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がんばるところを間違えて大切なものを失ってしまった友人の話

こんにちは、ごっちんです。

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先日、友人と焼肉を食べながら、彼の人生相談を受けていました。

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​彼はサラリーマンで、いわゆるソルジャーです。(大企業で一生涯を営業職で全うする人)

毎朝7時に出勤し、帰宅するのはいつも23時過ぎ。

土日も月に2~3回は休日出勤したり、こっそり家で持ち帰った仕事をやったりしています。

 

彼の仕事自体はステータス高く、社会的信用もあり、高収入でかつ安定、一般的には憧れられる職業のようです。


その会社の全員がこんな仕事のやり方をしてるわけでは無さそうなので、部署の問題とかもある気がしました。



ですが、こんな感じで「マジメ」に働いていると、金銭的な不自由はしなくても、人生のほぼ全てが仕事で過ぎ去っていきます。


そういう人生に満足してるならいいんだけど、めちゃくちゃ苦しんでそうだったので、うーん困ったな、という感じです。


久しぶりに会った印象は、

(おおお、めちゃくちゃ老けたな。。)

僕と同じ41歳なんですが、どうがんばっても同い年には見えないかなと。

それだけ苦労してるんだなとすぐにわかりました。


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彼には中学生の頃からずっとやってる趣味があり、その趣味をやりながらお金を稼ぐ夢を描いてます。

いまでも月に片手ぐらいしかない少ない休みを使って、その夢を叶えるための活動をしています。


その夢を実現して、いつの日かそれ一本で食っていきたいと思ってる。

食ってくのが無理だとしても、趣味としてそれに時間を費やせる人生を送りたいと言ってました。


でも、仕事に時間を奪われすぎてて、とても自分の時間なんて無さそうです。


夢を勝ち取るのも、趣味に没頭するのも、夢のまた夢の生活。



ひたすら目の前の仕事をこなしているうちに、一瞬で1日が終わり、一瞬で1ヶ月が終わり、一瞬で大晦日になり、年を取ってしまい

もう人生半分終わっちまった・・・ってしみじみ言ってました。



自分の理想と真逆の環境にいることに、非常にストレスを感じているようでした。


営業の仕事も、彼の性格にあっているとは言えないらしく(確かにあってなさそう)入社18年経ってもやはりその仕事に対する違和感が拭えない。


まだ20代の若い同僚に囲まれ、意識の違いをまざまざと感じるし、なんでこのおっさんまだこんな仕事してるの?って見られてる視線が痛く、孤独感も相当あるようです。


聞いててツラくなりました。



そんなにストレス感じるなら、人生半分過ぎちゃったって自分で言ってるぐらいなんだから、さっさと辞めて別の仕事を探せばいいと思うんだけど・・・



彼とはもう25年来の仲ですが、人一倍責任感が強くて、慎重で、まじめ。


与えられたミッションは絶対にやり遂げたいタイプ。


完璧に仕上げないと気が済まない。


周りがダメなら自分1人でなんとかしようとしてしまう。(ケツ拭きばっかりしてる)


ルールには基本的にきっちり従う。


たとえ環境に不満があってもぐっと心を抑え込み、自分が努力したり、我慢したりすることでやり過ごそうとしてる。。



彼からしたら、仕事が辛いから辞めるというのは、

「逃げることであり、男らしくないこと」

と感じるそうです。


個人的にはそういう、気合、根性、不屈の魂みたいのはめちゃくちゃ重要で素晴らしい素質だと思うし、僕が彼に尊敬を感じる部分です。


そういうものが全くない人は、人生の後半戦で何をどうやっても理想の未来に辿り着くことは無いのでしょう。



ただ、時と場合によっては、それを持ち続けて固執してしまい、大切なものを失い続けることもあります。



彼はいまの仕事を辞めたいと思いつつも、辛いのを我慢してずるずると頑張り続けた結果、心身ともにおかしくなってしまい、神経系の回路に異常が起きていました。

それでも身体と心を酷使しながら仕事を続けてたら、とうとう身体がいうことを聞かなくなり、営業先で倒れてしまいました。


いまは仕事を休職しています。


彼は職場に迷惑をかけしまったことに、ものすごい引け目を感じていました。

「なんで俺はこんなにダメなんだ」

って言って、完全に自信喪失してました。



でもさすがに、このまま同じ仕事を続けるのは厳しすぎると思ってて、転職を考えているそうですが、マジメで慎重な性格が彼をその場にガッチリ縛り付けています。


上司&総務部門との面談のときには、

「仕事なんて辛いのが当たり前。簡単に逃げてはいけない。これからがんばって挽回だ。」

みたいな ”もっともらしいこと” を言われたりもして、さらにガチガチになって動けなくなっているようでした。



僕はひとこと、

「がんばりどころを見極めないとね」

とアドバイスしました。



人生の目的ってなんだっけ?

毎日仕事に追われて生きてるとすぐに見失ってしまうのですが、目の前の仕事に全力で取り組むことが、そもそも人生の目的を達成するために適切なことなのか?

これを一度冷静になって検証しなきゃいけません。



人生の目的って、極論言ったら誰でも「幸せに生きる」ことだと思います。


勉強を頑張るのも、いい会社への就職を目指すのも、いいパートナーを探すのも、子供を産んだのも、子供にいい教育を受けさせるのも、すべては幸せになりたいからやってきたことなのではないでしょうか。


彼の幸せは、学生のころからの夢を追うことです。

本当はやりたいって本人も言ってました。


もしその夢は叶わなくても、金銭的に豊かになれなくても、本当に好きなことに時間を使える人生を送りたい、そう言ってました。


その人生の目的を考えた時、

「今の仕事を頑張り続ける」

という選択肢、はたして適切なのでしょうか??



