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伊山桂ロングインタビュー( 「「伊山桂 特集」のための文章」の、長い注釈 )前編

「「伊山桂 特集」開催中です

伊山桂(いやま・けい、美術家)について

 ただいまシグアートギャラリーでは「伊山桂 特集」を開催中です。
 伊山は「自然と人間の関係性を美術実践の中で考察することを目的に作品を制作発表している」と語り、土などを使用した重厚なマチエールのアクリル画をはじめとして、発想をそのまま形にしたような軽やかさをもつ水彩や鉛筆のドローイング、卵の殻を使った独自の支持体を持つ絵画などを制作してきました。また2001年生まれという若手ながら年数回の個展をこなし多数のグループ展に参加してきた伊山の作品には、萬鐡五郎や松本竣介、舟越桂の作品のような近現代日本美術からの影響を思わせる確固とした造形的なセンスが見て取れ、一方でその時々の関心に基づいて新たな素材や手法を試みていく姿勢からは、柔軟な実験精神も感じられます。
 一見、個展のような今回の展示は、アトリエを訪れたギャラリーのスタッフが伊山と相談しながら選んだ近年の作品から組み立てられています。全出品作43点のうちにはこれまで未発表だった作品が18点含まれており、伊山の多作ぶりが伺えます。

「「伊山桂 特集」のための文章」

 会場の一角には、この展示に伊山が寄せた文章が展示してあります。

「伊山桂特集のための文章」展示の様子
「伊山桂特集のための文章」(部分)

 これまでのことを少し振り返ってみます。
 僕はある時から絵を描き始めて、ある時から人間という存在について考え始めました。そしてどこかのタイミングで芸の何かに喜び始めて、次はその喜びの源に向かって足を進めました。
 その内、一番光が綺麗な方角を見つけ、一番音が響く位置を見つけましたが、僕はそこにはずっと居られないと思って、途中見つけたまた違う綺麗な光の方角に進みました。しかしその道でもやはり音がよく響く似たような位置を見つけたのでした。
 それから何度か同じような位置を発見したり、一度訪れた位置に戻ったりして、その都度その辺りのことを調査するようになりま した。色も匂いも美しさも、それらは全て共通していないのですが、覆われた空間ということにおいては同じでした。その位置のことを洞窟と呼ぶことにして、次はその洞窟と洞窟を往復することや出入りをすることにしてみました。その内に、よく響く位置を目で見つけられるようになり、綺麗な光を肌で感じられるようになりました。その為洞窟間を往復する最中に何度か新しい洞窟を見つけてそこに向けて新しい轍を作ったりもしました。
 洞窟の内部は様々ですが、それはどれも魅力的な内容で、どうにか覚えておこうと必死にメモを取ったりもしましたが、全くすべてを写すことはできませんでした。そのメモくらいしかそこにいたという証拠はありませんが、これが僕のこれまでの23年間の仕事の全てです。

 二〇二四、一、一八 伊山桂

(「伊山桂 特集」のための文章」(著:伊山桂)全文)

 400字詰め原稿用紙にして1枚半ほどのこの文章。伊山の制作活動の歩みについて記されたものだということはお分かりいただけるでしょう。ですが固有名詞はどこにも出てこず、随所に比喩が用いられていることもあって、一見難解なものとなっています。

伊山桂、かく語りき

 この記事は「「伊山桂 特集」のための文章」を読み解くために伊山に行った3時間以上のインタビューをQ&A形式で書きこおこし再構成したもので、いわば文章の注釈であり解説です。
 時々脱線しながらにはなりますが、ここから伊山の23年の歩みを解き明かしていきましょう!

「伊山桂 特集」会場の様子

 
 
 

伊山桂ロングインタビューから文章を読み解く

Q:これまで、自分の作品について振り返ったことはありましたか?

