マガジンのカバー画像

自分ドキュメンタリー

69
日々、自分を使った実験をしては、気づきなどをこつこつ記録しています。
運営しているクリエイター

#文章

そろそろふと紡ぎたくなって

そろそろふと紡ぎたくなって

 ひさしぶりに、noteアプリを開いてみた。

 嘘か誠か、「2秒前にバッジ獲得」のお知らせが目に入る。
 なんと、たまたま開いたこの日がnoteはじめて2周年なんですってよ、奥さん。
 良い勘してますね。

 生きてるんだか死んでるんだかわからないけど生きてます。なんて書く人に絶好調な人はいない。
 低空飛行といえば低空飛行が続いている、そんなここ一年ほど。

 そもそも、noteを更新しなくな

もっとみる
わたしは学ばなくてはならない

わたしは学ばなくてはならない

 今ここにいて、こうしている意味を。

 もう二度と起き上がることができる日はこないのではないかと思えるような長い恐れを、

 薬を飲み続けて、廃人になってしまうのではないかという暗い穴を、

 これまで目をかけてくれていた人たちが、そっと見限って、去ってしまう未来を。

 自分を強くしていた虚勢を自ら取り払ったとき、守るすべを失って、押し込まれていた不安が吹き出してくるのを、ただ見ているしかなか

もっとみる

「色のない日」のわたしへ

 戦略的にものを書けるほうではない。

 なにかねらいがあったり、プランがあったり、日々最低保証を守りながら書くことができるタイプではない。そこは認めざるを得ない。

 自分の「気まぐれ」にほとほと呆れるけれど、良くも悪くも、その時の精神状態というか、もっとひらたくいうと「テンション」が如実に文章にあらわれる……というか、下がると単純に、書けなくなる。
 この数日、慣れない作業に忙殺されてそれを痛

もっとみる
アウトプットにはふたつある

アウトプットにはふたつある

 タイトルの通り、アウトプットは自分にとって二種類あると思っている。

 ひとつめは「伝えるためのもの」。
 本来的にはこの意味に集約されるのだとは思うけれど、とくに、

・情報
・考え、スタンス
・読み物、娯楽

 などを読み手に届けるために推敲し、整えられたもの。

 対して、ふたつめは「吐き出し」のアウトプット。

 Twitterなどは元々、こちらを想定した設計になっているように思う。

もっとみる
自分ドキュメンタリーを続けています

自分ドキュメンタリーを続けています

こんにちは、haLunaです。

noteをはじめて少し経ちました。
なんとなく始めたことが毎日のことになると、なんとなく自分の居場所感が定着してきたような。

blogと違って、最近はあまりシェアしたりせず、意図的に「知り合いじゃない人」を対象にしていたりするのは、現実的なしがらみのないところで誰かに向けて書いて、誰かに読んでもらいたいからだったりする。
ごく親しい相手には知らせるようにしつつ、

もっとみる