会議の回し方の下手な人
仕事をしていると、毎月定例の会議などもあるかと思います。
私も立場的には会議の開催者側ではあるのですが、会議の取りまとめ役というか司会進行役は人に任せています。
任せてはいるものの、やはり気になってしまうのは、会議の回し方の上手い人と下手な人の違いについて。
今は、「ファシリテーション」とか「ファシリテーター」とか、横文字文化の役割名が輸入されてきておりますが、ここではそこまで難しいことに触れるのではなく、もっと初歩的なことについて。
会社の方針としては、会議の目的は「情報交換」と「意思統一」、そして「目標達成のため」に行うものとしています。
目的をベースに考えていくと、
この辺りが会議開催に際しての課題となってくるでしょう。
ところが、会議を回すのが下手な人は、上記の課題を気にするよりも自分の議事進行についてだけで頭がいっぱいになっています。
別に誰がというのではありませんが、下手な人の議事進行を少し誇張して例示してみます。
目の前に情報共有すべき、意思統一をすべき、目標への対策を一緒に練るべき相手が集まってくれているというのに、「今日話さないと」と自分の中で決めている連絡事項をちゃんと全部言えているかどうか、この会議を時間内に決めた流れで無事にやり過ごすことができるかどうかが頭の中を占めています。
自分のことでいっぱいで、目の前にいる人たちのことを失念していますから、参加者の皆が話を聞いてくれているかどうか、話に惹き込まれているかどうか、自分が相手にどう見られているかどうかなどは全て二の次となります。
決めたことが全部言えた。時間内に会議を終えられた。良かった良かった。
よく言う、「目的と手段がごっちゃになってしまっている」ということですよね。
しかも、厳しい言い方をしますと、会議の手順(手段)については自分が参加者のために考えた流れではなく、誰かの司会進行のやり方を見様見真似で取り入れてみた形式的なものでしかありません。
進行役が何も考えないで形式的に進めていくと、想いが籠っていませんから会議は形骸化します。会議は時間に合わせて進んでいきますが、空っぽの想いで進められる中で、参加者たちは白けていきます。
誰かが選択した会議の手順は、あくまでもその人が目的を果たすために便利だと取り入れた行為・方法・要素であって、ひとつのツールでしかありません。
会議を回す手段は、それぞれ自分に合ったやり方があるはずです。
そして、自分の選んだ手段は、ちゃんと会議開催の目的につながっているのかどうかが重要です。
それよりももっと大切な要素は、会議を回す立場として、果たして会議参加者に「どのような会議時間を過ごしてもらいたいのか」、そして「会議後にどのような気持ちなっていて欲しいのか」ということではないでしょうか。
開催する側はこの想いをもって会議に臨まないと、そこに参加させられるメンバーにとっては悲劇でしかありません。
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