鐘堂随斬(空手2.0)
自選
私は20代のおよそ10数年を空手の研究に捧げました。再現性という観点から、未だ不十分であると感じられたためです。 再現性とは、「誰がやっても同じ結果になる」ということであり、また、そうでない限り、全員に紹介するに足るものであると言うことはできないでしょう。私が空手を始めた動機は「体の動くうちにやっておきたい」という事でしたが、これを手放すにあたり、「そのもの」をやらなくてはいけません。 「そのもの」とは一体なんでしょうか? 本来、ある科目とそうでないものとの間に隔たりはなく、
武道は"きを遣う"技法で有るが、"きを遣う"事が人生の全てでは無い。したがって武道の"指導者"を先生などといって崇め奉らない方が良い。彼は単なる個人で有り、ヒト個体の生はそれぞれ完全に独立して居る。(知人に留めておく方が良い。)
世の学者のレベルは越えていると思うがようやっとコンテンツとして成立するレベルなので多くの学者は滅んで良いと思う(実際出て来ないが)。
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なかなか音が良い 4.24 カート・コベインのバンドがカバーしてた曲に似たやうなのがあるな
乱取りという行為が有る。 その本質は(異なる立場の)相手に与えるという事で阿る 与える-与えられるという事は立場を異にしている (真)空手が(4320種の)原型性を扱うのに対して、異なる立場のやり取りは異種間のコミュニケーションであり、全く異なるものである これを行為者の実生活に即して行う(または行わない)のが真実で有り、コントロールは自らが行うものである 無敵の本質である #読めば判る
形をやるという事ほど愚かなものは無い それは本人の自律性を殺す
乱取りの本質とは全員に対する信頼で有る。
私の研究テーマは「真の空手とは何か?」で有り、形と機能との統合という事だった そして成果物を真空手として表示した #真空手
1.私は空手を10年やって(私の考える)空手の本質というものを言えるのだが、それは 健康かどうかか全て という事である したがって、健康であれば先人の型で遊ぶ程度でも良いのだが、 真に健康ではない(=狭い意味で不健康)となるケースが有る 2.まず、既存の空手の流派は狭い意味でほぼ全て原型性から外れている。(広い意味では(おかしくない限り)人間の行為は全て原型で有る) 流派を創始したかどうかとかいう事では無くて、人間生理的に原型かという事で有る 私は3年前にこれを発見し
ToolのTAB譜を読んでるけど宇宙人からの信号を受け取っているみたいで笑う
続き (指導者の(社会的な)生活がかかっている為 俺はそこを否定した) 指導者のいらない空手
真空手の教材作りが動き始めた 1年でできるかな (時間があれば1ヶ月で終わる) 撮影は秋までだねぇ いちおう後進の皆さんの役に立つでしょ 俺に言わせれば既存の空手はぜんぶ未完成だから すべての空手は人間関係に捉われていると言っても過言では無い #人間関係からの脱却
真空手の型を復習したけど面白かった(小並感) 発表して忘れたい
NAD高のトップ合格者とか理III合格者を知ってるけどちょっとキxガイっぽかった 学歴はあまり当てにならない
戸籍制度は成熟した人間を前提とするが、20歳で成人などという人間生理を無視した物言いに愚かで有る。