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死は希望だ。

なんとまぁ不謹慎な言葉。

こんな事を言うなんて
筆者は血も涙もないのだろうか。

◇◇


リーガル・ハイをご存知だろうか。
大好きなドラマだった。

毒舌で捻くれ者の敏腕弁護士・古美門研介と
正義感の強い新人弁護士・黛真知子の
凸凹コンビが繰り広げるコメディ法廷ドラマ。

“弁護士” というお堅い印象の職業とは裏腹に
ドラマはとにかくコメディチック。

当時中学生の筆者も毎週欠かさず見ていた。

でも時に、考えさせられるようなエピソードもあって
コメディ一辺倒でないのも面白い要素だった。

そのスペシャルドラマで、古美門が放った言葉について見ていただきたいものがある。

死んだからこそ意味があるんだよ。

死は希望だ。


その死の一つ一つが医療を進歩させてきた。
現代の医療は死屍累々の屍の上に成り立っている。

誰しも医学の進歩のためには、犠牲があっても仕方がないと思っているはずだ。その恩恵を受けたいからね。

しかし、その犠牲が自分や家族であるとわかった途端にこう言うんだ。話が違う!!と。

なんで自分がこんな目に合わなけらばいけないんだ?
誰のせいだ?誰が悪いんだ!
誰を吊るしあげればいいんだ!

教えてやる。
訴えたいなら、科学を訴えろ!
あなたのご主人を救えなかったのは現代の科学だ!
リーガル・ハイ

いわゆる医療過誤のお話なのだが、衝撃を受けた。

多分当時は、「死は希望」という言葉が一人歩きをしてしまい、それがあまりにもショックだったんだと思う。

でもそうだ。この世で何かを果たすためには、何かしらの犠牲を伴う。

まさに、今のコロナ禍だってそうではないか。

誰かが “犠牲” にならなければ、このウイルスがどんなものなのか分からなかった。

ワクチンも、治療薬も作られなかった。

安全な場所で見ている我々は、ワクチンや治療薬開発の恩恵を受けたいが為、犠牲を伴うことは仕方がないと思っている。

しかしそれが自分だったら?家族だったら?友達だったら…?

きっと怒り狂うのだろう。それは人間だから仕方がないことである。

でも、誰かの命を救うためには、誰かの命が必要なのだ。

そうして科学は、進歩をしてきた。

勘違いしちゃいけない、科学は万能ではない。

科学を創り出し、進歩させてきたのは、紛れもなくわれわれ人間だからだ。


古美門は、最後にこう締めくくった。

我々に出来ることはせめて今ある命を慈しむことです。一日一日が奇跡なのだと知ることです。
リーガル・ハイ 

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