正確ではないが、三上医師に病院を辞職し、家族が集結していた大泊に戻るようば半ば命じられ、兄兄弟と共に暮らしていた。  何故、三上医師が母を退職させたのかは、分からない。  非常時の中での、本土出張時の行動が尾を引いていたかも知れないし、ソ連の侵攻を予想していたかも知れない。  いずれにせよ、侵攻まで勤めていたら集団自決の一員になっていたかもしれない。  このあたりの事から、引揚げ船に乗る前までの話しは、

      • 北の果ての鉱山開発・母の事

        序文 北の果ての鉱山開発について、父の手記を投稿しました。多くの方に御閲覧 頂き、ありがとうございます。 戦争に翻弄された樺太生まれで樺太育ちの母の思い出も、合わせて投稿します。投稿者の弟が記載しました。 当時の日本人の厳しい生き様をご覧になり、今の平和な日本の有り難さを 皆で感謝したいと思います。 母の事 大正14年(1925年)6月15日生まれの母の想い出  今になって思うのは母親の話しをしっかり聞いておけばなぁ・・・・・  母方祖父の事は後述するとして、祖母は津軽

        • 槙峰鉱山の変遷(封建社会から民主化へ)

           大相撲の友綱が延岡藩主内藤家から鉱区を貰ったが、鉱山の開発は、三菱の手に移ってから行われた。  その頃、岡山や生野から鉱山経験の深い者たちが選ばれて、この地にきた。  そのような上級管理職は役宅と呼ばれる住宅にあって、一般の者達とはかけ離れた階層を形作っていた。いわば上流社会があり、使用人を置くのが普通だったようだ。役宅には、二畳ほどのお手伝いさん部屋があった。  中間の管理監督者として、稼ぎ人から取り立てられた「検断」とか「号令」と呼ばれる人達がいて、作業指示をしてい

        ティーバッグスタンド

          北の果ての鉱山から九州の槙峰鉱山へ

          転勤の背景 半年ばかり東京にある職員組合連合会の役員に専従した事で、鉱山に復帰した時には担当する仕事が無かった。  鉱山を出る時引継ぎをしたからである。  3才と1才の息子達は、父親を忘れてしまったのも困った事であったから、私にとっては、公私共に納まるところのない復帰の姿であった。  こうして日を過ごしているうちに、北海道から一番遠い事業所、宮崎県の槙峰への転勤の社命を受けた。  満9年籍を置いた下川を出たのは、組合専従の結果であり、自分自身が作った道と言えなくもない

          北の果ての鉱山から九州の槙峰鉱山へ

          芝刈り機の改善

          ロータリ型芝刈り機は広く普及していると思います。 家庭用ですから、広範囲の芝を刈る訳ではありませんが、 長く使っていると、綺麗に刈れなくなります。 刈れなくなる原因 刈れなくなる原因1,切刃がだれる 2,小石などを噛み込み、刃が逃げてしまう 復帰法1, 1,ダレた刃を研ぎなおす。 2,逃げた刃を戻す。 この現象はかなり頻繁に起きるので、両者を一度に改善する方法を考えました。芝切断刃の形状を四角から次のような写真の星形に変更する。 本体への取り付け状態(今回は2個)

          芝刈り機の改善

          ソファーにキャスター付けてみた

          二人掛けソファーにキャスターを付け移動を楽にした限られたスペースで移動が簡単に行えるようソファー底面にキャスター を付けました。 キャスター本体 ボール型 耐荷重:30Kg 高さ:5cm 使う場所ワンルームマンションなどでスペースが限られている場所 窓際で日に当たりたい、反転してTVなどを鑑賞したい、 デスクワークしたい、足を投げ出したい、など ブレーキ解放すれば移動は自由自在 楽に動かせますこんな方法もテスト中 木枠にキャスターを取り付けリビングのソファーを乗せま

          ソファーにキャスター付けてみた

          補給水置場つき冷風扇

          アイデアのセールスポイント 熱中症の原因として、水分補給の不足が上げられています。 身近に補給水が有れば、喉が渇く前でも定期的に飲むこともできます。 手持ちの扇風機にトレーを取り付け、凍らせたペットボトルを乗せられる構造として、吹き出し風を冷やす事と、溶けだしたPET内容物を簡単に飲むことが出来る冷風扇を作ってみました。 安価なミニ扇風機にも適応。 改良した部分 発生する結露水の処理が重要となる。 構造を可能な限りシンプルにして、トレーの結露水などによる汚れを掃除しやす

          補給水置場つき冷風扇

          最初で最後の仏像彫り

          現役サラリーマン時代、本社への出張帰りに東名高速バスを利用していました。一時間余りの乗車時間つぶしに週刊誌を購入し、パラパラ見ていた中で この広告に出会い、その美しさに感動したのを思い出します。 作者は中国人の李健氏で、両手の位置、少し腰を振ったバランスが良いと感じました。 定年後、時間が有れば、自分で彫ってみたいな、と思っていました。 2007年その時が訪れ、それまで版画程度しか経験はありませんでしたが、 プロの作を模写する形で、挑戦してみました。 材料はホームセンター

