見出し画像

憧れの脱力ラップ

クールでリラックスしたラップスタイルについて書きました。記事に登場する曲を中心にしたプレイリストも制作したので、あわせて是非。


脱力ラッパーたちの活躍

「超チルなラッパー」ミームから早2年。アメリカのヒップホップシーンでは、気付けばリラックスしたラップスタイルのラッパーの活躍が目立つようになってきている。デトロイトのBabyface Ray、フロリダのLuh Tyler、西海岸のRalfy the Plug…と数えきれないほどのラッパーが登場。別に日本でのミームとは全く関係ないが、「そりゃ憧れるわ…」と思わされる素晴らしい作品を数多く残している。

Luh Tylerは新進ラッパーを紹介するXXLの名物企画「Freshman Class」2023年版の候補にも入っているが、同企画の2022年版にはBabyface Rayも名を連ねている。近年の同企画で恐らく最も人気の高い2016年版にも、フロリダのKodak BlackとアトランタのLil Yachtyが選出。恒例のサイファー動画でも印象的なヴァースを残した。近年の主流のラップスタイルといえばSoFaygoTrippie Reddのようなエモーショナルに歌い上げるタイプや、いわゆるMigos以降の三連フロウを小気味良く繰り出していくタイプを想像する方も多いだろう。しかし、先に挙げたような脱力感のあるラップスタイルや、(オートチューンを使わない時の)Lil Durkのようなアグレッシヴなタイプも活躍しており、一定の支持を集めていることがXXL Freshman Classからも伺える。ラップにおいてもビートにおいても流行は常に一色ではなく、複数の動きが同時進行で起こっているのがヒップホップの面白さの一つである。現に先述したLil Yachtyは脱力フロウだけではなく、メロディアスなフロウやアグレッシヴなフロウにもたびたび挑んでいる。

リラックスしたラップスタイルは地域を問わず全米に根付いている。もちろん、同じ脱力系でもRalfy the Plugの囁くようなフロウとBabyface Rayの泣きそうなフロウでは全く違う。しかし、「声を張り上げず、メロディアスに振り切らない」という点で確実に共通するものが発見できるはずだ。そのクールでリラックスしたラップは時に哀愁たっぷりに響き、時にスリリングな緊張感を演出し、時にゆったりと音の世界に浸れる心地良いムードを作り出す。メロウなGファンクブーンバップ、ドリーミーなプラグやハードなトラップ…など多彩なビートで聴くことができ、まさに地域性とは無関係に浸透しているスタイルなのである。

しかし、こういったリラックスしたラップスタイルは、トラップが全米に広まって地域性が薄いラッパーも増えてきた近年になって生まれたものではない。ヒップホップ史を振り返ると、それ以前から数多くの先駆者が活動してきた。脱力ラップその時々のトレンドのビートに乗り、ヒップホップに熱気やメロディだけではない魅力を与えてきたのだ。今回はそんな「超チルなラッパー」たちの足跡を辿っていく。


Slick RickやToo $hortが現れた1980年代

ヒップホップ史におけるリラックスしたラップの初期の例としては、名曲「Children’s Story」「La Di Da Di」などで知られるSlick Rickが挙げられる。1980年代から活動するベテランのSlick Rickは、同時代のラッパーたちと比べると明らかに異なるラップスタイルの持ち主だった。また、そのリラックスしたスムースなフロウだけではなくストーリーテリングの名手としても知られており、XXLなどの海外ヒップホップメディアがTwitterで行う「ストーリーテリングの名手といえば?」のようなお題でも必ず名前が挙がる。長く高評価を受け続けているパイオニアの一人だ。

また、ベイのベテランラッパーのToo $hortも重要な存在だ。Too $hortのキャリアは1980年代前半まで遡ることができるが、初期のToo $hortはLL Cool Jのようなアグレッシヴなラップスタイルを採用していた。しかし、キャリアを進めるうちにそのフロウはレイドバックしていき、生演奏を活かしたファンキーなサウンドと共にそのスタイルを独自化させていった。その音楽性は後のSnoop DoggPimp Cなどの先駆けであり、1990年にリリースしたアルバム「Short Dog's In The House」ではアートワークもイラストを使用。Snoop Doggの1stアルバム「Doggystyle」との共通点も多く発見できる。あまりにも現役感が強く、若手ラッパーとの制作も多いので忘れがちだが、Too $hortと同時期に登場したラッパーというとBig Daddy KaneRakimなどである。そのくらいToo $hortはヒップホップにとって重要な存在であり、後進に与えた影響の大きさは計り知れない。

