戦わない勇気
ギターとキャリーバッグを担いで、バスへと乗り込んだ。運転手さんにゆっくりでいいですよ~と言われる。久しぶりの大荷物に私は手こずっていた。こんなに重たかったっけ。今回の荷物はまだ少ない方で、これよりもっと重い荷物を担ぎながら全国を飛び回っていたなんて信じられない。あの頃は重さなんかよりも、世界が広がっていくワクワク感の方がまさっていたのだろう。伊東駅でお土産を買うと店員さんに、たくさんありがとうございますと満面の笑みで言われた。その笑顔すぎる笑顔に心がほっこり温まる。この小さな街にいながらも、一人一人と交わす会話が私の世界を広げていく。どんなに足を伸ばしても、周りに映る世界を見ようとしなければそこにいないのと同じだ。今の私の目には、以前よりもたくさんの人たちが映るようになっていると感じる。
電車へ乗り込み、熱海で乗り換え、名古屋方面へと向かう。犬山市で行われるイベントに呼んでいただいたのだ。遠征は本当に久しぶりで、昨年の5月以来になる。その時はまだ伊東へ移住したばかりだったからライブに出向いているのが不思議な感じだったけれど、今は家から出向いている感覚がずっと強くなっている。観葉植物たちは大丈夫だろうか。まだ涼しいから数日は放置していられるけれど、夏だと水不足で枯れてしまう。次の遠征は観葉植物たちを抱えて、一緒に移動する変な人になっているかもしれない。あっという間に海は見えなくなり、知らない街が高速で過ぎ去っていった。
犬山市でのイベント「Music & Recovery fes. Acoustic Night」は単なる音楽イベントではなく、リカバリーがテーマになっている。ここで言うリカバリーとは精神科領域で使われるもので、症状の改善・寛解を目指すのではなく、症状があっても自分らしく生きることや、社会生活の中で役割を担うための過程をそう呼ぶらしい。つまり治すのではなく、共に生きようということだ。私自身ずっと考えてきたテーマであり、今だからこそ出演できたイベントだと思う。
そもそも症状とは、みんなそれぞれが持っている個性が社会の歯車と噛み合わなかった時に「症状」と呼ばれるものに変わってしまっただけで、自分に元から備わっているソフトウェアなのだと、自分自身で理解するところから始める必要があると思っている。私のソフトウェアは躁鬱と呼ばれる、すごくできる時と何もできない時が不定期で繰り返される使いづらいものだけれど、創作ではその使いづらさが役に立っている。感情の振り幅がなければ、作品は生まれないからだ。それは私が私の不安定さを受け入れたから成り立っていることで、MacへWindowsのソフトウェアを入れようとするみたいに、私に私ではないものを入れようとしていたら未だに苦しい思いをしていたかもしれない。
MCは伝えたいことがありすぎて話がチグハグになってしまったけれど、私がリカバリーでやっていたことはただ一つ。自分と戦わないことだった。誰かと比べたり競争したりしているつもりでも、根本では自分自身と戦っている。戦っている限り平和的な解決はなく、支配するか、勝ち続けなければならない。相手の話を聞いて和解するのを他人とはするのに、自分とはしていないことになかなか気がつけないのは、やはり誰かと比べて競争させてきた社会の仕組みもあるのだろう。戦わないことは、戦うことよりも難しいかもしれない。交渉決裂なんてこともよくある。話し合うなんてまどろっこしいことはしないで、勢いとパワーで勝ち続けて支配した方がよっぽど楽。それでも私が話し合いを選んだのは、自分に興味が湧いたからだった。他人に興味を持って仲良くしようとするように、私も私と仲良くしようと思った。ただそれだけなのだ。
セットリスト
1. シラフ
2. 無責任なこの世界で
3. 海のように
4. ゆれる
5. 花丸を添えて
それぞれの演者がそれぞれのリカバリーエピソードを持ち、それが曲やMCの節々から伝わってきて、自分が持っているものを最大限に生かして伝えようとする姿に心打たれた。そして、ほとんどが知らない人同士にも関わらず、壁を取っ払ってしまう音楽の力はやっぱりすごい。私にとってリカバリーの手助けとなっている音楽を、より一層大切にしていこうと思えた一日だった。
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