マガジンのカバー画像

カフェで読む物語【不定期 更新】

52
2.3分で読める、小さなお話。 例えば、カフェでコーヒーが出るまでの待ち時間に読んでもらいたい、ワンシーン小説です。 ちょっと1話、読んでいきませんか?
運営しているクリエイター

記事一覧

手折らぬ、花よ

「うん、そうなんだよね……」

声のトーンを落とした悲しげな横顔に、僕ははっとした。

さっきまで、花が咲いたみたいに笑っていたのに。
僕の一言で、その花を無造作に摘み取ってしまったような気がして、すごく焦った。

言葉に窮する僕に、彼女は、また弱々しく笑って、

「あ、でも大丈夫だよ。連絡はとってるし。結果なんて、すぐには出ないから。やるだけやってみるよ」

移動する先輩から、100件以上の顧客

もっとみる
「君を線で追いかけた。」

「君を線で追いかけた。」

「僕は、人は上手く描けないんだよ。特に女性はね」

そう言っていたのに。

「先生は嘘つきです」

アトリエにあちらこちらに山積みにされた、膨大な数のクロッキー。
それはある女の人を、とてもいきいきと写しとっていた。
なめらかな、えんぴつが滑るような線。
無我夢中で、描き出された、走らされた、えんぴつ。

こんなの私じゃなくたってわかる。
かなり上手い。

「違うんだよ」

細身の先生は、ふらふら

もっとみる
暮れの便りは

暮れの便りは

この一年、何度先生に呼びかけたかわからない。

留年したときは、親から大目玉ものだった。
けれど、それで私は先生ともう一年一緒にいられた。

今年は流石にそうもいかなくて、私はなくなく卒業し、名門大学の看板を引っ提げて出版社に潜り込んだ。
「もっと勉強したかったので」
真面目そうな黒髪丸メガネのなりでそう答えれば、面接官は嬉しそうにうなづいた。

事実、私は先生とフランス文学について話してばかりい

もっとみる
生活と私

生活と私

カフェオレよりも、ミルクティーが飲みたくなった。季節が変わって、暖かな陽気が流れ込んだからだろうか。やさしい香りとほのかな甘さのミルクティーが飲みたくなった。 

ミルクパンに牛乳を注いで、火をかける。
ミルクパン、というのは、あの美味しいパンではない。牛乳を温めるための小鍋のことをそう呼ぶのだと、私は最近始めて知った。
ミルクパンで温めた牛乳は、すぐにクツクツと揺れ出して、ほかほかになって、レン

もっとみる
陽に溶ける

陽に溶ける

桜が散っている。

ーー大人になってしまった。

川面を埋めるピンクの花びらを眺めながら、私はぼんやり思う。すぐ近くの中学校から、懐かしいチャイムの音が聞こえてくる。

ーー今年で、30歳。身体だけ大人になってしまった。

私だけだろうか。未だに自分の年齢がしっくりこなくて、本当だろうかと思ってしまう。私が思っていた30歳は、こんな風だっただろうか。
本当はもう営業回りは終わったのだから会社に戻る

