見出し画像

安部公房ー随筆集、発想の種子(笑う月)に関してー

安部公房ー随筆集、発想の種子(笑う月)に関してー

随筆集、『笑う月』から、『発想の種子』という随筆を考察する。とは言え、この『発想の種子』、後半が『箱男』について述べられているので、その箇所は後に論ずる『箱男』論で引用するとして、それ以外の箇所を引用して考察してみたいと思う。この『発想の種子』も、安部公房の思想や、文字通りの発想が述べられていて、非常に興味深い。何を必要とするかは、読者によって様々だが、安部公房の創作の裏取りたい自分としては、こういった作品は、喉から手が出る程、必須の作品なのである。

例えば、この様な箇所を引用してみる。

○責任ー共同体のモラルに解消してしまえば、いかなる個人の罪も許される。(戦争と殺人の関係)

『発想の種子』/安部公房

こう言った格言は、安部公房の小説の裏にある、大切な思考である。例えば、共同体、という言葉、これは、今迄の安部公房論でも述べて来たが、個人の対極にあるものであって、安部公房の不得意とするものである。ならば、例えば、共同体の罪の発想が、その罪の量刑が、客観性ではなく共同体の中での判断ということが、重要になって来る。村八分じゃないが、その罪の意味が変容してしまうのだ。逆に、戦後日本は、戦争に負けたために、共同体のモラルがアメリカの憲法になっているため、例えば東京軍事裁判などでは、敗戦国が故に、戦争責任として、個人の罪が追及されてしまった。(戦争と殺人の関係)とは、そのことを言って居る。何れにせよ、安部公房の、重要思想であって。『飢餓同盟』でも述べた、共同体というものに、不向きな安部公房が垣間見れる。

次も、重要箇所を引用してみる。

○都市ー墓場のカーニバル。厚化粧した廃墟。

『発想の種子』/安部公房

都市、についての言及。この、「墓場のカーニバル。厚化粧した廃墟。」という発想は、『砂漠の思想』を読んだものなら、直感的に、何が言いたいかが分かるはずである。つまり、砂漠と対極にある都市が、安部公房には、「墓場のカーニバル。厚化粧した廃墟。」と写ってしまうのである。これは、以前の、安部公房論でも述べたが、幼い頃の満州での体験が関連していることは明白だし、何とも言えない、発想の種子だと思わざるを得ない。何なら、「墓場のカーニバル。」や「厚化粧した廃墟。」という言葉は、其の侭小説のタイトルにでも出来そうな、センスのある言語発想である。改めて、安部公房の言語的力量を感じさせられるし、それこそ、『発想の種子』、というタイトル通りの、エッジのきいた発想そのものだと、読んでいて感嘆する、という訳なのだ。

さて、安部公房ー随筆集、発想の種子(笑う月)に関してー、として述べて来たが、安部公房はやはり、こう言う随筆を読んでいるだけでも、天才の位置に居ることが充分に伝達されてくる。素晴らしい、とかその様な言葉では済まされない、四方八方、何処から見ても、抜群に想像力豊かな、最上位に居る小説家であると思う。とくに、この『発想の種子』は、文章の書き方のセンスもあるし、知性もユーモアも含蓄された、最高の随筆である。次の回では、『鞄』について述べるが、今回の、安部公房ー随筆集、発想の種子(笑う月)に関してー、においても、自分としては、より一層、安部公房文学に近づけたと思い、嬉しく思って居る。ここで、安部公房ー随筆集、発想の種子(笑う月)に関してー、を終えようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?