          最初で最後の仏像彫り

          ロールペーパーケース

          ティシュペーパー代わりに使っていたトイレットペーパー(裸で)の見栄えが良くないので、段ボールの箱を改造して使っていました。 更に一味見栄えを良くして、リビングでも使えるようなプラスティック品を作ってみました。 購入品 1,CDケース 2,ミニボックス 完成品 加工箇所 CDケースからペーパーがスライドして引き出せるようなスリット穴。 ミニボックス側壁に穴開け Φ25mm程度。 CDケースとミニボックスをビス止め。 ミニボックスの穴側位置にギザギザ加工。 市販品

          ロールペーパーケース

          北の果ての鉱山開発(野ウサギ獲り)

           三月に入ると、人々は野ウサギを捕えるべく ワナ を仕掛ける。  ワナの材料に使う白樺の木を伐採する事は、本来盗伐となり厳しい罰則があり、人目を避けての仕事であった。  高さ4~5mの白樺を切り、ウサギの通り道に、さかさに立てる。 そうすると、幹を中心に枝が周囲に広がった形になる。その枝に細い針金の輪を、たくさん結びつける。  ウサギが新芽を食いに来て首を突っ込むと、針金の輪に頭が入り込み、逃げようとしても、それが閉まるというのが ワナ の仕組みであった。  ペンケから峠

          北の果ての鉱山開発(野ウサギ獲り)

          北の果ての鉱山開発(熊狩り)

           昭和18年の晩秋の頃、ちょっとした騒ぎが起きた。  その朝、手稲から転勤してきて間もない坑内夫の一人が行方不明になった。  飯場の目と鼻の先の事務所に顔を出して、その日の作業指示を受けるのが決まりであったのに、顔を出さない。  飯場にもいない、という事であった。彼は、朝起きると近所に熊の足跡が有ると聞いて、密かに銃を持ちだし、熊を追ったのである。  それが分かったのは、だいぶ時間が経ってから、飯場の炊事婦がその事を告げたからであった。  鉱山主任以下、事務所では彼の腕前を

          北の果ての鉱山開発(熊狩り)

          発明品その4.5

          画鋲着脱補助具(改良品) 発明品4で投稿しました画鋲着脱補助具の改良品です。 令和5年2月に開催された、小山公民館サークル活動発表会に小山発明クラブも参加しました。    私も3点ほど出品しましたが、その1点が画鋲着脱具でした。(内容は発明品4をご参照下さい)  従来の公民館祭りとの比較では、全体的に規模が縮小されている事もあり、見学者の人数は若干少なめでしたが、2日間で100名以上の方々にご覧頂きました。  その中で、年配の女性の方にこの補助具の目的、使い方を説明しま

          発明品その4.5

          北の果ての鉱山開発(終戦直後4)

          目次 電線とヤギの乳 除雪と鰊のこと 戦後の終わり 電線とヤギの乳  戦後の乱れた時代、鉱山では治安係を設けて駐在さん、職組、労組の認定を得て鉱山内の自主的な治安維持に当たらせていた。  ある日、一人の治安係が聞き込んできた話は、次のようなものであった。 「数日前にペンケの請負業者の親爺が、電話で、「何メーター物何本、何メーター物何本」とパンケ側の人間に話していたのを聞いた人がいるとの事。  それまで、何度も電線を切り取られていたので、これはてっきり、その連中に

          北の果ての鉱山開発(終戦直後4)

          北の果ての鉱山開発(終戦直後3)

          目次 選鉱場の全焼 選鉱夫は坑内に 男の序列 たくましい鉱山長 選鉱場の全焼  昭和20年の初雪が降り出した頃、ペンケの選鉱場が全焼した。  その前年、パンケの小さな選鉱場が倒壊していたから、鉱山には選鉱場が無くなってしまったのである。   その日は、青空がきれいな日であった。12時を少し過ぎた時間であったが、「選鉱場が火事だ」と、事務所に飛び込んできた人があった。  出てみると、傾斜面に立つ選鉱場の右の一番上に白煙と、糸状の赤い炎が目に入った。  建物自体

          北の果ての鉱山開発(終戦直後3)

          北の果ての鉱山開発(終戦直後2)

          目次 友子の話 労働組合誕生のとき 職員組合とは 食料確保の手段 友子の話  少し話は変わるのだが、友子(抗夫の自主的な組織と簡単に言っておこう) ともこ と言うものに興味らしいものを持ったのは、敗戦の年である。   その年の12月12日、山神日であったが、パンケの選鉱場が倒壊して運搬夫が生き埋めとなる事故が発生した。斜面に立っている建屋が豪雪と、上部にある、鉱舎と言う鉱石を貯める場所の重さによって、一挙に崩れてしまった。  建屋の一番下で、鉱石を抜き出していた運

          北の果ての鉱山開発(終戦直後2)