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すっぴん

化粧をしない日が増えた。ずっと家にいるからとかではない。どちらかと言えば、以前よりも外にいる時間は増えている。誰かに会う時、どこかへ出かける時、私は必ず化粧をしていた。化粧をしていないと、服を着ていないみたいでなんだかソワソワしてしまい、いつの間にかすっぴんは恥ずかしくて見せられないものになっていた。それは、これまでステージに立っている藤森愛としての時間が圧倒的に長く、私として誰かに会ったり、どこかへ出かけたりする機会がほとんどなかったからだと思っている。私でいるのは家での事務作業や、近所のスーパーへ行く時くらい。社会との接点は全て藤森愛が持っていた。

だけどこの街へ来てからは、私のままでいる時間が増えた。仲良くなった干物屋のおじちゃん、顔を覚えてもらった八百屋さんや珈琲屋さん、世間話をする海岸沿いのお散歩おじいちゃん、挨拶を交わすご近所さんたち。日常生活の中で会う人たちが増えていき、自然とすっぴんのまま会う人たちも増えていった。ファーストコンタクトの時に化粧をしていたとしても、すっぴんのまま会いに行ったりもしている。これは今までにない選択肢だった。化粧をしなければならないという決まりはないはずなのに、自分で勝手にしなければならないものにしていたのだ。すっぴんの自分を知っている人たちが増えていくことは、ありのままの自分を受け入れてもらえているようで何だか心地がいい。

一人で活動をしていると、虚勢を張らなければならない時が多くあった。20代女性で、シンガーソングライターを個人でやっている私が社会からの信用を得るために振りかざせるものは無いに等しく、対等な立場でのやり取りはかなり難しい。とんでもなく後回しにされたり、こちらが先に決まっていたのに事務所の仕事を優先されたり、トラブルがあった時に年上男性を挟むとすぐに解決したりなど、腑に落ちない出来事が多くあって、やりたいことをやるためには自分が多くのハンデを持っているのだと知り、事務作業は何でもできるようにして、挨拶できるように名刺を作り、打ち合わせは締まって見えるジャケットを来て、プロフィールや企画書はちゃんとしすぎなくらい作り込んだ。そうやってどんどん身の回りを固めていき、次第にちゃんとしていない自分を忘れていった。自分がちゃんとしなければ、何もできない。ちゃんとするのが当たり前、ちゃんとしていないと相手にしてもらえない、ちゃんとしていないのが怖い。これが俗に言う完璧主義者だ(笑)

だから化粧をするなんてのは初歩の初歩で、すっぴんのままでいるなんて思い浮かびもしなかった。それが今では真逆になり、化粧をする日の方が珍しい。眉毛くらいは書くようにしているけど。おめかししたい気分の時や、気合いを入れたい時だけする。化粧とは本来そういうものではないだろうか。こっちの方が肌の調子もいいし、化粧品代も安く済む。今日は化粧をしていないから人に会えない、なんてことも考えなくていい。ちゃんとしていない自分。すっぴんの自分。本当の自分。そんなちゃんとしていない自分でも関わりを持てている人たちがいることは、想像していた以上に大きな意味があると感じている。

背伸びをすることは、20代の自分には必要だったと思う。だけどずっと背伸びをしていては疲れてしまうから、どこかで身の丈に合うちょうどいい生き方を見つけていくのだろう。今の私はつま先立ちをやめたどころか、もうすぐ地面に寝そべりそうな勢いだけどね。

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