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生活すること

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生きるって何だろう?それは生活することなのではないだろうか────30才で伊東市にある海の街へ移住して感じたことを書いています。
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#私は私のここがすき

戦わない勇気

戦わない勇気

ギターとキャリーバッグを担いで、バスへと乗り込んだ。運転手さんにゆっくりでいいですよ~と言われる。久しぶりの大荷物に私は手こずっていた。こんなに重たかったっけ。今回の荷物はまだ少ない方で、これよりもっと重い荷物を担ぎながら全国を飛び回っていたなんて信じられない。あの頃は重さなんかよりも、世界が広がっていくワクワク感の方がまさっていたのだろう。伊東駅でお土産を買うと店員さんに、たくさんありがとうござ

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幸せの範囲

幸せの範囲

新井の街は、私の目にはアートのように映っている。斜面に沿って立ち並ぶ家並み、どこへ繋がっているのか分からない入り組んだ細道、坂を登れば登るほど姿を見せる海、辺りから聞こえる無数の鳥の声、時折り風に乗って漂う潮の香り。全てが今までの私の人生の中にはなかったもので、とても新鮮に、繊細に、穏やかに体内へと取り込まれていく。地元の人の目には故郷というフィルターがかかり、過去の思い出と共に今が共存しているか

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結果を捨て去った日常は広がり続ける多彩な世界

結果を捨て去った日常は広がり続ける多彩な世界

結果をあまり気にしなくなった。というか結果を想像しなくなった。というか結果が伴うことをしなくなった。今できることを淡々とやって、あとはどうにかなるさとお気楽な感じでいる。もうちょっと考えた方がいいのではないかと思うことはあるけれど、そこには背伸びをした自分か、背伸びが足りないと落ち込む自分か、もっと背伸びをしなくてはいけないと鼓舞する自分がいただけだった。結果のことを考えると、その結果に対して今の

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頑なに引っ張らない

頑なに引っ張らない

ここ1ヶ月の間に何度か落ちた。でもすぐに真ん中へ戻すのが上手になってきた。真剣に休めば数日で元に戻せる。転ぶのを怖がっていたらいつまで経っても自転車に乗れないように、揺れるのを怖がっていたらいつまで経っても暮らしを楽しめない。一時期は心の揺らぎが怖くて誰かに会うのも、どこかへ行くのも躊躇していた。薬で初めて知った安定した自分に寄りかかりたくなってしまうのだ。だけどいつかは補助輪を外して自転車を漕が

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すっぴん

すっぴん

化粧をしない日が増えた。ずっと家にいるからとかではない。どちらかと言えば、以前よりも外にいる時間は増えている。誰かに会う時、どこかへ出かける時、私は必ず化粧をしていた。化粧をしていないと、服を着ていないみたいでなんだかソワソワしてしまい、いつの間にかすっぴんは恥ずかしくて見せられないものになっていた。それは、これまでステージに立っている藤森愛としての時間が圧倒的に長く、私として誰かに会ったり、どこ

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作品との結びつき

作品との結びつき

8月の展示会の準備をぼちぼち進めている。と言ってもすでに絵の点数はわりとあるから、あとは当日まで描けるだけ描いて、額装するぐらい。会期中にお客さんが来るのを待ちながら、会場でコーヒーを飲みつつ描いたりするのもいいなあなんて思っている。だから今はあんまり気合いを入れて増やそうとはしていなくて、レコーディングしたり、山梨県まで桃を買いに行ったり、わりと別のこともしている。自分史上一番のんびり進めている

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誰かの幸せと私の幸せ

誰かの幸せと私の幸せ

私は幸せのハードルがとても低くなった。毎日海を見に行けて、お気に入りのコーヒーが飲めて、干物が食べれて、ご近所さんと喋れて、作品を作ることができれば満足。今はこれ以上望むものはない。だから毎日がわりとハッピーで、たまに鬱は来るけどそれでも根底はハッピーで、明日も明後日もこの繰り返しでいいなあと思っている。向上心のカケラもない(笑)ただ探究心はある。音楽も絵も文章も躁鬱も、もっともっと深く知りたい。

