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安部公房ー砂の女、の成立背景ー

安部公房ー砂の女、の成立背景ー

安部公房の『砂の女』は、昭和三十七年に発表され、フランスの最優秀外国文学賞を受賞した、安部公房の、云わば、最高傑作である。と同時に、代表作でもある。この作品の成立背景としては、『砂漠の思想』に、「砂漠には、あるいは砂漠的なものには、いつもなにかしら言い知れぬ魅力があるものである。」というように、安部公房が幼少年期を砂漠的な満州ですごしたという体験が、大きく影響していることは確かである。しかし、それだけでなく、『砂の女』の成立には、丁度、安部公房が小説家として、円熟味を増していた頃の事だ、という事実もあり、まさに、安部公房と言えば、『砂の女』と言えるくらいに、安部公房文学には欠かせない小説なのである。

しかし、この砂の女、という言葉は、一つの思想でもある。丁度、流れ着いたどこかで、女と男が生活する、そういう、砂の女という現象自体に、既に多くの意味が込められている。砂の女と出会う、男は、男が見つけた女ではなく、砂の様に流れ着いた女が、男を見つけるのだ。そして、共同生活が始まるのである。こういう事態に、男というものは、何かしら不可思議なものと、同時に、砂の女への愛着を感じるものだ。この小説の成立背景としては、やはり芥川賞の『壁』の様な、逃れられないものへの無力、足掻き、苦しみ、というものがあるだろうし、『砂の女』の新しさは、そこに定位を見たことだろう。

そして最後の言葉を引用する。

逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである。

『砂の女』/安部公房

この諦観は、不幸という言葉には当てはまらない。もう、ここに定位しても良いというある種の幸福感である。或いはこういってもいいだろう、「逃げる必要もない」という風に。砂の女との出会いのなかで、生活を手に入れた主人公は、幸福を見つけている。初めは、狂気じみた展開に発狂しそうになっているが、慣れてしまえば、そこが住処となるのである。こう言う思想が看取出来やしまいか。すると、安部公房は、自身の満州体験を基にして、壮大な幸福文学を描いたのだと言えよう。

安部公房ー砂の女、の成立背景ー、として述べて来たが、一つは、幼少年期の満州での暮らしを題材に取っていること、もう一つは、壁という問題から、そこに定位して幸せを見出す方法を見つけたこと、この二点があるように思われる。この安部公房という小説家は、或る意味、大思想家でもあるとは言えやしまいか。『砂の女』が海外で多くよまれたということは、この日本の一小説家の思想が、世界的に見て、実に新しく、また、普遍性を持っていたということになろう。ここに、日本文学における、一つの頂点が見受けられる。我々は、この『砂の女』を超えることは出来ない。ただ、読んで、感銘を受け、思想を受け取るのみである。安部公房ー砂の女、の成立背景ー、として述べて来た本論もここで終わるが、今一度言って置きたい、『砂の女』という小説無くして、日本文学の発展はなかった、という風に。

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