伊山:
 あまりしっかりとは振り返ってこなかったですね。これまでも自分で自分の作品をあまり言語化してこなくて。考えを言葉に直してつなげていくのは、かなり推敲を重ねないと、まとまっていかないと思います。自分のことは自分でもわかりませんから、誰しもがわかるようにするのは難しいですね。
 

伊山が小学校2〜3年生頃に描いた飼い犬(ハリー)の絵。

「僕はある時から絵を描き始めて……」

僕はある時から絵を描き始めて、ある時から人間という存在について考え始めました。

(「伊山桂 特集」のための文章」より)

Q:いつから作品を作っていましたか?

伊山:
 作品発表を始めた時期は明確ですが、どこからを制作期間と考えるかは曖昧で難しいです。制作は小さい頃から地続きでやっている感覚があります。確かなのは4歳頃からです。絵を書くことで調子に乗っていました。自分で自分を「上手いなぁ」って慰めながら(笑)。絵を描くのも人に見せるのも好きでした。
 小学生の時から絵を描いたら色々な人に見せては、意味のわからない話を友達にしていました。山に囲まれた小学校だったので「山の中で大きい蚊の怪物が動いている」と友達に話して、どこに蚊がいるのかを想像して話しながら過ごしたり、 友達と一緒に透明人間を相手に茶室を想定してマナーを考えたり、そういうことを延々とやっていた小学生時代でした。 当時はイマジナリーな存在と付き合っていて、それを聞いてくれる友達や大人がいました。小学校の担任の先生は、自分と、もう一人の女の子に対して、授業中でもずっと絵を描いていて良いという寛容な措置をしてくれて。昔から自分は許されることが多かったな、と思います。

Q:当時の絵の題材は何でしたか?

伊山:
 頭の中にあるもの、実際には存在しないですが、見えているように感じたものを描いていました。いわゆる「パレイドリア」です。草や揺れる木に人の顔を見てしまうことがありました。
 育った場所は山に囲まれていて、杉の木が生えていたので花粉が大量に舞うところが見えました。その花粉の集合体に生き物や人の顔を見たり、揺れている木々の中に人の影を見たり、それを記録するために絵を描いていた節があります。小学校に入った頃にはそんな感じでした。漫画のキャラとかは描かないで、というかうまく描けなかったので、ずっと自分の見えているものを描いていました。 自分の絵が好きなんだと思います。クラスの中で絵が上手かったタイプではなく、 上手いわけでもないのになぜか自信を持って延々と絵を描いているタイプでした。

伊山が小学6年生の頃、自身が体験したパレイドリアに基づいて描いた作品。

Q:どのような家庭環境で育ちましたか?

伊山:
 面白い家族だと思います。母は街で画材屋をずっとやっていて、父は普通に働いていますが割と日常的にメモ用紙に絵を描いていたりします。姉が一人いて、姉は建築を学んでいたのでよく色々なことを教えてもらったり、今でも一緒に展示を見たり、表現について考えたりしています。 そういう家庭ですね。
 父方の祖父母がよく絵を描いたり、刺繍をしたり、彫刻をしたりする人たちで、年末やお盆に親戚がみんなそこに集まると絵を描く時間があったりしました。どこからともなく色鉛筆が出てきて、みんな面白がってやっていたと思います。なので自分の親戚は多分みんなそれぞれいい絵を描くんじゃないかなって思ってます。
 そんな祖父がある時、孫達に向かってそれぞれの将来を予言することがありました。それが結構みんな当たってるんです。僕はフリーターと言われました。あたってますね。美術家として活動していくことへの不安のなさもそこからきているかもしれません。

Q:「人間という存在」とはどのようなものですか?

伊山:
 人間ってどういう生き物なんだろうと思ってから、絵についても考え始めたように思います。小学校三、四年生の頃、下校している時に野生のヤモリと並走して同じ歩幅で歩いていて、その後通りがかった車に隣のヤモリが目の前で轢かれて潰された経験がありました。ちょうど震災の少し後だったというのもあって、人間について考え始めたタイミングはよく覚えています。
 割と同時期くらいですかね、よく母親から『動物農場』を勧められていました(笑)。ある意味英才教育ですよね。初めて『動物農場』を読んだのは実は去年でしたが、去年で良かったです。

「伊山桂 特集」会場の様子

「そしてどこかのタイミングで芸の何かに喜び始めて……」

そしてどこかのタイミングで芸の何かに喜び始めて、

(「伊山桂 特集」のための文章」より)

Q:「芸の何かに喜び始め」るとは、どういうことですか?

