かいわれのせか

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かいわれのせか

大学院中退。主に、音楽、文學について、書いています。 お仕事の依頼は、bacte215@gmail.com、まで。 noteで、『黒木渚論』―黒木渚、そのイニシアチブに沿って―、『黒木渚論』―黒木渚、その芸術的可能性―、その他、発売中。

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    安部公房に関する、印象批評的論集。

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『黒木渚論』ー黒木渚、その孤高とユーモアについてー

『黒木渚論』ー黒木渚、その孤高とユーモアについてー かいわれのせか 『はじめに』 今回の本論、ー黒木渚、その孤高とユーモアについてーは、まずこの文章を【序説】とする。【第一章】は、様々な角度から、黒木渚について述べてみた。どこにも発表していないものばかりである。また、【第二章】は、やはり、今迄通り、エッセイ調である。『黒木渚、MVに見る動き』、『黒木渚論・・・その位置』、『黒木渚さんの、グッズ、行灯』、の3論は、既出のものだとお伝えして置く。【最終章】は、『おわりに』と

    • 安部公房ー安部公房論、30論、その総括と、目次ー

      安部公房ー安部公房論、30論、その総括と、目次ー ㈠ 安部公房論を、30編書いた。これで、目標の到達である。長い様で短い時間だったが、必死に頑張れたのも、読んで頂いた方々がいらっしゃったからである。本当に、感謝の意を、心から、申し上げる。安部公房論は、実直に言えば、やはり舞台裏の評論やエッセイから、小説の裏を取る作業が非常に楽しかった。安部公房の方法論を知る事、それが最大の目標だったからである。これにて、安部公房論を、終えようと思う。以下、目次とする。 ㈡ ①安部公房

      • 安部公房ー安部公房論から読み解く、安部公房、その生涯ー

        安部公房ー安部公房論から読み解く、安部公房、その生涯ー ㈠ 安部公房文学を思考する時、まず敷衍しなければならないのは、安部公房が幼少年期を満州で過ごした、ということである。この原風景が安部公房に影響を与えたことは間違いないし、安部公房論を読み解くなかで、度々、満州の影が落ちているのを発見するのだ。日本文学史として考えれば、異端とも理解出来るし、それは台湾の埴谷雄高とて同じことだ。しかし、両者ともに、日本文学史のなかで、非常に重要な役割を担って居る。外から見た日本、という客

        • 安部公房ーカンガルー・ノート、の位置ー

          安部公房ーカンガルー・ノート、の位置ー ㈠ 1991年に発表された、『カンガルー・ノート』、これが安部公房の最後の小説とされてる。この小説を、高校生の時読んで、まさに衝撃を受けたのであるが、とにかく、変わっているのである。例えば、埴谷雄高も最晩年は変人と言われていたようだが、この『カンガルー・ノート』を読む限りにおいて、安部公房も、少し変人と呼ばれてもしかたないくらいの、内容を持っているのである。しかし、文体や構造に乱れはない、ただ、内容が、余りに前衛的過ぎる、と言った感

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        『黒木渚論』ー黒木渚、その孤高とユーモアについてー

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          安部公房ー砂の女、の成立背景ー

          安部公房ー砂の女、の成立背景ー ㈠ 安部公房の『砂の女』は、昭和三十七年に発表され、フランスの最優秀外国文学賞を受賞した、安部公房の、云わば、最高傑作である。と同時に、代表作でもある。この作品の成立背景としては、『砂漠の思想』に、「砂漠には、あるいは砂漠的なものには、いつもなにかしら言い知れぬ魅力があるものである。」というように、安部公房が幼少年期を砂漠的な満州ですごしたという体験が、大きく影響していることは確かである。しかし、それだけでなく、『砂の女』の成立には、丁度、

          安部公房ー砂の女、の成立背景ー

          安部公房論/推移 安部公房論を、26論まで書き上げることが出来た。あと、4論、たいたいの目途は立った。こうして書いていると、安部公房は、非常に計算高い小説家だと思う。無論、本当に良い意味で。視力の減退もあるが、とにかく、あと4論は書きます。

          安部公房論/推移 安部公房論を、26論まで書き上げることが出来た。あと、4論、たいたいの目途は立った。こうして書いていると、安部公房は、非常に計算高い小説家だと思う。無論、本当に良い意味で。視力の減退もあるが、とにかく、あと4論は書きます。

          安部公房ー『箱男』論、その2ー

          安部公房ー『箱男』論、その2ー ㈠ 『箱男』論を進めているが、本当に変わった小説だと思う。変わった、いや、寧ろ、異常な世界観だと思う。こう言う小説を、映画化するには、かなり難しいことだと思うが、映画『箱男』が完成しているという事で、とても楽しみである。ところで、安部公房は、この小説の構造を、つまり方法論を、ほとんど隠した侭、それこそ箱男の様にして、読者を煙に巻いている。所謂、実験的小説だとも言え、その実験が見事に成功した小説だとも言えよう。話が、少しずつ断片的に述べられて

          安部公房ー『箱男』論、その2ー

          安部公房ー『箱男』論、その1ー

          安部公房ー『箱男』論、その1ー ㈠ 安部公房生誕100年、そして、『箱男』の映画化、今年大注目の、安部公房論を書いて来たが、いよいよ、『箱男』について、考察する準備に入った。この『箱男』というタイトルからして、抜群に面白いのだが、内容もかなり変わっていることは、もう周知の事実だろう。しかしそれでも、『箱男』について書くとなると、それなりの読み込みが必要だった。安部公房にとって、箱男とはなにか、箱男にとって、安部公房とはなにか、そんな思考すら浮かぶ程に、『箱男』は強烈である

