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自分の思い出

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2020年8月の記事一覧

豊島園の閉園で思い出したこと

豊島園の閉園で思い出したこと

大学卒業してから結婚するまでの2年間で豊島園に2回遊びに行った。

当時は絶叫系の乗り物が大好きだったのでディズニーランドより豊島園が好きだった。特に豊島園のロケット発射のジェットコースターがお気に入りで何回も並んで
は繰り返し乗った。

結婚後は夫が高所恐怖症で観覧車も一緒に乗ってくれなかったので絶叫系とは疎遠になった。子供が出来て遊園地に行ってもキッズコースターに乗るくらいだった。子供が大きく

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テープレコーダー全盛時代に生まれて

テープレコーダー全盛時代に生まれて

今は動画全盛時代。自分の誕生の瞬間から動画で見ることが出来る。我が子達の動画もたくさん残っている。先日業者に頼んで8ミリカメラのデータをDVDにダビングしてもらった。忘れてしまっている子供達の幼い姿や一緒に映っている自分の若かりし日の姿も見ることが出来て懐かしい。

私が子供の頃はまだ家庭に8ミリカメラはなかった。我が家にあったのはカセット
テープの機械だった。父がよく内緒で家族の会話を録音してい

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生首怪談

生首怪談

古い家の階段は急な角度だった。前回のnoteで妊娠8ヶ月の時階段落ちした話を書いた。階段落ちしても無事だった長男が4歳くらいの時の話。

2階でいた私が1階に行こうとした時、階段に長男の顔が見えた。長男の顔がまるで生首のように階段に乗っているように見えた。一瞬ビックリしてギャ〜っと叫んだ母を見た長男は満足そうににっこり笑った。

そんな階段の思い出。

USJの思い出

USJの思い出

2001年の夏、何故か夫がUSJに遊びに行こうと言い出した。私も行きたかったが1歳の次男を連れて炎天下のUSJは無理だと断った。すると夫は長男と長女を連れて行くと言った。夫ひとりで子供2人をを連れて行くのは初めてで心配だったが、長男と長女がUSJに行きたいと言ったので思い切って任せることにした。

私はちょうど姉も帰省する日だったので次男と2人でのんびり里帰りすることにした。

夫と長男と長女の一

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アメンボさんと初恋

アメンボさんと初恋

小学4年生の夏、徳島大学の児童研究部の学生が私の村にやってきた。
近所の公民館の部屋を借りて、総勢10人位の大学生達と我々小学生達が一緒に遊ぶことになった。小学1年生から6年生が縦割りでグループに分かれた。部屋の中で工作したり、外遊びをしたり、よく覚えていないが楽しかった。
今は大学生の顔も忘れてしまったが、印象に残っている男の大学生が2人いた。
1人は私のグループ担当の面白い顔をした男子大学生だ

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母のお手伝いと白和えと後悔

母のお手伝いと白和えと後悔

子どもの頃母のお手伝いはもっぱらお皿を拭くこと。包丁を使った料理の手伝いなどは6歳上の姉の仕事だった。

唯一料理の手伝いをさせてくれたのが白和えの下ごしらえ。すり鉢にまず胡麻を入れすりこぎ棒でガリガリ潰す。胡麻が潰れたら砂糖と味噌を入れ更にゴリゴリすり潰した。そこへ水切りした木綿豆腐を投入し味を馴染ませ、最後に刻んだ青菜を混ぜて出来上がり。

私ははほぼ潰したり混ぜたりするだけで切ったり味付けし

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お小遣いとおやつ

お小遣いとおやつ

私の実家は昔商店だった。私のおやつは常に家の店の商品だったので、お小遣いを貰ってなかった。友達がお小遣いを持って買い物をするのを見ると羨ましかった。私の家の店は森永のアイスクリームを売っていたので、たまには他の店のロッテのアイスクリームを食べてみたかった。