伊山:
 時期的にいえば小学生の頃ですかね。伊藤若冲を知ったり学校で面白さを突き詰めていった時期がありました。色々と芸を工夫して、表現できることに面白さや喜びを知ったんです。 美術館は小学生の頃から親に連れられて行っていました。東日本大震災の直後に面白い展示をやっていましたね。伊藤若冲の作品を見た時に初めて作品を見て笑えるということがわかりました(東日本大震災復興支援 若冲が来てくれました -プライスコレクション 江戸絵画の美と生命-」(岩手県立美術館、2013年)

Q:小学校生活はどのようなものでしたか?

伊山:
 小学校の自分のクラスは男子が9人しかいなくて、自分は「どう面白くあるか」に努めていました。どんな面白いことができるか、人を笑わせたり頓珍漢なことをするかですね。勉強ができることより、遊具を掛け合わせた新しい競技を発明することの方が重要でした。
 例えばルール違反の罰で体育館とボールの使用が禁止になった時も、わざと職員室の窓から見えるような位置で色々な球技のパントマイムをやって、先生たちをおちょくっていたりしました。「僕たちのこの見えないボールも取り上げることができますか」って。それを一緒にやってくれる友達がいたのが救いでしたね。
 校舎も子供にとっては広くて、いたずらをしても先生から逃げようと思えば逃げられる。見張られているけど隠れ場所もあるような環境でした。とにかくどう笑えるかを本気で考えていました。そのころからその場所でできることをやっていて、今もそこから自分は何も変わっていないと感じています。

Q:中学校生活はどのようなものでしたか?

伊山:
 中学校の時はできるだけ人と喋らないようにしていました。今思えば環境が変わったタイミン グで自分にコミュニケーション能力があまりないことがわかったんだと思います。それで尻込みしちゃって。そうするとどこまでも喋れなくなっちゃって。少しずつ克服していきました。
 良いこともありました。喋っていないことで客観視ができるようになりました。蚊帳の外から「人ごと」として考えるようになって、空気に近い存在になって周囲を見ていました。 ただどこまでもそうだったかといえばそんなこともなくて、なぜか一年に一度ある合唱のコンクールでピアノ伴奏を2回立候補して請負ったりしました。ピアノを習っていたとはいえ楽譜も読めないので、先生の動きを覚えたり「耳コピ」で何とかしていました(笑)。たまに、こういう自分でもよくわからないことをしてしまうんです。この経験で変な度胸が身についた気がします。「ここまでは大丈夫だな」という感覚というか(笑)。
 中学校の時もずっと絵を描いていました。素晴らしい美術の先生にも恵まれました。この時も以前と変わらず、「見えた」ものや考えていたことを描いていました。この頃にはすでに絵が上手くなることに関心がなかったと思います。真面目にできなかったし、真面目になれなかったんです。なので自分よりクロッキーやデッサンが上手い人がいっぱいいました。「絵が上手い」人に対する悔しさ はありましたがそれでも自信を持って制作していました。

「伊山桂 特集」会場の様子

「次はその喜びの源に向かって……」

次はその喜びの源に向かって足を進めました。

(「伊山桂 特集」のための文章」より)

Q:「喜びの源に向かって足を進め」るとは、どういうことですか?

伊山:
 なんでこれは面白いんだろうと考え始めた、ということです。高校の頃、美術の成り立ちや、美術の社会での位置について考え始めた時期ですね。

Q:高校生活はどのようなものでしたか?