Slick RickはNY育ちだが出身はUKで、Too $hortはベイのオークランドだ。(当時の)ヒップホップの「本場」であるNYのラップスタイルと少し異なる方向性を模索したことも、ある意味自然な流れだったのかもしれない。そして彼らはリラックスしたラップスタイルは成功を掴み、後進に大きな影響を与えていった。特にToo $hortは西海岸だけではなく、ヒューストンや後に移住するアトランタでも人気を獲得。1990年代に入るとフォロワーが次々と登場し、それに伴い客演も増加していく。

Too $hortは昨年にNPRの人気企画「Tiny Desk Concert」に出演した際に、「5つのディケイドから一曲ずつやる」と宣言して1980、1990、2000、2010、2020年代の曲をパフォーマンスしていたが、その息の長い活動もラップスタイルの先進性があってこそのものだろう。現在に繋がる「超チルなラッパー」の源流の一つは、紛れもなくToo $hortなのである。


1990年代に全米から登場した脱力フロウの名手

1990年代に入って登場した脱力フロウの名手といえば、まずはなんといってもSnoop Doggだ。この西海岸のラッパーは、Too $hortからの影響を公言し、Slick Rickがラップした名曲「La Di Da Di」のカヴァーも発表している。まさにこの文脈での正統派ラッパーだ。

Snoop Doggは、Dr. Dreが1992年にリリースしたアルバムThe Chronicでの大抜擢によりブレイクを果たした。それまでのギャングスタラッパーといえば、例えばDr. Dreも在籍したN.W.A.のようなゴリっとしたラップスタイルが多かった。リラックスしたフロウでリリックの内容はギャングスタというSnoop Doggのスタイルは、当時のほかのラッパーとは明らかに違うものである。Snoop Doggは1993年には先述した1stアルバム「Doggystyle」をリリース。Dr. Dre(とDaz Dillinger)が手掛けたPファンク色が濃厚なビートにそのラップを乗せ、サブジャンル「Gファンク」と共にシーンのトップへと躍り出ていった。

一方、東海岸でもリラックスしたラップスタイルのラッパーが同時期に登場していた。ボストン出身でDJ Premierとのユニット、Gang Starrを組むGuruもその一人だ。Gang Starrの結成は1980年代後半。1989年には1stアルバム「No More Mr. Nice Guy」をリリースしているが、この頃のGuruのラップスタイルはまだRakimなどの影響を感じさせるものも目立つ。しかし、1991年のアルバム「Step in the Arena」になるとそこから脱却してよりクールなスタイルが完成している。

南部でも、Too $hortが気取ったキャラクター「ピンプ」を名前に冠したPimp Cがテキサスから登場。Bun BとのデュオのUGKで1990年代前半から名作を次々と送り出し、南部ヒップホップの礎を築いた。Pimp Cはラップだけではなくプロデューサーとしての才にも恵まれ、さらにメロディアスな歌も得意とする多才な人物だった。様々な側面で後進に影響を与えており、脱力感のあるラップスタイルだけではなく現在のヒップホップとの共通点を多く発見できる。

そのほかDe La SoulDJ QuikWarren Gなどの活躍もこの時期の重要トピックだ。Public EnemyBoogie Down ProductionsRun DMCのようなパワフルなタイプのラッパーの活躍が目立った時代を思うと、この1990年代前半のリラックスしたラッパーの急増は大きなことである。この流れは1990年代半ばに入ってからも続き、さらに大きく発展していった。


脱力ラッパーを多く輩出した南部

1990年代半ば頃には、Pimp Cと同じテキサスからDevin The Dudeが登場した。Odd SquadFacemobといったラップグループ(コレクティヴ?)の一員として1994年頃にシーンに表れたDevin The Dudeは、これまでに挙げたどんなラッパーよりも脱力しきったトロトロのラップスタイルの持ち主だ。ラップだけではなく歌も得意としているがそちらもゆるい。大麻への偏愛ぶりも広く知られており、ギャングスタでもナードでもない「ストーナー」ラッパーとして膨大な客演をこなしながらキャリアを進めていった。Devin The Dudeは後にSnoop DoggやDe La Soul、UGKやToo $hortなどとも共演。多くのゆるいラッパーと共に名曲を残していった。