本人ももう、痛いほどわかってるんだと思います。


でも、たった1歩を踏み出す、その勇気が出せません。


でもいま勇気出さなかったら、定年するまではどうがんばっても暇になることは無いのも事実です。



彼は65歳だか70歳だかの爺さんになるまで、

「夢を追う=幸せになる」

ことが事実上不可能になるのです。



もちろん、それまで耐え忍んで待つのも選択肢なんですが、そのために残り25年とか30年をつらい仕事に捧げてしまうのは、どう考えても目的達成の手段として間違ってる。

それもそうだし、そんな歳になって健康でいられる保証はどこにもない。(ましてや相当のストレスを受け続けている)



多分、他にもっと早く、簡単に目的を達成出来る手段がいくらでもあるでしょう。


彼が人生の目的を達成するには、もう100点差ついて逆転の見込みが無い野球の試合を、さっさとコールドゲームにして終わりにすること。

そして、次の試合に向けての行動を起こすことです。


どうやったら「夢を追うための時間=趣味で食ってくための時間を作れるか」を本気で考えるべきです。



ビジネスや投資だけじゃなく、恋愛や人生全般に言えることですが、

「可能性がない」

と感じたら、やるべきことは気合と根性と不屈の魂でそれを続けることじゃなくて、勇気を出して損切りすることです。


そうしないと時間とともに、気付かないうちにもう取り返しのつかないところまで追い込まれます。


彼の場合は、もしかしたら夢を追いかけながら幸せに過ごせたはずの貴重な30代の時間、新しいことに挑戦する体力&気力などを失いました。



そりゃあもちろん、転職したり副業ベースでビジネスを始めてみたって、彼の夢が実現するかどうかは分かりません。

でも、取引先でぶっ倒れてしまうような状況よりは、どう考えてもマシになるのでは。



てゆーか、そもそもそんなに大袈裟な話でもないです。



「人並みの収入」があり、かつ「暇な時間」が多くとれる生活。


それってマジで◯ぬ気でがんばっても手が届かないような、むちゃくちゃな理想じゃなくないですか?


むしろ努力次第で誰でも手に入れられるような、超現実的な話のような気がします。




あと、勇気が出せない彼に向けてもう1つだけ伝えたいことがあります。



それは、いまの自分が見えてる世界なんて、ものすごく小さいよってこと。



会社を1つの閉じた世界だと考えるなら、日本だけでも368万個の世界が存在するわけです。


それぞれミッションも、ルールも、業務内容も、職場環境も、給与体系も、働く人間も、評価基準も、全然違います。


しかも同じ会社の中でも営業部隊と生産部隊ではまるで世界が違うように、選択肢なんて無限にあるわけです。


一番初めに出くわしてしまった368万分の1が自分と相性悪くても、そんなに悩み苦しむ必要は無いのです。


たまたま合わなかっただけかもしれない、少なくとも彼はそうだと思います。(根っからのダメダメは、どこ行ってもダメですが…)



サラリーマンの世界以外にも、自営業や起業といったもうひとつの大きな世界もあります。

サラリーマンとしては落ちこぼれだったけど、自分で起業したらうまくいったというケースはいくらでもあります。


僕も当時は超のつくほどの落ちこぼれでしたが、副業からビジネスを始めてみたら仕事も人生も上手く進み始めてくれました。


おかげで脱サラしてから10ヶ月経ちますが、いまだにサラリーマン時代の仲間たちが会おうよって毎週のように声をかけてくれる人間になれてたみたいです。(仲間に感謝)




近くにある何百万という世界を見ようとしないで、たった1つの自分に合わない世界、幸せになれる可能性が限りなくゼロに近い世界に固執して、自信を無くしたり、心身をすり減へらしたりすることは、なんだかとてももったいないことのように感じます。



もちろん転職したり起業するとなれば、もしかしたら収入は減るかもしれないし、家族の反対とか、世間体とか、会社に辞表を出すダルさとか、就職活動とか、起業準備とか、苦労やストレスも一時的に膨らむかもしれません。


でも、それを恐れて何も行動しないと、

「満足できないままタイムリミットで◯ぬ」

という最悪のエンディングを迎えてしまいます。



僕にはそれが人生における一番のリスクであり、デメリットに見えてなりません。



人生の目的を達成したいときに、目の前に置かれた課題をがむしゃらにがんばるということが、


はたして本当に適切なことだと言えるのか?


別の近道は存在しないのか?


ただがむしゃらにがんばる前に、本当にそこが自分の

『がんばりどころ』

なのか?



自分の状況を冷静に検証することも大切です。




最後に、

がんばってる状態=心身ともに無理をしている状態であり、

長い人生、一時的にがんばることはどうしても必要だと思うけど、どうせ何十年もがんばり続けることなんて誰もできないんだから、

どうせがんばるなら『がんばらなくてもやっていける状況を作るためにがんばる』べきだと思います。



それは必ずしも、時間が有り余ってなきゃいけない、誰にも依存せず自由にならなきゃいけないという話じゃないです。



時間がなくても、まだ何かに縛られてても、毎日楽しく充実していれば、それは全然辛くなくて、がんばるとかがんばれないとかの感覚は無くなります。​​




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