伊山:
 保育園の頃から「ずっと絵が描ける学校があるらしい」という噂を耳にしていて、「不来方高校では絵が描ける」という妄想を抱いて学校に進学しました。
 もちろんずっと絵が描けるわけはなく(笑)。入学してみると、自分が期待や想像をしていた感じではありませんでした。 それは、中学校から高校に上がるころには「美術は人間についての活動」だと思っていたのもあると思います。実技的なことより、もっと美術の豊かな歴史や色々な面白さを知りたかったんです。実際は受験に向けた基礎的な実技の中で面白さを覚えていくようなカリキュラムで、それはそ れで面白かったんですが、僕が気になっていたこととは少し違いました。 なぜ人間は美術や芸術を必要として受容しているのか、絵を描く目的や行為はどういうもの で、これからどうなっていくのかを知りたかったんです。今思えば3年間では到底知れるようなこ とではないんですよ。最近それは少しずつわかってくるものだと、わかってきました(笑)。

「その内、一番光が綺麗な方角を見つけ……」

その内、一番光が綺麗な方角を見つけ、一番音が響く位置を見つけましたが、僕はそこにはずっと居られないと思って、途中見つけたまた違う綺麗な光の方角に進みました。しかしその道でもやはり音がよく響く似たような位置を見つけたのでした。

(「伊山桂 特集」のための文章」より)

Q:「一番光が綺麗な方角を見つけ」とはどのようなことですか?

伊山:
 自分がいいなと思う方向や位置がよくわかるようになった、ということですかね。それも高校生の頃だと思います。
 高校生の頃は彫刻を専攻していました。「絵はどこでも描けるから絵画を専攻してもなぁ」という横柄な態度でした(笑)。せっかくならノウハウを知らないことを学んでみたくなったんです。
 この頃自分はいろんなことを大きく決めるようになりました。中学校では人と喋らないようにしていましたが、高校では学級委員みたいな、喋らなきゃならない役割に立候補したり。自分でも思いもしない方向に舵をよく切っていました。絵画じゃなくて彫刻を専攻したのもそうだと思います。
 ある時、当時の等身大の能力で素直に木彫の良さを残せた、いい作品と呼べるものが作れた経験がありました。この時の気持ちよさ、嘘を一つもつかなかった日みたいな晴々しさが今でも忘れられず、良い感覚として覚えています。
 彫刻はその後、立体を認識するのが上手くできなかったので作るのをやめてしまいました。彫刻そのものを作るよりも、彫刻が置かれている空間に関心がむいていました。そっちの方が大事なんじゃないのかと気づいたんです。
 卒業してから振り返ると、空間的な面白さを考えることができた3年間だったと思います。僕の周りにはちゃんと彫刻に真摯に取り組む人がいてくれたので、自分は違うことを気持ちよくできたんだと思います。

Q:「僕はそこにはずっと居られないと思って」とはどういうことですか?

伊山:
 「僕はこれを作り続けて行ってどうなるんだろう」と、自分が執着することにいい印象を持っていなくて、例えばですが、彫刻で良さを突き詰めて、次の彫刻、また次の彫刻へと展開していくこと が、自分自身の場合、再現になってしまっているんじゃないかと思って、寂しくなってしまうんです。 もし、本当に良さを引き継ぐのであればこの表現から去らなくてはいけないと時折思うんです。

Q:「途中見つけたまた違う綺麗な光の方角に進みました」とはどういうことですか?

伊山:
 彫刻や絵画やインスタレーションなど、違う技法や違う界隈に行っては、自分なりにつど制作をするんです。離れたり戻ってきたり。《昨日の食事》という作品は顕著ですね。レリーフに取り組んだり、油絵に取り組んだり、フレームを作ったり。技法やジャンルごとにその時々の落とし所や完成形があって、自分がベストな制作ができる状態があるのだとわかるんですよね。そこここで 落ち着ける場所を見つけていきました。

伊山桂《昨日の食事》2021

Q:高校ではどのようなことを学びましたか? 

