毎朝、毎夕、カラス語で、カアカアと会話しているカラス🐦⬛ 気がついたら、この青いトマト2個が無かった! 雨が続いて、畑に入れないのもあったが、カラスは賢いと言うし、人間も賢く知恵を絞らなければ。この後とりあえず家にあるネットを応急処置で張ってはみた。しばらく様子を見てみよう。
底辺層にいるのも悪くない 生まれながらに毒親に虐待されてるのも 長い目では悪い事ではない 歌い手活動を始めたときから 徹底してローコスト戦略 お金だけじゃなく労力も節減 『あたしに出来るのは歌うことだけ』 他の作業は徹底的省力化 底辺層ならではの戦略性 おかげで長く続けて来れた
頭は良くならないのに、 賢くなるための秘術みたいな本や記事が大量生産されている。 正直、無味乾燥な内容ばっかりだと思う。 本当に頭を良くしたいなら、他人任せより自分主体でやっていくしかない。 どっかの自称知識人のペラペラな 話を聞いているよりも自分自身で 切り開かないと。
賢いフリとかしたくない。 難解用語をべらぼうに使ったり、長文をタラタラとかくのがその一例。しかし、読んでくれる人に理解されないと 何も通じない。 やっぱり、素の自分自身の言葉で 作品とか意見を書いていくしかない。 所詮、自分が賢いと感じたら、何もかもジ・エンドに陥る。
賢い人は、徹底的に楽天家であるー鉄鋼王 アンドリュー・カーネギー 賢い人は、例えクレームが来ても考えるよりも先に行動する 賢い人は分かっている。前向きに行動を続けていれば、自分の能力が最大限に発揮出来ることを。 後ろなんて振り返らない。 前だけ見てれば前にしか進まないから
僕は、頭良い人じゃないから賢い人の作品や記事や発言を読むと、自分の才能のなさに飽き飽きしてしまう。だけど、それでいいんだと思う。まだまだ改善するところがあったり、自分に満足したりする暇がない。そういう点は、長所であり自分自身の活力や源でもある。まだまだだよね?自分自身の限界点?
頭の良さも大事だけど、様々な人の考えをワンクッション置いて受け止める頭の柔らかさも大事。 よく有名大学卒の人がろくでもない発言をペラペラとSNSに載せているのをみて、『あぁーどんなに頭が良くても考えが破茶滅茶な人がいるんだな?』と ついつい感じてしまう。 ああいう人ってねぇーー?
noteの記事を読んでいると、難解な言葉を多用しているのに、伝えたいことがちんぷんかんぷんな記事が多い。 あと、タイトルがいちいち過激なのに中身がなんじゃこりゃ?で、 タラタラダラダラと文を連ねている記事もある。 ハートやレビューの為なら、なんでもありならそれはNONOな行為だ。
クリエィティブって結局なんだろうかと思う。 お金を稼げること?技術を学べること?人生を豊かにすること? そこんところが曖昧すぎる気がする。 よく常套句のように使われているが、 ちゃんと意味とか理解している人は いるだろうか? カタカナ語で頭良さげなワードだからと考えているかもね?
【肖像】強くもなく賢くもなく優しくもできない自分は、ただニッコリと笑うだけ。