また、同じテキサスではMr. 3-2も徐々にゆるいスタイルを開花させていった。Big MikeとのデュオのConvictsで1991年にリリースしたアルバム「Convicts」の時点ではまだ力強いフロウだったが、ラップグループのBlac Monksでの1994年作「Secrets of the Hidden Temple」ではゆるく歌うようなフロウに変化。1996年にリリースしたソロアルバム「The Wicked Buddah Baby」ではゆるゆるのスタイルが完成を見せている。同作には脱力ラップの先人であるToo $hortのほか、この前後から共演曲が増えるUGKも参加。共にリラックスしたラップの魅力を提示した。

広く南部という視点では、1995年にはルイジアナからB.G.Lil WayneによるデュオのB.G.’zの1stアルバム「True Story」がリリースされていた。同作は当時12歳のLil Wayneが既にかなりのスキルを備えていることにも驚かされるが、B.G.の脱力感溢れるラップが既に完成されている点も注目に値するトピックだ。B.G.’zの二人はこの後JuvenileTurkも交えたグループのHot Boysで活動し、1990年代後半に大ブレイクを果たす。Hot Boysが所属したレーベルのCash Money RecordsはJuvenileを筆頭に曲者揃いだったが、B.G.のゆるゆるのラップはその中にあっても強烈な存在感を発揮していた。なお、レーベル社長のBirdmanもB.G.ほどではないがゆるいラップスタイルで、Hot BoysのTurkのそれも同様だ。「True Story」は、同レーベルの方向性を決定付けた作品のような側面があるのかもしれない。

南部ではそのほか、プロデューサーとして頭角を現していったアトランタのJermaine Dupriなどが登場。南部勢は1990年代後半からシーンの中心になっていき、2000年代以降にはさらなる発展を遂げていった。その土台が出来上がった時期にゆるいラップスタイルの持ち主が一定数活動していたことは、後のシーンにとって大きな意味を持っている。この時期の南部勢からは、現行シーンで活躍する脱力ラッパーとの共通点を多く発見することができる。1990年代の南部ヒップホップといえばトラップチョップド&スクリュードのルーツを辿った時にも言及される機会が多いが、当然サウンドだけではなくラップ面で重要なのだ。


The Notorious B.I.G.「じゃない」Bad Boy Records

先述した通り、現行シーンのルーツを辿っていくと1990年代の南部ヒップホップに辿り着くことが多い。しかし、脱力ラップの文脈ではNYもやはり重要な地である。1990年代後半には、Diddy率いるBad Boy RecordsがNYにおけるリラックスしたラップスタイルの名産地となった。

太くどっしりとしたラップスタイルのThe Notorious B.I.G.を看板にブレイクを掴んだ同レーベルだが、社長のDiddyや二人目の看板ラッパーだったMa$eは脱力フロウの持ち主だ。The Notorious B.I.G.の1997年作「Life After Death」に収録された名曲「Mo Money Mo Problems」では、重厚なThe Notorious B.I.G.とゆるゆるの二人のラップの見事なコントラストが楽しめる。

Ma$eは1997年には1stアルバム「Harlem World」をリリースし、Bad Boys印のメロウな路線も巧みにこなしつつThe Notorious B.I.G.とは異なるスタイルで成功を掴んだ。また、Diddyも同年にPuff Daddy & The Family名義で実質的なソロアルバム「No Way Out」をリリース。Ma$eとよく似た脱力感のあるラップスタイルをトレードマークに、名曲「I’ll Be Missing You」などのヒットを生み出した。同作はThe Notorious B.I.G.やBusta Rhymesなど豪華客演を多数迎えており、Diddyのラップを主役にしないような作りだった。しかし、客演を多く招くことが当たり前となった現在のリスニング感覚では、むしろ純粋なソロ曲が少しでも収録されていることもあって十分ソロアルバムとして機能している。Diddyは先日もMetro Boominのシングル「Creepin’」のリミックスに客演し、人気音楽フェス「Coachella」にも出演していたが、それもラップスタイルが現在のシーンにおいても有効だから成立することだろう。

