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一人が好きなのは悪いことじゃない

一人の時間が好きだ。一人でいることを寂しいと感じない。流石に山奥で仙人のように籠っていたら寂しさを感じるのかもしれないけど、必要最低限の社会との繋がりがあれば充分だと思ってしまう。挨拶を交わす干物屋さんや八百屋さんがいて、世間話をするご近所さんがいて、たまに泊まりに来たりお茶したりする友達がいて、すぐに連絡できる家族がいて、遠く離れていてもSNSを通して繋がってくれている人たちがいて、今こうして書き出してみただけでもたくさんいるなあと思ったのだけど、それぞれとの接触時間は短い。私が一人で過ごしている時間の1割にも満たないだろう。「愛ちゃんの暮らしは一人が好きじゃないとできない」と友達に言われて、ようやく一人時間が長いのを自覚したくらい苦に感じていないらしい。

でもそれは、人間としておかしいと思っていた時期もある。皆んなは常に誰かと一緒にいても楽しそうだし、求められるのは集団行動ばかりで、その中で生きていけない自分がズレていると思っていた。決して人と一緒にいるのが嫌いとかではなく、楽しいのだけど、私の身体にはタイムリミットが設けられている。それもかなり短めの。そもそも人間は狩りをしていた時代に、孤独になると生存を脅かされる可能性があるため、「寂しい=苦しい」を感じるようにシステム化されて、本能的に孤独を回避するようになったと言われている。そう感じない私のシステムはバグっていると思った。頑張ってそのシステムバグを書き換えようとしてみたり、タイムリミットをシカトしてみたりしたけれど、どれも上手くいかなかった。そんな努力をしながら、一人が好きなのはよくないことだと思っていた時期はとても長い。

でも今では、私は一人が好きだということを認めてあげられている。認めてからは随分と生活が楽になった。一人が好きな人は充電方法が違うらしい。人から充電するタイプと、一人で充電するタイプの2つがあって、私は一人でいる間はコンセントに差しっぱなしだからいつまでも動けるけど、人と会う時はモバイルバッテリー式になる。以前までは、もう電池切れなのにコンセントに差さないままだったり、必要なモバイルバッテリーをぶっ壊して人に会ったりしていたみたいだ。正しい充電方法を知ってからは稼働効率もよくなったし、人にも会いやすくなった。いちいち充電する相手を見つけなくてもいいから、利便性はわりといいなと思えている。

私に必要だったのはモバイルバッテリーの破壊ではなく、孤独になる勇気だった。それでいいんだよ〜と自分に言ってあげられる勇気。一人で寂しくないの?と聞かれた時に、寂しいと感じられないこと自体が寂しいと思っていたけど、そんな風に思わなくてもいいのだと分かった。私には私の充電池がある。海岸に一人で座ってぼーっとするだけで満たされてしまうほどの小さな充電池だ。だからこそできている、膨大な一人の時間があるからこそできていることがたくさんある。絵を描いたり、曲を作ったりみたいなアートに関われているのはその恩恵が大きいだろう。一人だからできていることに目を向ければ、自分は孤独なのではなく、役割があるのだと気がつける。だから今日も私は、一人の時間を最高に楽しんでいる。

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