自分では押せない背中のボタン。 僕らは社会で生きていて、言葉とコミュニケーションがあるから、他人の悲しみを和らげることも出来ます 例えば、背が小柄なら「省エネ」とか、ふくよかなら「ぽっちゃり」と、別の視点を伝えます。 それは、本人は手が届かない、背中のボタン。
僕らは、自分が望むことを相手に行えず、望まないことをしてしまうくらい、仕事などで真剣になると相手のことを考えられなくなるなぁと、再確認しました。 けど、意識すれば変えられますね。 https://note.com/witty_worm8841/n/n19ab614c2b66
対人関係の悩みで何も起きていないのに起きるかもと言う妄想で悩む事がある。そしてそれは実際の悩みじゃなくて全て自分の思い込みで妄想ですよって事がある。しかも悩んでる時はそれが事実に見えるから判断がわかりにくい時もある。だから自分の悩みを客観的に見る事って大切。
コールセンターあるある。自分の要求が通らなかったとき、非のない相手に暴言を吐く人がいる。知らない相手からでも傷つくし、電話の切り際とか予期せぬタイミングだと無防備な心へのダメージ大。そうかと思えば別のお客様からのありがとうで回復したり…感情起伏が忙しい仕事。言葉の力は大きい🦔
環境の変化、別れの時期。これからも繋がっていられるために何かしたい、贈り物とか食事とか。でもこういう時に限って疲れてて何もする気が起きない。言葉で伝えるだけじゃダメな気がして、結局贈り物どころか言葉すらないまま、さよなら。これだから切れていってしまうんだろうな…せっかくの縁も。
人の助けなしには生きられない障害者だけど、自分をカームダウンさせて自分なりに情報を消化するために1人になる時間がどうしても一定数必要で、その塩梅がとても難しい。 いつも人と一緒にいても平気な障害者もいるので、自分の特性に悩まされる。