また、1990年代後半には同じNYから50 Centもデビューに向けてキャリアを進めていた。元々Run DMCのJam Master Jayに見出された50 Centだが、ラップスタイルは同じJMJ関係者のOnyxの暑苦しいそれとは真逆のリラックスしたもの。Ma$eとも通じるフロウでギャングスタラップ的なリリックを聴かせる、いわばSnoop Doggの東海岸バージョンのような側面を持つラッパーだ。1990年代後半の売れっ子プロデューサーだったTrackmasters周辺での活動もあった50 Centだが、本格ブレイクは2000年代まで待つことになる。しかし、そのラップスタイルの完成はMa$eの活躍と同時期のことだ。

さらに、Ma$eは1990年代後半にグループのHarlem Worldでも活動していた。1998年には同グループでのアルバム「The Movement」をリリースしているが、ここにプロデューサーとして参加していたKanye Westも後にMa$e的な脱力感のあるラップスタイルで人気を集めていく。同作への参加プロデューサーではJermaine Dupriも先述した通りゆるいラップを聴かせるが、これは恐らく同じ社長としてDiddyのラップを参照していると思われる。Ma$eやDiddyの脱力フロウは、ひょっとしたらThe Notorious B.I.G.以上に影響力が大きいのかもしれない。


Ma$eの影響力

2000年代に入ると先述した50 Centがミックステープ経由で大ブレイク…する前に、同じNYからFabolousが登場。2001年には1stアルバム「Ghetto Fabolous」をチャートのトップ5に送り込み、ブレイクを掴んだ。
FabolousはDJ Clue?からのフックアップを受けて登場したラッパーだ。DJ Clue?は1998年にリリースしたアルバム「The Professional」収録の「That's The Way」「If They Want It」の2曲にFabolousを迎えていたが、前者はMa$e(とFoxy Brown)との共演曲である。「Ghetto Fabolous」についても、Ma$eがやりそうなメロディアスなR&B風味の曲をいくつか収録。The NeptunesやJermaine Dupri周辺のJagged Edgeなど、参加アーティストもMa$eと近い面々が揃っている。これらのことからは、FabolousがMa$eと同じ方向を向いていたことが伺える。

また、2002年にはそのThe Neptunesの周辺からラップデュオのClipseが1stアルバム「Lord Willin’」をリリース。Clipseの結成自体は1990年代前半と伝えられているが、その声を張り上げないクールなフロウはMa$eとの共通点を発見できる。メンバーのPusha Tが昨年リリースしたアルバムIt’s Almost Dry収録の「Neck & Wrist」ではかなりMa$eに寄せたようなフロウを披露している。共演曲「Higher」も残しており、影響(刺激)を受けていた部分も恐らくあるだろう。

2003年には、ついに50 Centが1stアルバム「Get Rich or Die Tryin’」をリリース。Dr. Dre率いるAftermathからのリリースでもあり、シングルカットされた「P.I.M.P.」のリミックスではSnoop Doggもフィーチャーしていた。さらに同じくシングルの「21 Questions」ではNate Doggも客演に迎えており、Snoop Doggを参照したと思しきポイントが随所で発見できる。また、同年にはラップグループのG-Unitでのアルバム「Beg for Mercy」も発表。こちらもSnoop Dogg周辺での客演で知られるButch Cassidy「Groupie Luv」で参加しているほか、メンバーのTony Yayoのラップスタイルも50 Centと同様ゆるいものだ。G-Unitは2003年のブレイク以降、レーベルとしても勢力を拡大。2005年にはMa$eとも接近し、2005年の50 Cent主演映画「Get Rich Or Die Tryin’」のサウンドトラックにもMa$e参加曲「I Don’t Know, Officer」が収録された。

Ma$eフォロワーとしては、先述したKanye Westも2000年代半ば頃にラッパーとして成功を掴んだ。2000年前後からプロデューサーとして活躍していたKanye Westだが、ラッパーとしての活動は2003年頃から本格化。Lil Jonなどの南部勢がエネルギッシュなクランクで注目を集める中、50 Centなどと共に脱力感のあるラップの魅力をシーンに示した。この時期のメインストリームで活躍した脱力系ラッパーは、現在も強い存在感を放っている。後進への影響も大きく、重要な動きの一つと言えるだろう。


