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PR事業部から始まるビジネスの新章  PR事業で独立を夢見る27歳      起業したい理由とは?

皆様、初めまして!PR事業での独立を目指している佐伯春菜(さえき はるな)と申します。

人生の恩人となる大師匠3人との出会い
そのお陰で目前となってきた起業への道。

ではなぜ27歳、急いで起業を目指しているのか。
そんな点もご紹介させていただきます。

私は今、地元である飛騨高山から東京へ帰るために、「ワイドビューひだ」というハイブリッド式の電車に乗っています。

この電車で名古屋に着いたら新幹線に乗り換えて品川駅まで向かいます。

なぜ、今このタイミングでnoteを投稿しているのか。なぜ今日、この瞬間だったのか。

それは
『時間は有限であり、この瞬間を大切にしなければならない事を、痛いほど感じたから』です。

いつまでもマイペースではいけない。
自分の人生の目標、人生で2つ目の夢を叶えるために。
1日でも早く到達しなければならないと思ったから。

では、どうしてそう思ったのか?

初投稿でこんな投稿をする人は居ないのでは?と思うのですが、ありのままをここでは残したいと思っているので、そのままを投稿しようと思います。


1.note初投稿の理由

大好きな父の余命宣告
人生の2つ目の夢を最速で叶えたい(27歳、佐伯春菜)


実は、私の大好きな父親は余命1年を宣告されました。
「いや3ヶ月とか1ヶ月とかじゃないしいいじゃん。」と思う方もいるかもですが、私は、両親の不妊治療の末、産まれており愛情を沢山注いで貰いました。
女の子で、1人娘で、まだ27歳です。
結婚も家族旅行で温泉へ連れて行く親孝行もまだ出来てません。(急いで計画中です)

父は、数年前に癌を患っており、つい最近まで定期検診へ通ってました。
最近はかなり調子が良く、次の検診では完治と言われる予定でした。
はっきり言って、安心しきっていました。

ところが、ここに来てまさかの肺と喉に4箇所転移。手術も困難な状況まで来ていると言われました。

この事実を私は、東京の大手町のカフェで仕事をしている時に遠い飛騨高山にいる母親から聞きました。

私にとっては衝撃的な事実で、予想もしていなかったので、
最初は理解が追いつかず、遠く外を眺めていました。

ただただ、ボーーっと。

そして、次第に脳が理解をして、やっと心にも届いて、その瞬間まわりに沢山の人がいるのに、涙が溢れ出てきました。
止まらなくて、周りの人からするととても不思議な女の子に見えていたと思います。恥ずかしいとかそういう感情なんてまったくありません。

その時私の頭に浮かんでいたのは、、、

『まだウエディングドレス姿をみせていない』

『孫に会わせてない、抱っこをさせてあげれていない』

『私の人生の中で掲げている夢、まだ1つしか叶えてない』

『もう1つ叶えるところ見届けてよ』

『待って、親孝行出来てない』

『何も恩を返せてない。』

とにかく待って、待って。お願い。
あと3年。せめて2年待ってください。
と凄く痛くて、苦しい気持ちになりました。

お父さん大好きっ子
韓国旅行での写真
肩車たくさんしてもらっていたな〜


まさか、27歳で大好きな父親の余命宣告を受けるとは、27歳でというか、仕事を優先してきて、まだ結婚や孫の姿を見せるという典型的な親孝行をしていない。という点に急に焦りました。

そりゃ、さよならの期限が分かっている事の方が幸せだよ。と言われるかもしれないが、私にとってはとても悲しかったのです。

私の両親は40歳の時、不妊治療のラストチャンスで、やっとの思いで私を授かったそうです。

やっとの思いで、、、出来たのが私だそうです。

大切に大切に、たくさんの愛情を注がれて今日まで生きてきました。

だけど、まだまだあと10年、20年、生きてくれると思っていたし、
3世代で旅行へ行くとか、ヨボヨボ、シワシワになった父のことを
じぃーじって、自分の子供と一緒に呼ぶ日が来ると思っていました。