 伊山:
 「あらゆる事象は地続きで、全ての物事はつながっている」というのが高校で学んだ1番のことです。「バタフライエフェクト」というか。世界はいろんなことが関わり合ってできているのだという認識を持ちました。
 よく他の専攻の部屋に遊びに行っては、つまみ出されていたんですが、そこでデザインのことや絵を描く人たちの姿を見たりしていました。
 それでわかったんですけど、細かいところはもちろん違うんですが、違う専攻といえどやっていることは何も変わらないんですよね。それからは「自分がもっといろんなことを認識したら作品は変わっていくんだ」と考えるようになりました。 あらゆる教科、数学も国語も、社会も政治も地域信仰も地形も...…全てが関係しているんだ、それで現在があるのだ、ということを漠然と考えるようになっていました。
 他の同級生が受験のために課外授業を受けている間、自分は放置されていたのであらゆる監視の目を掻い潜れた時期があって、当時、こういうことを考えてポートレートを線でつないでいくインスタレーションを実験的にやったりしました。
 大きい教室の角で、普段テーブルを収納しておくようなパーテーションが立っている場所に、金曜日にインスタレーションを設置して片付けないで帰宅しました。次の日曜日に呼び出されて片付けさせられましたが(笑)。

高校でのゲリラ展示の様子(撮影:伊山桂)

「それから何度か同じような位置を発見したり……」

それから何度か同じような位置を発見したり、一度訪れた位置に戻ったりして、その都度その辺りのことを調査するようになりました。

(「伊山桂 特集」のための文章」より)

Q:「何度か同じような位置を発見したり、一度訪れた位置に戻ったり」というのはどういうことですか?

伊山:
 材料や技法、ジャンル、場所を往復し始めたんです。アクリルやったり、油をやったり、水彩をやったり、彫刻をやったり、文章を書いたり、遠くに行ったりです。そしてまた戻ってくる。

Q:場所の移動といえば、イタリアへ留学したのはなぜですか?

伊山:
 高校三年生のある日の朝起きた時に、大学への進学をやめて語学留学にイタリアに行くことを思いつきました。家族を含め先生たちも、自分は進学するタイプじゃないと感じていたようだったので簡単に許してくれました。
 当時、東京芸術大学を受験しようとしていましたが、その理由もなんとなくでした。大学で何ができるのか説明会に行ってもわからず、通っている人に尋ねても、「人による」という返答でした。 そりゃそうだと思って潔くやめれたんだと思います。
 自分は「美術は人間についての活動」だと思っていたので、まずは人のことを知ろうと、ユーラシア大陸の中でも深い歴史を持っているであろうイタリアを思い浮かべました。美術は人間が享受するものだと思っているので、日本や岩手と違う地形や土地の様子、そこで暮らす人間にとっての良し悪しを知ろうと考えました。文化を学びたかったんです。
 イタリアでも自分がやれることをやろうと思っていました。それは、コミュニケーションを取ることと、自信を持ち続けることです。他の人ができることが自分にはできないことが多かったので、それをそのまま、できないことをできないこととしてアイデンティティのように持っておくことにしました。
 イタリアではフィレンツェに一ヶ月滞在しました。ウフィッツィ美術館に通ったり、教会のパイプオルガンをひくおじいさんと仲良くなったり、長期滞在をしているブラジル人のお兄さんと一緒に街を歩いて回ったりしました。その間も絵を描いていました。
 ちょうどそのタイミングで新型コロナウィルスが中国に現れました。安いホステルの食堂で知らないおばあさんとラーメンを啜っていると、テレビに横浜港に停泊したクルーズ船が映りました。コロナが日本で流行り始める幕開けのニュースでした。
 高校の卒業式のために一度日本に帰る必要がありました。出国した直後にイタリアでバーンと感染者が増えて、東京についた時には感染者は2、3人報告されていた時期でした。高校の卒業式のために日本に帰ってきましたが、そのままイタリアへは再び出国できませんでした。

Q:「その都度その辺りのことを調査する」とはどういうことですか?

