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【人生とは、儚い】

病室404号室は、静かな部屋だった。

日中は陽当り良好で暖かくとても良い環境だった。

この環境は、入院患者が変わると居心地も悪くなる。

僕が来て2週間が過ぎた頃、正面のベッドの方が転院した。
あまり状態の良くない方で病院を転々としてるようだった。

ちょっと聞こえてしまったのだが、次の病院は風呂がないらしい。
ナースが「当分の間お風呂に入れないから綺麗にしてこうね」と言って連れて行った。

なんか地獄に行かされるような感じに聞こえて辛くなった。

その方が退院後の数日間は、空きベッドとなった。

次に入院してきたお爺さんは、緊急で入って来たようだった。

病室にはモニターが入れられ、急に機械音でうるさくなった。

血圧が低いから大人しくしててくださいと聞こえてくる。

お爺さんは元気そうで若い頃はお偉いさんだったようだ。
初めは威張っていた。

事あるごとにナースコールを押して「すいませ~ん」と叫ぶ。

やかましいのが入って来た。

リハビリでリハ室に行く時に目が合い、どんな人か見たら小太りの可愛い爺さんだった。

愛嬌良く笑顔で微笑まれた。

それが日に日に容態が悪くなっていった。

まずおかしいなと思ったのは、ナースコールをバンバン鳴らしてたのが「すいませ~ん」と叫ぶだけになった。

そのうち、ナースをヘルパーさんと呼び冷蔵庫にダイエットコークがあるから頂戴とか。ポテトチップスがあるからとか言い始めた。

認知機能の低下が早すぎる感じがした。
自宅にいるような?デイサービスにいるのか?分からない状態になっていった。

そのうち夜中でも「すいませ~ん」が始まり、モニターの機械音と声がうるさく眠れない。
僕が爺さんのナースコールになっていった。

そのうち困り果てたナースが医師を呼び眠剤で眠らせた。

それから、爺さんは昼も夜も良く眠り、目が覚めると「すいませ〜ん」が始まり、ダイエットコークを欲しがった。

そのうち今度は声も出ずらくなっていき、痰吸引しないと痰も出せなくなっていった。

「すいませ〜ん」の声も苦しそうで弱々しくなった。

そんなある日、爺さんは体調が朝から悪く、痰吸引のしっぱなしで苦しそうだった。

可愛そうに・・・

そんな時に1人のナースが叫んだのである。

「なんであたしが担当の時に具合が悪くなるの?あたしになんか恨みでもあるの?」

大声でびっくりした。

その後、痰吸引のゴーゴーと吸引される音と、爺さんの苦しそうなうめき声が聞こえてきた。

僕は恐怖した。

その日の深夜に苦しそうなうめき声が聞こえたので、僕はナースコールをした。

そのまま処置室に運ばれて行った。

翌朝、朝食の食介にフィリピンのケアさんが入ってくれ、僕にお爺さんが亡くなった事を告げた。

優しい顔でお亡くなりになりましたと・・・

爺さんが元気な時に、ダイエットコークを飲ませてあげたかったと思った。

爺さんが入院してから1週間の事だった。

人はあっけないなーと思った。

ベッドは空けられ、何もなかったように1日が始まる。
人が一人亡くなったのに・・・

これが病院か・・・

翌日、斜め前のベッドのお爺さんに、リハさんが良く眠れてますか?と聞くとその爺さんは「隣がいなくなって良く寝られたよ」と言っていた。

僕は、ショックで眠れなかったのに・・・

つづく

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