ベイのレジェンド、The Jacka

こういったメインストリーム寄りの華やかな話題の裏で、1990年代後半のベイで新しい動きがあった。The Jackaの登場だ。The Jackaは、同郷の大物ラッパーのC-Boのフックアップで登場したRyder J. KlydeHusalahなどを擁するグループのMob Figazの一員として活動し、1999年にはグループでのアルバム「C-Bo's Mob Figaz」をリリース。2001年には1stソロアルバム「The Jacka」を発表し、2005年のソロアルバム「The Jack Artist」でさらなる飛躍を遂げた。Slick RickのファンだというThe Jackaのラップスタイルは、ゆるゆるで時折メロディアスな歌にも接近するもの。リリシストとしての評価も高くNYヒップホップのリスナーにも受け入れられるようなスタイルだった。2005年頃のベイは「ハイフィ」と呼ばれるアッパーなムーブメントの真っ最中だったが、The Jackaはこの高い表現力を備えたラップでムーブメントの一部としてではない人気を集めた。

その人気はベイに留まらず、The JackaはテキサスのLil Kekeや親交のあったNYのCormegaなど全米のラッパーと共演。さらに同じく脱力系のリラックスしたラップスタイルの持ち主である同郷のBernerと手を組み、2008年の「Drought Season」など多くの作品をリリースした。The Jackaはこのようにコラボレーションにも積極的だったこともあり、年々じわじわと人気を拡大。2009年にリリースしたソロアルバム「Tear Gas」にはE-40Zion Iといった地元勢のほか、FreewayやDevin The Dude(脱力系ラッパーの客演王!)など豪華な面々が集結した。同作は大きな話題を集め、The Jackaの名前をさらに広げた重要作となった。

The Jackaはベイの後進に大きな影響を与えた。2010年頃にはThe Jacka直系の泣きそうなラップを聴かせるSquadda BMondre M.A.N.のデュオ、Main Attrakionzが登場。Lil Bが生み出した新たなサブジャンル「クラウドラップ」の代表格となり、2010年代前半のシーンを彩った。脱力ラップの文脈とは少し離れるが、Cormegaと親交があったThe Jackaは東海岸ヒップホップ的なビートを使うこともあり、クラウドラップにおける哀愁漂うネタ使いにもそれは繋がっているようにも聞こえる。Lil BもCormegaを客演に迎えた「I Killed Hip Hop」のような曲を発表しており、The Jackaがベイに残したものの大きさが伺える。

先述したBernerもThe Jackaと同じく膨大な作品のリリースで人気を拡大し、2011年にはBig K.R.I.T.Smoke DZAなども参加したアルバム「White Album」をリリース。2012年にはWiz Khalifa率いるTaylor Gangに加入し、そのリラックスしたラップをメインストリームにも届けていった。もしThe JackaがいなかったらBernerの活躍もなく、現在のヒップホップは違ったものになっていたかもしれない。現行シーン最高の脱力ラッパーの一人であるBabyface RayもThe Jackaと比較されており、実際にベイのヒップホップについても語っている。The Jackaは2015年に惜しくも命を落としているが、改めて追悼の意を表したい。


Curren$yを筆頭とした「ストーナー・ラップ」

Bernerは大麻をトピックに扱うことの多い、いわゆる「ストーナー・ラッパー」である。2000年代後半から2010年代前半にかけてはこのストーナー・ラッパーが大きな注目を集め、先述したWiz Khalifaのようなスーパースターが生まれていった。そして、その中にもやはり脱力感のあるラップスタイルの持ち主が多く活動していた。

ストーナー・ラッパーの筆頭格といえばCurren$yだ。ルイジアナ出身でNo Limit RecordsやCash Money Recordsなどの大きなレーベルを渡り歩いたCurren$yは、B.G.とも通じるゆるゆるのフロウを聴かせるスタイル。2000年代半ば頃にはLil Wayne率いるYoung Money Entertainmentに所属しており、Lil Wayneの2005年作「The Carter II」収録の「Grown Man」では脂の乗り始めた主役に負けないクールかつ強力なラップを披露していた。その後Young Moneyを抜けてミックステープ中心に活動に移行し、Damon Dash率いるDD172に加入。そして2010年に名盤「Pilot Talk」をリリースし、評価を確立した。元々ルイジアナらしいバウンシーなビートも好んでいたCurren$yだったが、この頃にはSki Beatzなどが手掛けたブーンバップ寄りのビートを多く使用。そのジャジー&ソウルフルなサウンドとゆるいラップの組み合わせで、「超チルなラッパー」の最新形を作り上げた。

