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私の近所には叔父がいた。叔父はお見合い結婚したみたいで、口うるさい叔母さんが愚痴をいっぱい吐いて肩身が狭いようだった。 しかし叔母さんが腎臓の病気で亡くなってしまった。叔父さんは口うるさいと思っても、いなくなって初めて連れのありがたみを感じた、と言っていた。 結婚は幸せでしたか?

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母親か聞いていなかったのか、成人するまで普通の家族と思っていたようです。義父は夜になると、相手の家に行っていたので疑われる事もなかったのでしょう。驚いたでしょうね。お墓の場所を教えて欲しいと私とメール出来るようアドレス交換して別れました。もう一人の方とはお会いできませんでした。

新盆の提灯は白い。葬儀屋さんがつけてくれた。私はお盆に詳しくなかったが、義母は良く知っていたので、張り切っていた。一昔前はお供えは本物の胡瓜と茄子で牛さんとお馬さんを作ったが、今は可愛いものが売っている。1つ1つ購入しなくてもセットで売っている。体験してみると意味があって面白い。

実家の不動産売却は窓口を一つに絞る専任媒介契約にした。当時は引っ越しの片付けも義父の事、お墓や法事の事等含めて同時進行。見積もりは3件依頼、あまり差がなかったので、大手の会社にお願いした。45年あまりメンテナンスしなかった家は数字が付かないが、勝手に解体しない方がいいそうだ。

税金の怖さを感じた。税務署は容赦ない。どんな理由があるとは言え、もわかる。知り合いの司法書士の先生に何で住民票を直ぐに移したの、と言われた。実際、義父がこんなに早く亡くなると思わなかったし、土地を売却する時には義父の名前で不動産契約したし、今となっては不運と思うしかない。

大学病院で検査の日、ぐったりだった。予約があっても、かなりの待ち時間。本当に具合が悪い人は大変だ。しかも検査をするのにあちこち移動する。その度に待つ。1日掛り。結果は数日後。検査項目が多いほど不安になる。本人はどのような思いでいたのか。それでもそのまま検査入院になった。

義父から聞いてない期間でした。そんな事もあるんですね。主人も知らない事で義父のルーツを知ったようで、意外な経験をしました。再度申請前のチェック、そうなんです。今回は私が遺言書を預かっていた”申立人”という形で申請。遺言書をいつ、何処に保管していたかという項目もありました。

義父の葬儀が終わり色々な手続きが待っています。死亡届から役所関係はスムーズに、銀行の解約、父の関連への連絡葬儀屋さんからもらったパンフで大体はもれずに流れていきます。我が家は義父の書いた遺言書もあり、事が大きくなる前に、会ったことのない義父の家族に連絡しなくてはいけませんでした。

少し手続き等が落ち着いた頃、1周忌法要の連絡があった。日時、人数、会場、お塔婆の申し込み等。当日はお位牌と写真、お墓参りの用意、お供え物、御布施。御位牌は魂が入っていること、お骨から御位牌に移す魂入れという儀式があること、御布施を住職に渡すタイミングがあること、知らなかった。

実家は1年で売却成立。素人なので精算時は緊張しましたが、不動産売却の仕組みがわかり良い経験になりました。土地の登記簿に新たな名前が載るのだなと思いました。45年住んでいた家を義母はどう思うのか。暫くは寂しいと言っていました。新たに家を建てた様子を1年後に車で通り母に見せました。

当日、相手の方が来るかドキドキでした。主人にとっては義母兄弟の初対面。待合に1人の男性が。挨拶する事なく、裁判所の方の案内で一緒に入室して初めて確信する。入室してからは会話ができず、雰囲気からは感じの良い人。特に相手の方も遺書の内容に反論も無く、検認作業後に外で話す事になった。

涙の跡。

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肺に水が溜まっている、全身検査した方が良いと連休の後に検査の予約をした。日に日に息苦しさが増して、予約の日が待てずに連休中毎日休日当番の先生に診てもらう。検査をしないとわからないので応急処置しかできない、本人はやはり苦しいと通うの繰り返し。検査は早まる事は無かった。

夏に軽い咳と微熱があり、風邪かな?から始まった。元々病院には行かずの人で、胃の不快もあり市販薬で済ませていた。それでも普通に食事をし、普段通りに見えた。1ヶ月くらい経って家の階段を昇るのに息切れする。病院嫌いの人が内科に受診して大学病院を紹介して頂き検査をする事になった。

1年が過ぎた頃主人はここ2、3年仕事が忙しかった。朝帰りも多くなり、あまり好きでないお酒を飲む席が多くなった。そんな時間も彼にとっては苦ではなく新鮮な時間が増え、体はきつそうだったが楽しそうに見えた。私はその頃家族に合わせると睡眠時間が3時間未満、各自で体の管理は各自でだった。

義父は8月に亡くなったので新盆の後、翌年の三回忌までは少し落ち着いてきて、法要の時の住職のお話に法事の1、3、7、13回忌と年数の置き方にも意味があり、人がなくなり家族や知人が故人との想いをその年数の感覚で気持ちを落ち着かせていくそうです。法要は49年目の50回忌まで。私は何歳?

