盗賊と長老——『仏弟子の告白(テーラガーター)』を読む
テーラガーター(パーリ語: Theragāthā)とは、パーリ語経典経蔵小部に収録された上座部仏教経の一つで、全21章での構成、すべてで1279の詩が収められている。テーラとは「長老」、ガーターとは「詩句」のことで、「長老たちの詩」という意味。本書は、訳者の中村元が「仏弟子の告白」と意訳したものである。これらの詩は、男性である修行僧たちが自分で詠じたもの、あるいは詠じたとして伝えられているものも多いが、また他の人々がこれらの修行僧について詠じたものもある。実際の作者は多勢いたが、それらがある時期に一つに集成編纂されたものである。その編纂時期は不明であるが、おそらく紀元前5世紀末から前3世紀中葉ころであろうと推定されている。
これらの詩句には、仏弟子たちのみずみずしい感情と告白が表明されている。本人の心のうちでの苦闘、煩悶、それが解決されたときの喜び、ついで起こる清らかな心の静けさが、時代的距離を飛び越えて、私たちに迫ってくる。冒頭の引用は「二十ずつの詩句の集成」に収められたアディムッタ長老の詩である。刀や武器をもった盗賊の若者たちに囲まれて「俺たちは人を殺した」と凄まれるところから話が始まる。しかし長老はまったく動じない。その姿を見て盗賊が「お前はなぜおびえないのか、なぜそんなに澄んだ明るい顔をしているのか」と問う。それに長老は切々と答えるのである。
「望み欲することの無い者には、心の苦しみは存在しない。実に束縛が消滅してしまった人は、すべての恐怖を超越している。迷いの生存にみちびく妄執が消滅して、事象をありのままに見たときには、死にたいする恐怖は存在しない」と。覚りをひらいた涅槃(ニルヴァーナ)の境地を、分かりやすい言葉で長老は説くのである。その語る言葉の中身だけでなく、その人の語る姿、まったく動じず、光り輝くような空気をまとったその存在に感化され、盗賊たちは武器を捨ててひれ伏す。そして「どうしたらそのような〈悲しみのない境地〉に至ることができるのですか」と問い、ある者は出家の道を選ぶのである。
出来すぎた話と思われるかもしれないが、ブッダの弟子の一人であったアングリマーラはほぼ同じ状況で弟子となっている。アングリマーラはある事情から殺人鬼となり、100人の指を集めることを目指していた。99人を殺し、100人目に出会ったのがブッダであった。剣を抜いてブッダに斬りかかろうとするも、ブッダの姿は遠ざかるばかりだったという。「立ち止まれ!」とアングリマーラが叫んだとき、ブッダは「私は立ち止まっている。しかし、あなたは立ち止まっていない」と答える。ブッダが意味したのは、あらゆる命あるものに対して暴力を抑制するという意味で「止まっている」ということであった。しかしアングリマーラの心は暴力と怒りに満たされ、止まることを知らない。そのことを指摘され、アングリマーラは気づきを得て、ブッダの弟子になることを決めたという。
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