もっとみる
Knife

Knife

思いがけず、その刃はキレイに刺さった。

僕の口から放たれた言葉は、彼女の胸の真ん中に突き刺さり、今その傷口からどくどくと血が流れて出しているのが見える。

彼女も僕も唖然として、その瞬間を眺めていた。

そんなつもりはなかった。こんなはずじゃなかった。
そのことは、きっと2人ともわかっていた。
だけど、血が流れていることは事実。
それは消しようのないこと。

あぁ、僕は、いつの間にこんな恐ろしい

もっとみる
連れ去る列車

連れ去る列車

寂しくなんかない。
今はちょっと弱ってるから、それでセンチメンタルになってるだけなんだ。

何しろここ数ヶ月、あれもこれもと詰め込んで毎日があっという間に過ぎ去っていった。
少し、疲れたのだ。それだけのこと。

そう思おうとしたけれど、やっぱり胸の奥がぎゅうぎゅうする。
窓の外を流れる、見慣れぬ風景に眉をしかめる。

ーー今何してるかな……
ーーううん、それよりもっと、今何考えてるのかな、どんな気

もっとみる
泣きたい前髪

泣きたい前髪

前髪を切りすぎた。
高校生の頃みたいに、眉の上まで。
私はもうじき30歳にもなるというのに、どうしてこんなことで失敗してしまうのかしら。

高校生の時、いつも前髪を自分で切っていた。
成長盛りのあの頃は、前髪まで伸びるのが早かったのかもしれない。だってこの前切ったと思っても、うっとうしくすぐに目にかかるのだ。
洗面所の前、ティッシュを敷いてハサミを用意したら、美容師さながらハサミを縦にしてチョキチ

もっとみる
学ランの君

学ランの君

似ている。

小銭を渡し損ねたとき、瞬時にそう思った。
いや、あまりに似ていたから動揺して小銭を落としたのだろうか。この予想外の衝撃のせいで前後のことさえわからない。

大丈夫ですよ、とはにかんで笑う。
笑った時に、あの、目尻に皺がよる感じ、いかにも優しそうな感じが似ている。

目の前に立つ男の子は、学ラン。
そして私は黒いエプロン、カフェの店員の。

私は今年で27歳になるというのに。
目の前の

もっとみる
さよなら、してから

さよなら、してから

花束を握りしめていた。
さよならには、とっくに慣れたと思っていたのに。

「京ちゃんが好きだって言ってたから」
そう言いながら佳代子が渡したのは、オペラ色のアザミが彩る、丸い花束だった。

男に花束なんて、そう思って笑おうとしたのに、声を出そうとすると泣き出しそうで、何も言えなかった。

アザミの花。
佳代子と寄り道した学校帰り、空き家の庭に咲いていた。
他人の庭に勝手に忍び込む、あのなんとも言え

もっとみる
並んだプリン

並んだプリン

「えっ、やだっ!」

冷蔵庫の一番上の段のプリンが、また一つ増えた。これで5個目だ。
またプリンを買ってきてしまった。

近頃、思わずプリンを買ってきてしまう。
思わずというか、どうしても。
プリンがあれば大丈夫な気がして、昨日買ったことを忘れてまた買ってしまうのだ。

きっともう、プリンを買うことはお守りみたいなもの。

今日も大丈夫なお守り。

あまく、なめらか。

そうして自分を甘やかしてい

もっとみる
心、すれ違い

心、すれ違い

私はあなたしか欲しくないのに、あなたは私じゃ足りない。
そのことが今日はずいぶん分かった。

薄暗い個室、誰かのカラオケ、お酒とタバコ。
そういうものの中で、あなたは水を得た魚のように生き生きとする。
私はアルコールとタバコの匂いで頭が痛いし、気弱な笑顔を貼りつけてタンバリンを叩くので精一杯。

「寂しがり屋」
そういう言葉でよかったんだっけ。
こういう虚無をそんな風に言ってしまってよかったのかな

もっとみる
転がる。煮詰まる。

転がる。煮詰まる。

里芋の煮っ転がしを作っている。
大きすぎず、小さすぎず、手頃なサイズの鍋の中で、里芋たちがくつくつ揺れる。

うすぎるのではないかと思うほどの醤油味が、中火にかけられ煮詰まるにつれてやさしくほんわりとした和の味に変わっていく。
くつくつ、くつくつ。

先生は今日は疲れているだろうから、やさしい味のモノがいいだろうと思ったのだ。
最近食欲もないと言っていたから、胃がビックリするような濃い味はやめにし

もっとみる
願うよりも、強く

願うよりも、強く

やわやわのたこ焼きは、水のように喉をくだっていった。
腹が減っていたのだな、と気がつく。

初詣。
これも帰省のついでと実家の近くの神社をふらり訪れれば、鳥居の前の道路は例年通り歩行者天国となり、屋台が軒を連ねていた。
周りは家族連れかカップル、少なくとも友人と来ているようで、一人きりなのは自分だけらしかった。
いいのだ、34の男にもなれば、一人で参りたいこともあるというものだ。

息を切らして境

もっとみる