          安部公房ー『箱男』論、その1ー

          安部公房ー随筆集、鞄(笑う月)に関してー

          安部公房ー随筆集、鞄(笑う月)に関してー ㈠ 安部公房の随筆集、『笑う月』からの『鞄』という随筆の抜粋に取り掛かる。それにあたって、今回で、随筆集『笑う月』の考察も、一旦終了となることを述べて置く。ただ、『発想の種子』に関しては、『箱男』との関連が見られるので、後論で抜粋することを、明記して置く。安部公房の随筆とくれば、多くの人が食い付くと思われる。自身も、昔から考えると、この随筆集を何度読んだか分からない程だ。それでも、こうやって考察という形で読解すると、また異なる発見

          安部公房ー随筆集、鞄(笑う月)に関してー

          安部公房ー随筆集、発想の種子(笑う月)に関してー

          安部公房ー随筆集、発想の種子(笑う月)に関してー ㈠ 随筆集、『笑う月』から、『発想の種子』という随筆を考察する。とは言え、この『発想の種子』、後半が『箱男』について述べられているので、その箇所は後に論ずる『箱男』論で引用するとして、それ以外の箇所を引用して考察してみたいと思う。この『発想の種子』も、安部公房の思想や、文字通りの発想が述べられていて、非常に興味深い。何を必要とするかは、読者によって様々だが、安部公房の創作の裏取りたい自分としては、こういった作品は、喉から手

          安部公房ー随筆集、発想の種子(笑う月)に関してー

          安部公房ー随筆集、笑う月(笑う月)に関してー

          安部公房ー随筆集、笑う月(笑う月)に関してー ㈠ 安部公房の随筆集、『笑う月』には、17編の作品が、収められている。その中から、『笑う月』、『発想の種子』、『鞄』の3つを、取り上げて、考察しようと思う。随筆集『笑う月』は、『箱男』の二年後に、発表されている。或る意味、もうほとんど、安部公房文学の形式が成り立った頃の、作品であって、この随筆集からは、余裕すら感じる、という訳である。そしてまた、舞台裏の安部公房が顔を出し、小説を書く時のヒントの様なものを述べているから、尚更、

          安部公房ー随筆集、笑う月(笑う月)に関してー

          安部公房論を、取り敢えず、30論まで終わらせて/日々 安部公房論を、取り敢えず、30論まで終わらせて、次に吉本隆明を読んでいたい。と言っても、安部公房を離れる訳ではなく、今年一年は、映画『箱男』もあるし、安部公房を楽しみたい、と言った感じだ。云わば同時並行して、物事を進めたい。

          安部公房論を、取り敢えず、30論まで終わらせて/日々 安部公房論を、取り敢えず、30論まで終わらせて、次に吉本隆明を読んでいたい。と言っても、安部公房を離れる訳ではなく、今年一年は、映画『箱男』もあるし、安部公房を楽しみたい、と言った感じだ。云わば同時並行して、物事を進めたい。

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その4ー

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その4ー ㈠ 『飢餓同盟』論も、その4を迎えた。その本質的魅力を、考察をするために、随分『飢餓同盟』を読み込んでいるが、やはり、安部公房文学の起点になっているがためか、非常に重要箇所が多いのである。それも、安部公房が商業的に売れ出す頃、と言えば適切か、『壁』から数年後のため、人生における或る種の勝負魂の様なものが、随所に見られ、これは、安部公房が文学と戦っているな、という感じのする、気合の入った小説なのである。その3までで、述べて来た様に、この小

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その4ー

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その3ー

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その3ー ㈠ 今回で、第3回目を迎える、安部公房の『飢餓同盟』論であるが、今回で終わる感じではない。まだまだ、続きそうである。というのも、この『飢餓同盟』という小説、何かいたる所に、場所や人間の壁があって、複雑な構造を持っていて、しかしストーリーも破綻せずに、実直に描かれている小説だから、考察にも、非常に気が入り、また、読んでいて素直に面白い小説なのである。複雑怪奇とでも言えば適切だろうか、そんな雰囲気を持っている。論に進もうと思う。 ㈡ 第

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その3ー

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その2ー

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その2ー ㈠ 安部公房の『飢餓同盟』論も、その2に、入ろうとしているが、なかなかに、今迄読んで来た安部公房の作品とは、傾向の乖離があり、同時に、この作品が安部公房が書いていなかったとしても、つまり他の誰かの小説だったとしても、これも明らかに斬新な手口で創られたものだ、と言わざるを得ないだろう。だからこそ、考察のし甲斐があるということになるし、また、困難な壁にぶち当たりながらも、その本質を知るために、努力しようという気になるものだ。今回も、『飢餓同

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その2ー

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その1ー

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その1ー ㈠ これまで、評論やエッセイ、また、初期の短編集などを考察してきたが、『壁』論も無事に事は運び、作品論としての、『飢餓同盟』論を、買いてみようと思う。そもそもが、自分は、安部公房のファンではあるが、『飢餓同盟』を読んだことは一度もなかった。手元にはあったので、タイトルは勿論知っていたが、何故か読み進めることがなかったのである。しかし、その原因を探ったところで、どうにもなるまい。書いてみようと思ったが最後、論は書き始められなければならない

          安部公房ー『飢餓同盟』論、その1ー