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欲望(ショートショート)

(これから待っている未来は、まぎれもない僕たちの青春・そしてこの先の未来の糧になるような試練の連続だったのだ)

僕は今、1本の短編小説を完成させた。正直に言って、自分の中では納得いっていない。この文末に向かうまでの流れの中で、頭の中に描かれている景色と、実際の文章によるアプローチがかみ合っていないような気がする。

僕の頭の中で、この小説の主人公はもっと野心に燃えていた。希望と可能性と反逆精神が入り混じり、一生懸命何者かになろうとしている。でも、僕が実際に書いた文章は、ただただ希望に満ちているだけ。その微妙なニュアンスを正確に再現出来ている気がしない。

文章の能力があると言われてから、僕はその言葉だけを信じて、ひたすら文章を書き続けた。小説・エッセイ・自伝・物語・記事・ビジネス書ーとにかくありとあらゆる文章をだ。

現在は1日2万文字。何があっても書くようにしている。無駄に広い部屋の一角にあるオープンクローゼットが併設した書斎のような場所に、youtuberが座るような椅子を置いて、7時間近くパソコンとにらめっこする。

1日に様々なジャンルについての書き物をする。これは自分で決めたことで、自分の文章に対する自己評価があまり高くない僕からしてみたら、その人の言葉に添える文章を書くために、その人の言葉が嘘にならないようにするためには、これくらいの量は当たり前にこなすべきだと思ったのだ。

当然、これだけの文量を書こうとすると、日々のインプットはとても大切になる。インプットが不足していると分かる方法はただ1つ。筆が止まった時だ。筆が止まった時は怖くて仕方が無い。自分のインプットが不足し、ネタが枯渇している。その怖さの正体は、筆が進まないことというよりも、自分自身が如何に無駄な時間を過ごしているのかが垣間見えてしまうようで怖い。

僕が普段、何気なく生活している景色の中で、とても大切な何かを見落としているような気がして怖いのだ。1日の中で起こった、あまりにも当たり前なことも驚くような出来事も、すべてを均一に、同じように描写し、そのすべてを情報として認識して言語化したい。

もしかしたら僕が見落としているだけで、人から見たらすごく関心があって、興味があって、熱狂できる何かがあるのかもしれないと思うと、ひどく怖くて寂しかった。

残念ながら僕には、日常生活のすべてを描写に変える力は備わっていない。もしかしたら訓練すれば身に着くのかもしれないし、これは元より才能に依存する能力的な何かなのかもしれない。それすら見えていないことが、たまらなく悔しい。

こういうことを考える時、僕はAIが羨ましくなる。いや、嫉妬さえする。

彼(もしくは彼女)たちは、自分たちの身の回りに落ちている情報を決して見逃さず、その膨大なインプットでもっていつでも作品を生み出せる。これはとてもすごい事だと思うし、あまりにも贅沢な話だ。

もちろん、そこから生まれた作品が自己満足を満たしてくれるかどうかは分からない。でもそれは、前提を超えた贅沢な悩みだと思う。

現に僕は、ネタが無いと認識しながらも、軽い絶望に打ちひしがれながらも、それでも机の前にかじりついている。その間は、僕は作品やら表現といった、自分を満たしてくれる世界との唯一の接点を失っているわけで、そこに自分が存在する理由を見失いそうになるのだ。

僕がAIのように、生きている景色のすべてを情報として解釈し、それを言語化することができれば、きっとそういう悩みは遥か昔の小さなズレ程度のものになる。

はぁ。

そんなことを考える余裕はあるくせに、肝心のネタの枯渇からは抜け出せず、書くという一番やりたい作業を中断しなければならない状況に情けなさを覚える。

気を取り直したくて、最近古本屋で購入した、村上春樹さんの「回転木馬のデッドヒート」を読んでみた。他にも本は沢山あるが、たまたまそこに救いを見いだしてみたくなったのだ。

そこには、僕が抱えている悩みの答えがあった。彼がスケッチと呼ぶ行動から溢れた何かをまとめたその本には、まさにインプットとアウトプットを小説的ーあるいは文章的に表現する実験的な挑戦が記されているように見えた。

そもそも僕はAIに文章を書かせてもいい立場にある。にもかかわらずそれをしない理由は何か?

それは、僕が文章を書きたいと思っているからだ。きっかけはある人の言葉だったけれど、今は純粋に文章という行為と向き合いたいと思っているのだ。

これはAIにはマネできない、僕らしい思考であり、同時に僕らしい欲望だ。そう、そこには実に人間らしい欲望があるではないか!

そんな葛藤と欲望を切り取り、言語化して伝えられたなら、僕の文章はさらに良くなって、魅力的になるのかもしれない。

僕は再度机に向かってみた。そして、先ほど書き終えた納得のいかない短編小説を読み返してみた。

何となく言いたい事は伝わる。でもそれだけだ。もっとこう、惹き込んで没入させる何かが欲しい。

頭は割とクリアだった。

だからだろうかー僕には僕の文章の節が足りないように思えてきた。

僕らしい文章。読んでくれた人が、一瞬で僕の文章だとわかるような、僕ならではの節。それがこの文には足りないのだ。

こればっかりはもっともっと創作する以外に方法はない気がする。そして、もっともっともっと色々な文章に触れる以外に方法はないはずだ。結局はインプットとアウトプットでしかない。

あれこれ考えを巡らせたが、着地した場所は同じだった。結局僕はまた、インプットに怯えることになるのだ。

ただ、見つけたものも多かった。今度はそう簡単に心が折れたりしないだろう。なにせこれは僕の欲望。人間らしい欲望なのだから。

僕のリズム・テンポとはどんなものなのか? そこから得られる、僕らしい文章の節とはなんなのか?

今はそれを探すのが楽しみで仕方ない。

ステージが1つ上がった気がした。見えなかった景色が見えるような気がした。

さぁ、ここからが正念場だ。量をキープしつつ、僕イズム・僕らしい節のとっかかりを見つけていく。何度だって挑めばいいのだ。

人として何かを生み出す楽しみを、僕なりの方法で見つけていく。

僕は書き上げた短編小説を読み直し、果てしなく続く修正の世界に没頭していくのだった。






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