伊山:
 何かを経てから描いた絵や描いた場所をよく見ると、時の流れの中で物事が変化する様子を知ることができ、新しい発見があるということです。

Q:イタリア留学から帰ってきて行った初めての個展「RELATIONSHIPs」について教えてください。

伊山:
 高校の卒業式から帰ってきて、その日の夕方から個展の準備をしました。高校でゲリラ的に展示したインスタレーションを発展させて三倍の物量に増やしました。  当時、インスタレーションを個人でやっている若い人が盛岡ではいなかったので、みんなよく見てくれたり、盛り上がってくれた印象があります。
 この展示では文章を使った表現もしていました。自分が文章を書く理由の一つは思考の整理のためで、中学生の頃からおとぎ話を書いたり、延々とメモを書いたりしていました。画材の一つとして言葉があるような感じです。
 そういう発表もしていたので後々、文章も面白いとなって『てくり』からもお声をかけていただいたのだと思います。

「RELATIONSHIPs」(彩画堂S-SPACE、2020)撮影:伊山桂
「RELATIONSHIPs」(彩画堂S-SPACE、2020)撮影:伊山桂
「RELATIONSHIPs」(彩画堂S-SPACE、2020)撮影:伊山桂

Q:個展後、銅版画集《少しずつ知ること》を制作した経緯は?

少しずつ知ること
生きているといろんな事を知ることができます。
特に今までの積み重ねである歴史からはたくさん。
しかし過去が教えてくれない事もまた山ほどあります。
私達は私達のあり方の変化に常に気付き変わって行かなくてはいけません。
けれど、それは「忘れてしまう私達」にとって難しい課題になってくるでしょう。
そんな少しずつ知っていかなければいけない事を一冊にまとめました。
たまに見返して考えるきっかけにしてもらえると嬉しいです。
伊山桂

銅版画集《少しずつ知ること》より

伊山:
 紙町銅版画工房を主宰する版画家の岩渕俊彦さんは、僕の初めての個展後、すぐに自分を銅版画集制作に誘ってくださいました。岩渕さんが刷り、伊山が版を作って言葉を綴ることでできたこの作品は、Cygで当時から毎年開催していたABTT(アートブックターミナル東北)に出品しました。
 版画集を作る中で、共同制作や共同活動に興味が湧きました。「一人ではできないことがある」と、岩渕さんと話した記憶があります。
 中学の美術の先生がある時、銅版画の道具一式を持ってきて「お前がやり方を覚えて、 授業の時にはお前が刷れ」と頼まれたことがあり、一応仕組み程度はわかっていましたが、岩渕さんから改めて教わってみて、その手続きの大変さを感じました。恥ずかしいことに、落ち着いて作業して、つど片付けるということができるようになったのは最近で、毎回、岩渕さんのところに行くと背筋が伸びるんです。そういう人に声をかけていただけて当時から非常に嬉しく思っていました。
 岩渕さんが声をかけてくださった理由は色々あるとは思うんですが、もしかしたらこれもかな?というのがあって。まず最初に自分の名前が岩手の美術の人たちの間に広まった原因は、高校の頃の出来事がきっかけでした。ある日の帰り道、最寄駅の階段に荷物を抱えたおばあさんがいたので荷物を持ってあげたのですが、その方が墨象画家の嶋屋さん(画家の嶋屋征一さんの奥さま)でした。おばあさん達の伝達網とその速度はSNSよりも正確に、そして早く広がっていく、というのは田舎ではよくある話ですが、数日にして助けた少年の名前が「伊山桂」であるところまで特定されていました。本当に侮れないネットワークですよね(笑)。そのタイミングで、自分は悪いことができなくなりました(笑)。きっと岩渕さんにもこの話が回っていたと思います。

伊山桂 銅版画集《少しずつ知ること》

銅版画集《少しずつ知ること》販売ページはこちら
https://cyg-morioka.stores.jp/items/5f29236b8b4f204a772b81a8