だから、時間は有限で、終わりがあって
その終わりが、父親のやせ細っていく姿、カサカサでシワシワになる手、
肌の色が黒くなっていくのをみて痛感しました。

躊躇なく、目の前にある現実を突きつけられました。

私に出来ることは?今何ができる?
とても考えました。

色々なことが浮かぶ中で、必ず成し遂げなければならない!!
と落ちてきた言葉は

「私のもう1つの夢を叶えること。」

でした。

私は、小学校5年生の時から「ウェディングプランナーになる!!」という夢があり、その夢は業界最大手の憧れの会長がいる企業で21歳の時に叶えました。

ですが、私にはもう1つの夢があります。
中学校の卒業文集にも書いてある、
「女社長になること」
世に何かを与えられる人、女性の活躍を引っ張れる存在になりたい。
そして逆ライオンリーダー組織を世に輩出していける女性になる!!!

という夢があります。


どうかどうか、お願いです。この夢を叶え、自分でも自分を認めてあげられる、少し自慢できる娘の姿を父親には見届けて貰いたいのです。

そして、お願いだから私の結婚式で、バージンロードを歩いてください。

ただ、ただ切実にその想いが募るばかりです。

2.人生が大きく動く 3人の師匠との出会い

そんな少し重いスタートをしましたが、佐伯春菜という人間はいたって明るく、自分で言うのはなんですが、パワフルです!!

負けん気が強く、怖いもの知らずです。
誰にでもガンガン突き進んでいきます!


実は、父の余命宣告を受ける前に、素晴らしい人生の出会いがあり、
3人の師匠たちに出会っていたのです。

いわゆる人生のターニングポイントが一気にありました。

人生2つ目の「女社長になる」という夢を叶える為に、私はまず個人事業主として「海外のインフルエンサーを起用したPR事業」をスタートさせました。

取引先も、活動に共感してくれるインフルエンサーも増えてきた頃、私は違和感を抱え始めます。

全然スケールしない、スピード感が遅い、ただ、お小遣い稼ぎをしている様な感覚にワクワクを感じなくなり、そしてそれと同時にどこに向かっているのか不明確で、何かが違う。そんな違和感が芽生え始めました。

何が足りない?出来ていない?経営者とは何だ?経営とは何だ?と思っていた頃、とある方にアポイントを取得し、大阪の「Brooklyn parlor心斎橋店」で打合せをしました。


Brooklyn parlor心斎橋店の入口


そこで、その方に私は自身の行っているビジネスや、ビジョンについて自信満々で話しました。
「もっと上を目指すなら、甘い」

とズバッと言われました。

その後、沢山のアドバイスやビジネスについて教えてくれました。
私の人生に激震を与えてくれた。
1人目の師匠との出会いです。

そこでコテンパンに指摘を受け、結構グサグサ言われましたが、落ち込むというより、まず自分と向き合う時間を得ることの大切さを教えて貰いました。

私には何が出来るのか、その方が帰った後ノートを使って自己分析をして、びっしり文字を書きました。
何かに取りつかれた様に、無我夢中で。

その自己分析を資料にして、その方に感謝の気持ちと一緒に資料を作ってお送りしました。

するとそれを読んだ師匠は、
とある方に会わせたいとおっしゃってくださり、後日Hilton大阪の「MYPLACE」というカフェにて、ある方を紹介してくださいました。

そこで、出会うのが私の人生の師匠2人目の株式会社カクシンの田尻社長です。

その際は軽くお顔合わせをして、田尻さんがされていることをプレゼンしていただきました。

今だから分かるのは、超売れっ子、人気者で各所から引っ張りだこの田尻さんが私に時間を割いてくれた事、本当にありがたいことです。


(※今月号のPRESIDENTにも掲載いただいております。)


