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暗室に行ったはなし。

夜勤明け、長男と約束して暗室に行く。
昼食を食べたら意識が飛んで「あんまり気持ち良さそうに寝てるから起こさなかったよ」「なんで起こしてくれなかったの」と喧嘩になる。
3時間の予約が2時間になった。

一年前のネガをRCにプリントする。
過去の自分の目線が現像液の中から浮かび上がる。毎日毎日、光を追いながら撮りたいと張り付いた朝顔の蔓が、1秒1秒光の強さを濃くしていく。なぜ暗室が必要なんだろう。
この、過去の自分が注視していた瞬間に価値があるのだと思った。浮き出ていく。閉じ込めた時間がもう一度息を吹き返す。やはり肯定の作業なんだと思う。忘れていた大事な想いのようなものを掬い上げる。

人生その時々の考えや出来事があって、それはその時でしか味わえない感覚で、それを被写体の中に無意識に撮る側は閉じ込める。タイムカプセルのようにそれはフィルムが露光され、印画紙に移動し、薬液に浸した瞬間に開き出すのだ。

「これ、おほさんの写真出てきましたよ」
次男が一歳にも満たない頃のプリントが出てくる。暗室に預けたまま忘れていたもの。8年前か。一番熱心に焼いていた時期。

帰り道、電車の席に座ると長男がわたしの肩に寄りかかりうたた寝する。今日は彼も何枚かプリントした。普段撮らない夕焼けの写真、モノクロの夕焼けを現像用バットの中でふたりで眺めた。次は夏休みかな。フィルムカメラをしばらく使っていない。たぶん長男が現像に興味を示さなかったら、わたしはもうフィルムカメラを手放していただろう。

フィルム写真でしか味わえない感動があって、でも今の忙しすぎる生活スタイルでは流れが早すぎてそれが見えない。
それでも写真の中から掬い取る行為を辞めてしまうと生きている位置を見失ってしまう。
写真をやらないで生きていけるだろうか。進んでいけるだろうか。
オチまで書いて文章を締めくくりたいが、寝不足すぎてもうだめだーとりあえず、半年ぶりの暗室行けて安心した。


ROLLEIFLEX/3.5F/Xenotar/astia



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