Q:Cygとの関わりと、《Nut》のシリーズについて教えてください。

伊山:
 シグに初めて来たのは中学生くらいの時です。ちばさなえさんや増子博子さんなどの展示を見ていました。Cygで展示されている作品は他のギャラリーと比べて異質だという意識もあって、「面白いな、変なの(褒め言葉)」っていう感想を持っていました。移転前の空間も面白かったです。盛岡の中では綺麗な空間を持っているギャラリーの一つだと思っていました。
 初めての個展が終わった頃、新型コロナウィルスの蔓延で留学もできず、毎日縁側で布団をひいて日が傾くのを延々と見ていました。そればかりしているのをさすがに家族もまずいと思ったのか、当時内丸にあったCygを紹介してもらい、展示準備や壁の補修を手伝うようになりました。
 「シグセレクト 2020」は、その後お声がけいただいて作家として参加しました。 当時出した作品《Nut》は実験的な面が強いシリーズです。人や木、家など様々なモチーフの複数の絵を、インスタレーション的に組み合わせて一枚の風景画を壁の上で作れないか、と画策したものです。色々模索してみていました。マインクラフトやおままごとのようなものですが、並び順 やリズムが変わるだけでだいぶ印象が変わることに感動していました。 ただ、この作品は空間に支えられている部分が強かったので、ホワイトキューブであるCygでなんとか質を保っているように感じていました。それで一通り作ったら作らなくなってしまいました。この頃くらいから平行して、マチエールがゴツゴツした絵画のシリーズ《cave》を制作しています。

《Nut》が展示された「シグセレクト2020」(Cyg art gallery、2020)展示の様子


☆ 後編へ続く…… 

☆展示作品はこちらで一部販売中です!


●展示概要

「伊山桂 特集(Cyg art gallery 常設展)」

・会期
2024年1月20日(土)─2月13日(火)
10:00-18:00
[水曜日・木曜日 定休] 1月23日(火) 臨時休業
※営業時間・休業日の最新情報は Cyg art gallery ウェブサイト・SNSにてご確認ください。

作家在廊予定日 2月10(日)
※休憩などで不在の時間帯もございます。

入場無料

ウェブページ
https://cyg-morioka.com/archives/3211

・作家プロフィール

伊山桂|IYAMA Kei
2001年生まれ。岩手県盛岡市出身。美術家。自然と人間の関係性を美術実践の中で考察することを目的に作品を制作、発表している。

【個展】
2020「RELATIONSHIPs」彩画堂S-SPACE / 岩手県盛岡市
2021「太陽の正位置」implexus art gallery / 岩手県盛岡市
2022「遠景のドキュメント」implexus art gallery / 岩手県盛岡市
2022「伸びる真空管」企画画廊くじらのほね / 千葉県千葉市
2023「かわらないトーンおかえりのターン」彩画堂S-SPACE / 岩手県盛岡市
2023「HOLE」企画画廊くじらのほね / 千葉県千葉市
2023「伊山桂 展」ギャラリーカワトク / 岩手県盛岡市

【グループ展】
2020「la eclósion」ギャラリーAN / 岩手県奥州市
2020「Cyg SELECT 2020」Cyg art gallery / 岩手県盛岡市
2021「Art Field Iwate 2021」盛岡市中央公園 / 岩手県盛岡市
2021「Cygnus parade」Cyg art gallery / 岩手県盛岡市
2021「プリン同盟20周年記念展」石神の丘美術館 / 岩手県岩手町
2021 屋外展示「Art Field Iwate 2021」盛岡市中央公園 / 岩手県盛岡市
2022「Future Artist Tokyo 2022」東京国際フォーラム / 東京都
2022「うたの心 -絵筆に託す-展」東京九段耀画廊 / 東京都
2022「クリスマス金の板展」(美術家・柴田有理と共同企画)彩画堂S-SPACE / 岩手県盛岡市
2023「art festa iwate 2022」岩手県立美術館 / 岩手県盛岡市
2023「asterisc」旧石井県令邸 / 岩手県盛岡市

【受賞歴】

2021「第7回F0公募展 ミニアチュールzero 2021」大賞 彩画堂S-SPACE / 岩手県盛岡市
2022「第8回 F0公募展ミニアチュールzero 2022」マルマン賞 彩画堂S-SPACE / 岩手県盛岡市

【連載】
エッセイ「経点」『てくり(30号〜)』(発行 まちの編集室)

・Instagram @iyamakei
Portrait works @kei_iyama_portrait_works_
・Twitter @lqj4e
・note note.com/k20010703/



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