亡くなった人の初めてのお盆、新盆。49日前にお盆の時期が来たら翌年が新盆。地域によっては月も違う。義母の田舎では1つの行事として親戚を集め、1人1人の食事もお盆に載ったもの、仏壇周りの飾りも提灯も豪華なと聞く。私は小さい頃祖父の家に住職が訪問しお経を唱えていた記憶しかない。

銀行等の相続手続きは窓口が別物でした。1つは普通の窓口から専用電話でやり取り。1つは電話対応で郵送手続き。いずれも時間は要しますし、1回では終わりません。本人でないという、大変さを感じました。考え方で義父の事に関わる時間があったことで偲ぶ時間なのかなと感じられました。

相続手続きで名義変更等で、相続分割協議書が必要になる場面がある。誰が相続するかの証明で、いくつもの機関の提出が必要な人には、法務局が出してくれる法定相続情報書の写しが便利となる。そうとは知らずに、この数年後に経験した相続手続きの際に法務局で知ったことだった。ググれば良かった!

戸籍謄本の筆頭の名前は義父でした。亡くなると除籍と記載されていて、あまり戸籍謄本をじっくり見たことが無かったので勉強になった。それから、たまに家族の手続き上で「戸籍の筆頭者」という形で義父の名前が登場する。何だかほっこりする。義父の笑顔と声が思い出される。天国で元気にしてますか?

不動産田舎だが、それなりの大きさだったので義母は期待していたが、土地の形が綺麗で無かったので売却に影響が出ました。確かに綺麗な形の方が良いですよね。最近広告で土地の売り方にコツがあると見たことあります。古い謄本で測量し直したり、1つ1つに時間と手間が掛かると実感しました。

1つ、苦い経験。義母の事だが、順番が1つでこんなに変わるのか。義父が倒れて、義母と障害のある義妹の生活の為同居、実家が空き家になり義父が急変亡くなり、家、土地を義母が相続し売却した。家を出て相続までたった3ヶ月。45年夫婦で一緒に暮らした家の相続は3000万控除が適用しない事に。

人が亡くなったら何をすべきはは役所でも葬儀屋さんでも案内はあります。家族とはいえ、窓口で本人でない時の手間は何処でも感じました。役所もの、銀行もの、車や携帯、家と土地、義母が高齢で主人が仕事だと役目は私になり、暫くはあちこちに行き、ある意味良い勉強になりました。

義父の遺言を反論する者もなく安心しました。各家庭に同等の財産を残し、長女である障害者の義妹を宜しく、皆で仲良く暮らして下さい、有難うと書いてありました。裁判所は遺言書のコピーと今回の証明書を相手の方にも渡して下さりこの件は無事に終了。後日その方は家族で御墓参りに来たようでした。

戸籍を見てしまったので、家族を作り立派な父親になってた事がわかりました。成人で真実を知りながらも普通に幸せになっていたので安心しました。身なりからも立派な社会人になっている様子がわかりました。子供には罪はない。そう思います。主人が家の長男に似ていると血の繋がりを感じていました。

感じの良い方でした。お互い初対面で何から話せば、何まで話して良いのか。私は立場的にあまり口を出せませんので義父の最後の様子をお話ししました。相手の方も空気を読む事が出来、あまり質問はされませんでした。20歳になりお酒を初めて義父と飲んだ席で本当の家族がいる事を聞かされたそうです。

2回めの申請が通り、暫くして裁判所から義母と主人と義妹から遺言書の検認作業の日時の案内と出欠席の返答ハガキが届く。認知されたお子さん2人にも通知が行き、伝えられなかった義父の死去も知らせる事が出来た。当日は義母にとってそのお二人と会うことはキツイので欠席、主人は渋々出席となった。

相続の権利を持つ2人の住所もわかり、裁判所での遺言書の検認の申請をする事になった。管轄の裁判所で書類を揃えて、提出する前に事前のチェックをしてもらう予約をする。義父のよく聞く、生まれてから亡くなるまでの戸籍とゆうものを用意し、他の書類と共に予約日にいざ裁判所へ。

附票の請求は郵送でも可能で、戸籍の直系の身分証コピーの提出で出来ました。現住所まで運よくたどり着けました。最終は直接私が電車で1時間ほどの役所に行き窓口へ。微妙な立場の私は役所の人が確認、確認でしまいには直系の主人の職場に直接連絡。頼まれて行った私は何だか複雑な思いでした。

附票をたどりお子さんの内一人は母親と、一人は結婚し独立して別世帯。親子の方は一回の引越しだったのですぐ判明、別世帯の方は一度で済むことができませんでした。戸籍のように一回で今迄の所がすぐわかるものではなく、その場所場所で手続きが必要でした。私は微妙な立場なので大変面倒でした。

遺言書を公的な場所で開封する裁判所での検認の手続きをする為に相手の方と2人の認知されたお子さんに連絡する事になります。現住所を知る為に戸籍から追っていく事に。出来るんですね。義父が用意した相手の相続される家が戸籍の住所でしたが、既に移住、私が委任され手続きする事になりました。

人が亡くなるということ 人が亡くなる悲しみは、しずくのようだ。近ければ近いほど衝撃は強く…遠くなるほど衝撃は無くなっていく。

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