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「人を選ぶとき」がやてっく~誕生前夜~ #44

僕が事務所内新規事業において、ひたすら並走することを強いられている間に、荒井さんの方でも新たな問題が発生していた。

ミーティングが終わり、荒井さんに電話をかけたが、荒井さんは電話に出なかった。

折り返しの電話があったのは翌日になってからのことだった。

「来週、本社に呼び出された(笑)」

電話の中で荒井さんはそう言った。僕は「何でですか?」と聞いたのだが、荒井さんにも理由は分からないらしかった。

気づけば、僕と荒井さんの付き合いは半年くらいになっていた。半年も付き合って、あちこちで目立つ動きをしていると、自然と近寄ってくる人も多くなった。僕と荒井さんはよく似ている。何が似ているのかと聞かれると、説明するのが難しいのだが、方向性や考え方がよく似ている気がする。でも、そんな似ている2人でも、違うところはある。細かい話だが、人との接し方は大分違うと思う。これは人生景観かもしれないが、ピタッと言ってしまえば、僕の方が他者に冷たい。

僕は基本、傍に置いておきたいと願う人は「能力」や「競争意欲」を軸にする。もちろんフィーリングが前提だけど、そこから先はこの2つが重要なのだ。特に競争意欲は、並々ならぬこだわりを持っていると自負している。

ひとくちに競争意欲と言っても、ずっと競争に縛られている人間は嫌いだ。そんなスケールの小さい人間と一緒にいれば、自然と自分のスケールも小さくなる。重要なのは「これは負けられない」という部分。

ここは競争すべきタイミングで、ここは絶対に負けちゃいけない。

そういうタイミングを理解して、その時に本気になれる人間がいい。競争を最初から否定したり、戦いをうまく避けたりする人間は、器用だとは思うけど、正念場に弱い。要するに逃げ腰が付いていて、あんまり他人思いではないと僕は考えている。

僕は自分のやりたいことが、いつも戦いの中にあることを知っている。だからこそ、1人でコツコツとやる方がいいし、一緒にやる時は、能力や競争意欲を大事にする。だから当然なのだが、周囲にいる人間の数は少ない。そんなに簡単に、誰かと何かを始めたりもしないし、そういう場面でもない、プライベートな時でさえ、話しの内容が噛み合わないように思うことがある。

これを荒井さんと比較してしまうと、もしかしたら荒井さんもそうなのかもしれない。ただ、僕と荒井さんとでは人生経験に違いがあって、荒井さんはどこかで、ある種の折り合いを付けられるようになったのかもしれない。だから、どちらが正しくて、どちらが間違っているかという単純な判断は難しいと思う。

荒井さんは僕から見れば、基本的には「意欲」を軸にしていると思う。競争とか能力は二の次で、意欲があればチャンスを提供したいと考え、そういう人を周りに置く傾向があると思う。

もちろん、それは単純な感情ではないのだろう。荒井さんには荒井さんの考えがあって、ある種承知の上でそうしているはずだ。僕はそこに文句を言うつもりはないし、それはとても素晴らしいことだとも思う。

当然、僕よりも選民思想が弱い荒井さんの周囲には、僕よりも沢山の人間が集まってくる。荒井さんに相談をしたい、荒井さんに話を聞いてほしい、そういう人は、C社内にも沢山いた。

傍から見ている僕は、荒井さんの思想は素敵だと思いつつも、それは巡り巡って、荒井さん自身を苦しめる行為そのものだと思っていた。そして、そんな非合理な動きそのものは苦手だった。

先に言っておくが、荒井さんはこの後「降格」することになる。

僕はその降格の原因が、荒井さんの意欲や選民意識の低さにあると思っている。傍から見ていた僕は、集団や平民思想を受け入れられなくなるくらい、その醜さの実態を見たと思っている。今でも僕は、やっぱり選民思想だ。融通は利くようになったかもしれないが、それでも根底は変わらない。

最後に損をするのは、結局、周囲に足を引っ張られた人間だ。そこにどれだけの実力があっても、どれだけの強運があったとしても、集団という大きな力は、最終的にそれらを飲み込む。

僕が荒井さんとの電話を切った時、そこには言いようのない不安があった。これから起こる事が、僕たちにとって不利になるのは明白だと思った。

僕は自分を強く持つことを意識した。それしかない。それしかできなかったのだ。

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