田尻さんは元キーエンスで、現在様々な経緯ののち経営コンサルティングの会社を経営されています。

「付加価値のつくり方」という書籍も出しており、なんと半年で10万部購入されました。
(書籍は2万部で大ヒット、10万部売れるとベストセラーと呼ばれます)


様々な企業様の成約率を3ヶ月弱という短い期間で、単月6000万円~1億円向上させています。
年間7~8億円の利益向上を達成しているのです。

日経様 、PRESIDENT様や、Newspicks様、PIVOT様をはじめ沢山のメディアの皆様にも取り上げていただいております。

その当時は、失礼ながらそんなに凄い方だとはあまり理解が出来ておらず、、、。ですが、私の中の何かが、感覚が、この人についていくべきだと言ってきたのは間違いなかったです。

後日大阪駅の近くのカフェで職務経歴書と、こんなことが私には出来るのではないかという資料を勝手に作成して、提出しました。

すると社員を1名しかいない企業にも関わらず、田尻さんはすぐに
「いや、もう初めて会った時から一緒に仕事をすると思ってたよ」
と言ってくださいました。

凄く凄く嬉しかったことを今も覚えております。

そこからは、自信満々の私には、人生で1番と言っていいほどの、沢山の試練が訪れます。出来ると思っていたこと、当たり前に思っていた基準が、低すぎたんです。

これまで、出来ていたことはある程度、人力で、泥臭く、運良く、人間性を見てくれた方に出会えていたから成り立っていて、ビジネスという土俵には立てていなかったと気づきました。

更に、この会社はレベルが高く、素晴らしいパートナーの方々によって成り立っており、私の経験はその偉大なる皆様の足元にすら、まったく及ばず、何度もメンタルをへし折られました。

出来ない自分、完璧を求めすぎる自分、それによって気持ちが安定していない自分が大嫌いになりました。自己嫌悪です。27歳になってそれになるとは思っていませんでした。

次第に自分の考え、伝えたいことがちゃんと伝えられなくなり、私って何?と存在価値がないとさえ思えるほど落ち込みました。

そんな中でも、私にとって3人目の師匠と出会い、その方からも沢山のことを教えて貰い、これによって更に道が広がっていきます。

この師匠に引き上げてもらい、経験をさせてもらい、沢山の勉強をさせていただくことになります。

その師匠に初めてお会いする際、私はまだ大阪に住んでおり、その師匠は天才肌で、感性豊かで、面白い方と伺っていたので、ひと笑いさせたく、印象にも残りたいと思い、食い倒れ人形のボックスにメッセージの書けるチョコレートと、大阪弁のサングラスをプレゼントしました。

実際に持っていたお土産(笑)

それが私の大師匠との初対面の日であり、業界のドン的な存在の「野呂エイシロウ」さんとの出会いです。

こうして3名の偉大なる方に出会っていくことによって、私は次第にPRということの楽しさや、PRの重要性について学んでいきます。

始めは右も左も分からず、今思うとなぜそんな行動をしたんだ、、、という反省もたくさんしました。いや、今もしています。
毎日毎日、学びの連続で。落ち込みの連続で。自分の無力さに何度も絶望します。

ですが、師匠の野呂さんからは、
「お前はいつか、きっと何かでかいことを成し遂げる。何かお前は持っているし、何だろうな、、、お前は化けるぞ。やってやれ。俺は応援する」

と言われました。
普段は私は師匠にいじられ、漫才みたいなお笑い芸人みたいな関係なんですが、そうやってたまに言われることがとても嬉しく、また頑張ろうと思えました。

自分に何があるのか分からないけど、そう言ってもらえることを幸せに思いましたし、これまでもそう言ってきてくださった方々がいたからこそ、
私は何かを成し遂げなければならないと思っています。

そんな私の人生の大きなターニングポイント。
大師匠3人との出会いでした。

さて、佐伯春菜は起業出来るのか。
次回私のこれまでの人生についてお伝えさせていただきます。



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