小学高学年になり母にお小遣い制にしてほしいとお願いした。粘って粘って頼んで願いが叶った。1日30円のお小遣いだった。1週間貯めて日曜日に21

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島に生まれて

島に生まれて

四国の徳島県に生まれた。四国は海に囲まれた島である。
小学6年生の修学旅行は大阪、奈良、京都の一泊旅行だった。徳島から大阪に行くため徳島阪神フェリーに乗った。船に乗るのはその時が初めてだったと思う。旅行の前夜、父からドーナツ型の浮き輪を持って行くように言われ、友達に見つからないように旅行バックの一番底に隠した。
その後私が20歳の時、徳島と淡路島が橋でつながった。大鳴門橋である。大鳴門橋ができてか

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秋祭りで舞を踊った思い出

秋祭りで舞を踊った思い出

地元の神社の秋祭りでは小学生の男の子はだんじりに乗り太鼓を叩き、女の子は舞を踊った。

小学1年生の時舞を踊ることになった。4人の女の子が神社に集まり舞の練習をした。私が一番歳下だった。舞の練習はちょっとだけやって、後は先輩達と神社で遊びまくった。ゆっくりとした動きの舞の練習は退屈だった。

秋祭り当日初めてお化粧をしてもらって巫女の衣装を身にまとった。神妙な顔で舞台に上がり先輩達と一緒に踊った。

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卓球の思い出達

卓球の思い出達

小さな頃叔父さんの家に行くと従姉妹達と卓球場に遊びに行った。何故卓球があんなに楽しかったんだろう?やたらと楽しかった記憶がある。

我が家のリビングの食卓を卓球台にして子ども達と遊んだことも懐かしい。大人になった私は小さな頃のようには卓球を楽しめなかった。子ども達はどれくらい楽しかったんだろうか?

小さい頃遊んだ卓球場は閉まっているが、近所にあるラウンドワンで卓球してみようかな。子ども達が帰省で

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火鉢は最高!

火鉢は最高!

子供の頃ご飯を食べる6畳くらいの部屋の真ん中に丸い練炭火鉢がすっぽり真ん中に入る赤いちゃぶ台があった。
毎日家族7人がそのちゃぶ台を囲んで食事をとっていた。祖父、祖母、父、母、兄、姉、私の7人だ。
食事の支度が出来ると母が「典子、お爺ちゃんとお婆ちゃんを呼んできて」と言う。私はすぐ隣の別棟にいる祖父母を呼びに行く。祖父が一番の上座に座る。私は祖父の向かいの一番末席が定位置だった。

今思えば火鉢は

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蛇の呪いは死ぬまで恐い

蛇の呪いは死ぬまで恐い

小さい頃楳図かずお氏の恐怖漫画が流行っていた。楳図かずお氏の漫画は本の匂いまで恐かった。人の恐怖顔がやばいほど恐かった。楳図かずお氏の漫画でタイトルは忘れたが蛇を殺した人の皮膚がだんだん蛇のようになる話があった。自分の体の皮膚が蛇の皮になっていく時の恐怖顔がヤバかった。

小学5年生の頃、家の近所を男友達と歩いていた。蛇が用水路を泳いできた。男友達はふざけて石を蛇に投げたらちょうど当たってしまい蛇

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大富豪ゲーム

大富豪ゲーム

子どもの頃貧民ゲームと呼んでいたカードゲームでよく遊んだ。ルールは簡単。大富豪は要らないカードを大貧民に2枚与え、大貧民は強いカードを2枚大富豪に献上する。富豪と貧民は1枚同じように交換する。平民達は交換なし。それ以外の細かいルールは省略。とにかく早く手持ちカードを無くしたら勝利する。

従兄妹が集まると貧民ゲームが開催された。大富豪にはふかふかの座布団が4枚くらい与えられ更に掛け布団や毛布が与え

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やらかし人生

やらかし人生

東京出張するたびに電車関係の失敗をやらかしている。降りる駅を通り過ぎることは日常茶飯事。東京都内で開催される研修会に向かっているはずが「横浜〜横浜〜」とアナウンスが!!慌てまくって乗り換えて昼ごはんは食べずに5分遅刻で研修会場に滑り込んだ。

地元徳島でも何故か何回も反対方向の汽車に乗ってしまったことがある。東京と違って汽車の本数が少ないので反対方向の汽車に乗ることは地獄だ。

何故こんなにやらか

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