道子カレンモ

日本語教師→青年海外協力隊でタイ🇹🇭チェンマイ→乳飲み子👶たチェンマイ大学院non-fo…

道子カレンモ

日本語教師→青年海外協力隊でタイ🇹🇭チェンマイ→乳飲み子👶たチェンマイ大学院non-formal education 学科で学ぶ→テレパシーを使うカレン族と暮らす→信州で一家6人+🐐🐂🐓自給自足15年(自宅出産3回)ナチュラル生活極める→チェンマイリトリート案内人カレンモはカレン名

最近の記事

フードコートを侮るな!

 牛丼が食べたければ牛丼屋へ ラーメンを食べるならラーメン屋へ ラーメン屋に牛丼は(たいていは)ない。 日本に住んでいる人なら当たり前に知っている。 寿司屋にたこ焼きも、たぶんない。 同様に、タイでも クィッティアオ(米の麺類)は クィッティアオ屋で お粥はお粥屋でしか食べられない。 カオパット(焼き飯)はカオパット屋、 というか炒め物屋で。 そこにはパッタイ(炒め麺)は あるかもしれないが、汁の麺類はない。 でもそんなことは最初は知らなかったし 今の自分には当たり前に

    • チェンマイ案内します!「枠を拡げたい人」だから

       枠を拡げたい。 自分を取り巻く世界とか常識とか 当たり前とかの、 枠。 それが自分のやりたいことなんだと思う。 まずは自分に対して。 自分のことも自分以外のことも いろんなことを知りたいし 知らなかった世界を見たい。 当たり前が当たり前じゃなかったことを  たくさん感じたい。 その上で、 ご縁のあったどなたかの分も 拡がるお手伝いができたらいいなと思う。 チェンマイへのリトリートを ライフワークにしたいと思っているのも セッションをしているのも 文を書くのも 突き詰める

      • 臍の緒は竹のナイフで

        自宅出産も三回目。 出産自体は四回目の時のことだ。 毎回都度都度の不安はあるものの 準備は少しずつ整ってきていた。 例えば、臍の緒の処理。 今回も、臍の緒を切るのには ナイフを作った。 初めて自宅出産をした長男(第二子)の時は、 カレン族のおじさんから お手製のナイフを プレゼントしてもらった。 第三子の次男からは 日本で生まれているので 夫のお手製だ。 竹は殺菌力が高く 細かい繊維でできているので 繊維に沿ってナイフを作ると ステーキを切るナイフのように 刃先が細

        • いちごポッキーから自宅出産へ

           4人の子のうち3人を 自宅で産んでいるのだが 最初からそんなことするつもり だったわけじゃなかった。 タイの大学院生だった時の1人目出産。 出産の「し」の時もわからないから まずは日本の妊婦さんが読む本を 何冊も買って行って読んだ。 一通り流れがわかって 何の話かわからようになってから 今度はタイ語の出産本で単語を覚えた。 胎盤とか陣痛とか会陰切開とか。 出てくる時は相当痛いらしいから、 赤ちゃんがお腹にいる間は 体重をあまり増やさずに 甘いものを食べるのも控えておこう

        フードコートを侮るな!

          拝啓すいか様

           まだ終わったとは言いたくないけれど、 もうさよならの日が 見えてしまった。 この夏はよく すいかを食べた。 ほとんど一人暮らしだったおかげだ。 ここ数年は、 すいかの食べ方が わからなくなっていた。 子どもたちが小さかった頃は みんなで縁側で、庭で、河原で、 一緒にすいかを食べるのも 夏の醍醐味のひとつだった。 けれど中学生高校生になってくると、 日中は誰かしら(もしくはみんな) 家にいない。 みんな揃うのは夜遅くだったりする。 できればすいかは みんなで一緒に食

          生まれる瞬間は何してた?自宅出産上の子たちは

           産んだわたしからの目線で 記したものである。  三者三様。 この場合の「三者」は 上の子どもたち三人のことだ。 「三人(三回)の出産に立ち会った お父さんの記録」 ではなくて、 「末っ子の誕生に 姉弟三人がどんなふうに立ち会ったか」 の記録である。 四人目とあって、 後から思い起こせば 陣痛時間は短かった。 母子手帳の記載は14時45分。 陣痛が始まったのは お昼前だったと記憶しているから わずか数時間で生まれたことになる。 その前の出産や、 タイで蠍に刺され

          生まれる瞬間は何してた?自宅出産上の子たちは

          出産前の遺書

           四人目にして三回目の自宅出産。 四人目ともなれば もう手慣れたもの‥ とは、 なるはずもない。 何回経験しても、 きっと毎回新しい。 四回目の出産にあたり 夫(当時の)からは 「遺書を書いてほしい」 と 頼まれていた。 それもそうだ、と思った。 万が一わたしに何かあった時 まだ幼い子どもたちに メッセージは残しておきたい。 そこで、 出産時に何かあって わたしが命をそこで終えた場合を想定し 子ども達への手紙を書き始めた。 「まずは わたしたちの子どもになって

          出産前の遺書

          うちのパンちゃん ニワトリの雄たちよ②

           うちで生まれたそのオンドリは パン、という名前になった。 バターのたくさん入った 高級食パンのように ふんわりしていて、 淡いクリーム色をしていたからだ。 卵を産ませるための品種、 というものがあるのだろうか。 卵が目的で飼われているメンドリたちは 自分で産んだ卵を温めない。 もっとも、 卵を抱え込んで温めていたら、 次の卵を産まなくなる。 ペットとして飼っているわけ ではないのだから、 人間としては、それは困る。 そういうわけで、 卵は新鮮なうちに 産むそばから人間

