自分ドキュメンタリーを続けています
こんにちは、haLunaです。
noteをはじめて少し経ちました。
なんとなく始めたことが毎日のことになると、なんとなく自分の居場所感が定着してきたような。
blogと違って、最近はあまりシェアしたりせず、意図的に「知り合いじゃない人」を対象にしていたりするのは、現実的なしがらみのないところで誰かに向けて書いて、誰かに読んでもらいたいからだったりする。
ごく親しい相手には知らせるようにしつつ、全くあたらしい関係を開拓したいなという思いで書いているところがある。
最近、Twitterのアカウントを新しく作った。そちらもおなじような理由で、とにかくのびのび呟ける場所がほしい、ということで、家族や職場の人やバンド仲間など、リアルの知り合いとは一部を除いてほぼつながっていない。
そして、Twitterの旧アカウントとblogが、新アカウントとはnoteが、ほぼリンクしている、という感じだ。
もともと、noteにはどちらかというと情緒的なことを書いていきたかったので、この棲み分けはほぼ正解だったかなと思う。その反面、ごく個人的なことを書くにあたってリアル知り合いのほうが適してるよね? という内容があるのも事実。なので、厳密には棲み分け模索中、の状態が続いている。
サードプレイス、という言葉がある。
この数字部分を「3つめの」というより「第三者」という言葉で使うような意味合いとすると、4つめでも5つめでも「サードプレイス」と呼ぶのだと思うが、その意味で、
私にはサードプレイスがいくつかある。
基本的に、サードプレイスというのは生活をおびやかす要素がない場で人との関係を築くところに意義があるのだと思う。匿名じゃないけど本名である必要もなかったり、身分以外の軸(趣味や新しい価値観など)でつながっていたりするのがサードプレイスの特徴でもある。
noteというのは、自分が発信するための媒体としてはまさにサードプレイスなのかもしれない。というか、自分がそういうふうに設定して始めたということなのだけど。
今はこの気楽さを満喫したい。
……それで、「自分ドキュメンタリー」の話。
元々、blogの方で自分の誕生日を機に始めた「Project 1 Year」というものがあった。
↑ここで少し書きました。
そのときは、知り合い誰もが見られるblogという場所で、インフルエンサーのように何千人何万人と見るわけではないにしろ、数百人の目には触れる場所で始めたのだけど、
そのうち、あまりにプライベートなことや公開を迷うことを書くのがはばかられるようになってきてしまった。
だけど、本当に残していきたいことはそういうことの中にあったり、
人の目を気にして書きづらくなってしまうようなことだったりして、
暮らしを発信する、内面を公表するということについて考えるようになって、
ここ(note)には結局、自分もまた知らない誰かの忌憚のない内面の発露や、他愛のない日常というドキュメンタリーを見に来ているんだなあと思いながら、今日も足繁く通っているというわけです。
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