OHO KANAKO

写真が好きな人。 https://www.ohokanako.com/

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最近の記事

自分のための夢、人のための夢。

朝、散歩していると20代の頃、色んな国を歩いていたときを思い出す。サハラ砂漠でオレンジ色の夕陽が沈むのを、ガンジス河の夜明けに小舟の上から小さなキャンドルとマリーゴールドの花が揺れて流れていくのを。インドネシアの朝市で、バイクの後ろに乗ってコーヒーを買いに行く。チェンライの夜の祭りで皆で笑ってビールを飲んだ。バルト海を見にサンドイッチを持って電車に乗った。ただただ色んな街や村を歩いた。 人々がどんな生活をしてどんな思いを持って、どんな景色を見ているのか知りたかった。ただただ

    • 生き方を変える

      夕暮れ時、満開の色とりどりのつつじの花が美しい。久しぶりに落ち着く時間を持てている。雑草が伸び切った田畑の中のレンゲが風に揺れている。暑くもなく、寒くもなく、中庸。地面を覆う椿の花、用水路を流れる水の音。すべてがあっても何も自分を圧迫するもののないゼロ地点。 たとえば登山の時、登れば登るほど、酸素は薄くなって息は苦しくなる。波打ち際にいれば海の底に水中の世界を感じる。そんな上も下もない平らな場所。わたしはだからそこに住んでいる。自分が自分をいちばん保てる環境。 きっと誰しも自

      • ただ手が繋ぎたかった。

        一週間。夜はくたくたになるまで笑って喋って働いて、朝、目が覚めると涙が出てくる。自分が何に泣いているのか分からないけど、何かを失っているという喪失感だけが続く。 駅の改札口を見ていると、たくさんの人が流れ出てくる。待ち合わせの相手を探していても、わたしはこの中の誰とも恋に落ちないなと思う。 17歳の冬。 ほんの少しの間だけ付き合った恋人がわたしは大好きだった。高校の文化祭の日、祖母が亡くなった知らせを聞いて教室の出し物の舞台裏で隠れて泣いていたわたしのとなりに静かに座ってい

        • 乗り越えられない。

          元夫と最後に旅行に行ってからひと月以上が経つ。今朝、月々の養育費が振り込まれていた。何時間も話し合いをして、ちゃんと考えてほしいと言った甲斐虚しく彼からの返事はなかった。子どもたちと会うことをしないのであれば、養育費だけ一括で払って、縁を切ってほしい。「分かりました」そう言って頭を下げていた彼は、こちらの要求を飲むことをしないだろう。 心の支えがない。忙しくすることでしか埋められないが、忙しくすることで何の余裕もない。とりあえず、毎日歩く。どうにか食べる。泣くのを我慢する。

        自分のための夢、人のための夢。

          写真のセレクト

          「写真をどうやって選んでいますか?」 デジカメはシャッターが無限に押せて、まぁ押す手を止めなければ何枚でも撮れます。 そして、ストレージやHDDをしっかり用意すればこれまた無限に保存できます。 失敗した写真を消したり、おっ、コレは良いなという写真を選んだりして枚数を削ったりしてる人もいるんでしょうか。 最近は暗室に入る機会が年に3回くらいになってしまったのでフィルムやってますと威張れないのですが、フィルム作品のときの作品のセレクト方法をご紹介します。 ①コンタクトシート

          写真のセレクト

          味方って何?

          「世界中が敵になったとしても、俺はかなちゃんの味方でいるからね」 18歳、大学生のとき、住んでたアパートの近くのスナックでバイトをしていた。自衛隊の基地があったため金曜の夜はよく自衛隊員が飲みに来ていた。その中には熱心に口説いてくる男もいて、そんなセリフを言っていた。どういう意味だろうと思考を巡らせたからか、相手の名前も思い出せないのに言葉だけハッキリと覚えている。 昨日から入院している。 急性扁桃炎と扁桃腺周囲膿疱で、窒息の恐れがあるため緊急入院。新学期で子どもたちの予

          味方って何?

          写真と私の存在証明。

          見たい過去写真を探していて、スマホのカメラロールをスクロールしていると殆どが子どもたちの写真だらけで。たまに私の寝てる姿を子どもが撮った写真が出てくる。いつも私の周りには子どもたちが纏わりついていて、私は一人でいることなんてなかった。写真をやりに暗室行ってるときくらいだったかな。もう一人にして、と叫びたくなるくらい寝ても覚めても子どもたちがいた。 今は私が仕事から帰ってきても、子どもたちはすぐ寝る時間になってしまう。今日は長男が「寝るときママいるからギューしてもらえる」と髪

          写真と私の存在証明。

          ひとりにしないで。

          3月9日 駅で待ち合わせをした。自分が先に着くの分かってたから、わざと少しホームで時間を潰してから改札前の花屋さんに行った。わたしがいなくて慌てて探していた彼を見つける。 黄色い花がたくさんあった。 魚貝類系のパスタが食べたいとのリクエストに、線路沿いのスペイン料理のお店に案内してくれた。昔、付き合い始めの時に一度だけ来たよね。本日のおすすめランチをふたつ頼んで、ふたりで分けて食べる。添えてあったパンが美味しかった。 外に出るとすかさず彼は手を繋いでくれる。まだまだ日中でも