          うちのパンちゃん ニワトリの雄たちよ②

          闘うべきか、闘わざるべきか? ニワトリの雄たちよ①

          「竹ぼうきを持って ニワトリと闘ってたイメージしかない」 先日、10年ぶりに会った同級生が 10年前に我が家に 遊びにきてくれた時のことを 振り返ってそう言った。 わたしのことである。 そして比喩ではない。 決していじめでもない。 飛びかかってくるオンドリから 身を守っていたのだ。 牛  山羊 ニワトリ チャボ カモ ウサギ ハムスター  金魚  カメ (表記は何となくしっくりくるほうで) 人間は.子ども4人に大人2人。 当時のフルメンバーだ。 動物たちはそれぞれ

          闘うべきか、闘わざるべきか? ニワトリの雄たちよ①

          エセ4人組研究家 共通点と相違点

           近ごろ4人組が気になっている。 高校時代の4人組 高校生からの時の仲良し4人組。 牡牛座、乙女座、山羊座(わたし)に 1人が獅子座。 獅子の彼女は とても真面目な性質なのだが 見た目や言動に華があり、 安物は似合わないタイプ。 それを土星座組3人で 「女優」などと といじるのがお決まりのパターンだ。 地のエレメントの星座(それも全員別)の 三角形の調和の中に、 ひとり火のエレメントの獅子座なんだなぁ、 というのは、 高校時代から気づいていた。 先日ふと思い立って

          エセ4人組研究家 共通点と相違点

          山羊座が感じた山羊のポテンシャル②不思議のセカイ

           山羊の顔を しっかり見たことがあるだろうか。 何度見ても不思議な目。 なんでこういう形なの? 貯金箱のよう。 真横に四角い瞳孔が広がっている。 なんでも肉食動物から身を守るため、 草原で広い視野を持つように パノラマ仕様になっているらしい。 パノラマ✖️顔の両側で ほぼ360°カバーするのだそうだ。 そしてあの逞しい歯と顎。 痛くて素手で持つこともできないアザミや 小枝でも平然と咀嚼する。 ヨモギは苦くはないのだろうか? その表情は、 いつもほとんど変化がない。

          山羊座が感じた山羊のポテンシャル②不思議のセカイ

          山羊座が感じた山羊のポテンシャル①

            みなさんは、山羊に どんなイメージをお持ちだろうか。 童謡の山羊さんといえば 目の前に紙があれば、中身も読まずに うっかり食べてしまうような 天然おっとりさん。 星読みの世界では、 山羊座は 着実に社会的成功を目指す 「陰の王」のような存在と言われている。 わたし個人の感想では、 この西洋占星術の山羊は かなり実際のイメージに近いと思う。 山羊は実は非常に賢く 秘められた能力は底知れない。 シートン動物記の『狼王ロボ』の中にも 牧場主が羊の群れの中に 山羊を数頭

          山羊座が感じた山羊のポテンシャル①

          山羊座が書いた山羊の話

           わたしが生まれた時 太陽と金星は山羊座にいたようだ。 逗子で生まれ育ち、 きっと一生その周辺で生きていくのだろう と思っていたのに ご縁あって信州に暮らして20年余。 そろそろその長さは 逗子時代に追いつこうとしている。 そのおかげで、山羊を飼うという 経験もできた。 「山羊座だから、いつか山羊を飼ってみたい!」 という憧れがあったわけでは 全く、ない。 降って湧いたような、 突然のご縁からである。 突然の‥ 人生の中で、かなりの割合で しかも大きなイベントであれば

          山羊座が書いた山羊の話

          オシドリ夫婦のカモの話

           そのカモは フォアグラになる運命の種で、 知り合いの知り合いからもたらされた。 「飼えなくなった人がいるんだけれど、 この家なら なんでも飼ってくれるよね?」 なぜそんな横暴を許したのかというと、 その当時わたしたち一家は 信州の山奥の村で 牛  山羊 ニワトリ チャボ カモ ウサギ ハムスター  金魚  カメ (表記の漢字とカタカナはしっくりくるほうで) と一緒に暮らしていたからだ。 一組のつがいのカモ。 最初は、 オシドリ夫婦というくらいだから カモも夫婦仲が良い

          オシドリ夫婦のカモの話

          人生で一番嬉しかった日〜ヒプノセラピー〜

          「今までの人生で 一番嬉しかった日に行ってください」 子どもの頃かな? 無邪気に遊んでいた頃とかが 出てくるんだろうか‥? 顕在意識にまだそんなことを浮かばせながら わたしはだんだんと その日の方へ向かって行った。 当時ヒプノセラピーは 裏メニューだったらしい。 カフェを営む傍ら マヤ暦講師や整体やマルシェの開催や‥ 超多忙超多才なKさんのセッション。 なぜか そこにアクセスできてしまったわたしは、 様々なシンクロの末に 初対面のKさんの施術を受けることができた。

          人生で一番嬉しかった日〜ヒプノセラピー〜

          ハムザップのハムスター

          娘が小さい頃 飼っていたハムスターたち。 あんなに小さくても それぞれに性格の違いや 個性を感じさせてくれた。 あるハムは 回し車をしばらく走ると、 必ず立ち止まり、 「あー、ずいぶん頑張った! ずいぶん遠くまで来たんだろうな〜」 とばかりに キョロキョロと辺りの風景を確認する。 えっ⁉︎えっ⁉︎どーゆーこと⁉︎ おかしいじゃん!あんなに走ったのに なんでまだここにいるの⁉︎ というのを 毎日何度も繰り返していた。 また別のハムは、 回し車を遊園地かジムかのように 使

          ハムザップのハムスター