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降っていく

降っていく

手すりを掴みながら、緩やかな階段を一段一段降っている。いつまで降るのだろうか。今までは急降下してしまい、何が起きたのか分からないまま地面に叩きつけられて大きなダメージを負っていたけれど、今回は落ちるのを理解しているから自ら下へ向かってみている。ここで無理やり元気に振る舞おうとしたり、普段と同じことをやろうとすると、余計に下へ引っ張られる。争うのではなく、受け入れていくイメージだ。躁でやりすぎた分、

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躁の波を乗りこなす

躁の波を乗りこなす

心臓がいつもより早くドクドクと動いているのを感じる。身体は少し強張って、緊張しているようだ。視界はパーっと開けていて、まるで覚醒しているような感覚の中、何に対してなのか分からない焦りがある。そして湧き上がってくる何でもできそうという自信。私はおそらく躁鬱人の躁状態になっている。昨晩は衝動を抑えきれず0時近くまで制作してしまい、さらに覚醒して眠れなくなってしまった。頭の中でのインスピレーションも止ま

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不安定な生き方マニュアルを作る

不安定な生き方マニュアルを作る

長らく書いていなかったけど、私は躁鬱人だ。双極性障害というなんだか深刻そうな名前は嫌だから、坂口恭平さんを見習って躁鬱人と言っている。自分が躁鬱人だと知って調べた時に、医学的な文献ばかりで当事者たちの声があまりにも少なくて困った。治らないのなら上手く付き合っていくしかないのに、実際にそれができている人がどんな生活をしているのかが分からない。薬を飲んでいて大変ですみたいな話が多い。そもそもパイが少な

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自己満足な世界の中で

自己満足な世界の中で

私は部屋のインテリアにかなりのこだわりを持つようになった。お皿一枚、調理器具一つ、やかん一個を選ぶのに時間をかける。気に入った物が見つからなかった時はお店を何軒も梯子したり、メルカリにずっと張り付いたりしていた。だから私とその物の間にはそれぞれストーリーがあり、思入れが生まれて、使う度に毎回いいなあと思えている。キャリーバッグ一つあれば部屋なんていらないとか言っていた人間なのに、極端な変わりようで

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私は私になった

私は私になった

最近私は私になったと感じている。これだけだと意味不明だろう。私はずっと私ではない何かになろうとしていた。それは多分、理想の自分みたいなもので、近づこうと努力して、磨いて、戦って、負けず嫌いだから悔しさもバネにしたりして、なりたかった自分になれた時もある。でもなぜかコレじゃない感があった。行きたかった喫茶店に行けたのに、肝心のコーヒーの味は好みじゃなかったみたいな感じ。嘘をついていたわけではない。本

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一人が好きなのは悪いことじゃない

一人が好きなのは悪いことじゃない

一人の時間が好きだ。一人でいることを寂しいと感じない。流石に山奥で仙人のように籠っていたら寂しさを感じるのかもしれないけど、必要最低限の社会との繋がりがあれば充分だと思ってしまう。挨拶を交わす干物屋さんや八百屋さんがいて、世間話をするご近所さんがいて、たまに泊まりに来たりお茶したりする友達がいて、すぐに連絡できる家族がいて、遠く離れていてもSNSを通して繋がってくれている人たちがいて、今こうして書

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30の壁

30の壁

4月で活動12年目を迎えた。「今年は活動◯年目です!!!」と毎年大きく構えていたけれど、今年はぬるっと迎えている。あ、今日で12年目か〜なんて思いながら、愛車のクロスバイクを漕いでサイクリングしていた。人ってここまで変わるもんなのかと自分でも驚いているのだけど、実はずっと辿り着きたかった姿でもある。

私は現在30歳なのだけれど、この年齢を迎える前までの数年間、かっこいい30歳になりたいという漠然

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