          ひとりにしないで。

          第二の人生

          なんだか吹っ切れてきた。 元夫に子どもと女を天秤にかけられて逃げられたことも、好きな人に相手にされないことにもどうでも良くなってきた。 大事なこと、考えることもっと他にあるだろう、と。マイナスな気持ちに引っ張られている時間が無駄な気がしてきた。 「あなたは強いから平気でしょ」 そんなことないよ。ふざけるな。強くないよ。でもやらないといけないんだよ。だから顔を上げて目をしっかり開けて、笑うんだよ。それが強いということ?みんな好き放題言うよ。 他人の人生だもん。好きなだけ自分の

          第二の人生

          いつかは諦めないといけない

          徒歩5分の小学校から校歌が聴こえてくる。 昔、在校生だったから今でも2番まで歌詞を覚えている。親の別居で四年生までしか居られなかった。卒業シーズン。もうすぐ春休みが来る。 心が常に痛い。 音楽を聴いて紛らわしている。 月曜から職場復帰した。新しく診断…撤回書を書いてもらって、急激に症状が回復したため仕事できる状態にあります…と。 一カ月も二カ月も家にこもって薬漬けになっていたら確実に鬱になると思ったからだ。 人生は望んだ通りにはならない。 でも望みはあって、果たされない葛

          いつかは諦めないといけない

          あなたが生まれた日

          3月16日。 三男の保育園の卒園式に出席した。 先生からすみませんと謝られ、二人分の保護者席が用意してあることに気付く。いないのだ父親は、わたししかいない。 三男にとって当たり前のことだが、わたしにはまだ受け入れられていない。 離婚しても父親が居ればいいと思っていた。父親が父親を放棄するとは思っていなかった。子どもたちが小さい頃から、運動会も授業参観も来ない人だったけれど、来ないのと居ないのは違う。完全に片親になってしまったことをその空席が見せつけてくる。 あまり人前で喋ら

          あなたが生まれた日

          3月14日

          休職4日目。昼も夜も眠っていても眠い。 歯医者の予約を忘れていて電話が鳴る。ゴミ捨てついでになんとか外に出る。陽射しが眩しい。重い腰を上げて歩いていると、目の前にいるお婆さんが話しかけてきた。 「見て、あの椿の花。同じ木に赤が濃かったり薄かったり、とても綺麗なの」 白髪のお婆さんはたぶん8〜90代だろう。 それでも今自分が見た感動を誰かと共有したくてわたしに話しかけている。 今の時期、伊豆大島の椿が見たいと毎年思いながら行けてないなと思い出す。 誰かと会話をすることは尊い。

          ずっと一緒にいたかった。

          休職3日目。薬を飲んでずっと寝ていた。 長男は友達と遊びに行き、次男は家でダラダラしていたいからと母との散歩を断る。 太陽が暖かい。寝る間も惜しんで走り回ってきたのに寝ることしかできないことにプライドが傷つく。これからどうしよう。 路端のつくしを見ていると、元夫の故郷である三重県桑名市の土手を思い出す。 木曽川と揖斐川が交差する河原の土手には、春になると一面、つくしが顔を出し、おばあちゃんと飼い犬のハルちゃんを連れて、つくしを摘みに行った。4歳くらいの長男と摘んできた大量の

          ずっと一緒にいたかった。

          愛の終え方

          「なんでこんな仕打ちをするの、今じゃないでしょう」「お前とお前の女のこと一生許さねえからな」 ふと時間が空くと涙が止まらない__ 最後の一錠を抜いたところまでいったPTSDの治療は、症状の再発により医師から1〜2ヶ月の休職と元夫への接見禁止を言い渡され振り出しに戻った。わたしにとって最悪の結末を元夫が運んできた。

          有料
          300〜
          割引あり

          愛の終え方

          これで最期にしよう

          庭には蕗のとう、道端にはつくしが伸びてきた。まだ風が冷たくて、冬の上着が欠かせないが季節は春が来ている。この一斉に植物が芽吹く季節は、生命の始まりと終わりが交錯しているようで、美しい季節だと毎年思う。 この前私の断薬の話を書いたが、我が家ではもう一人薬を飲んでいる子どもがいる。 次男は二歳のときに、癲癇(てんかん)という脳の病気を発症した。 最初は気付かないような顔の震えから始まり、両手は鳥が羽ばたくように痙攣し、ひどい時は寝ている時も眼球が上転して白目をむいた。日に何度

          これで最期にしよう

          写真家として出来ること。

          日曜日に久しぶりに都内にギャラリー巡りに行った。不勉強で申し訳ないが、関東圏内に住んでいるにも関わらずわたしは人の展示をあまり観に行かないほうだと思う。観たい展示でも観に行かないようにしている。写真家にはそれぞれ世界観があって、それを観て良い刺激になる時もあれば自分の写真を否定したくなることもあり諸刃の刃なのだ。ポートフォリオレビューも、審査員の価値観で全否定される人も勿論いるし。あとは前に長男の保育中に都内に車飛ばして往復して、事故に巻き込まれて車1台だめにしたことなどもあ

          写真家として出来ること。