さらに、Curren$yは同タイプの脱力ラッパーたちと積極的に交流していた。自身のレーベルのJet Lifeに所属していたYoung RoddyTrademark da Skydiverも近いスタイルだったし、「Pilot Talk」にはSnoop DoggとDevin The Dudeも参加。2011年にリリースした続編「Pilot Talk II」にもリラックスしたラップが持ち味のDom Kennedyを客演に迎えていた。また、荒々しいラップで知られていたNo Limit仲間のFiendもJet Life入りしていたが、Jet Life入り後のFiendは声を張り上げない落ち着いたフロウを中心に使用。Curren$yと同様の路線でJet Lifeのイメージを固めていった。

そのほかストーナー系では先述したWiz KhalifaやSmoke DZAなどが活躍し、Big K.R.I.T.やKilla Kyleonなどもその周辺と交流しながらキャリアを進めていった。このストーナー系の盛り上がりは、恐らく2000年代後半のKid Cudiのブレイクに端を発するものだ。Kid Cudiは心の弱さを描いたリリックやメロディアスなフロウインディロックやエレクトロニカなどを取り入れたクロスオーバー志向のサウンドに注目が集まりやすいが、初期ヒット曲「Day ‘N’ Nite (Nightmare)」から大麻をトピックにしたラッパーである。

フロウもメロディアス一辺倒ではなく、Snoop Doggからの影響を感じさせるゆるいスタイルも聴かせる。2013年作「Indicud」収録のGirlsではToo $hortを客演に迎えており、これまで語ってきた脱力ラッパーの文脈にも繋がるような動きを見せていた。

ストーナー系のラッパーの全員が脱力フロウの使い手というわけではなかったが、Curren$yやBernerなどその名手が多くいたことは確かだ。トピック・フロウの両面で先輩にあたるDevin The Dudeもこの周辺の作品にたびたび参加し、共にシーンを盛り上げていった。


Shawty LoやBoosie Badazzなどの2000年代の南部勢

2000年代後半にはThe JackaやCurren$yのようなソウルフル路線を得意とするラッパー以外にも、よりハードなスタイルやクラブバンガー路線で人気を拡大していった脱力ラッパーもいた。

アトランタ勢は1990年代からOutkastLudacrisなどの活躍で勢いを増していったが、現在の立ち位置が確立されたきっかけは2005年頃のJeezyの大ブレイクだろう。Jeezyは強烈なダミ声が生み出す迫力たっぷりのラップがトレードマークだったが、フロウとしてはゆるさも備えていた。そして、そのJeezyのゆるい部分を引き継ぎ、強調するようなスタイルで人気を集めたのがShawty Loだ。Shawty LoはラップグループのD4Lでの活動でブレイクした後、2007年のシングル「Dey Know」でソロとしての成功を掴んだ。D4Lのヒット曲「Laffy Taffy」は「スナップ」と呼ばれるダンス向けの路線だったが、Shawty Loのソロでの方向性はJeezy(やGucci Mane)と近いハードなもの。ゆったりと脱力しきったフロウは強烈なインパクトを残し、後進に大きな影響を与えていった。

2007年頃に振り付け付きのキャッチーなシングル「Crank That (Soulja Boy)」で大ブレイクを果たしたSoulja Boyも、Shawty Loからの影響を感じさせるラッパーだった。2008年作「iSouljaBoyTellem」に収録されたShawty LoとGucci Maneとの共演曲「Gucci Bandanna」では、(合わせた部分もあるかもしれないものの)それがはっきりと確認できる。この少し後、アトランタでは「フューチャリスティック・スワッグ」と呼ばれるダンサブルなムーブメントが盛り上がったが、ここでもShawty Lo的なフロウは散見された。Shawty Loは間違いなく、この時期のアトランタで最も影響力を持っていた一人だったと言えるだろう。

Shawty Loと同時期の南部ヒップホップとしては、ルイジアナのTrill Entertainment勢の活躍も見逃せない。Pimp Cも関わっていた同レーベルには、WebbieBoosie Badazzといったアクの強いラッパーが所属。Boosie Badazzは2006年頃から「Zoom」「Wipe Me Down」などのシングルが話題を集め、2007年にはWebbieのシングル「Independent」のヒットに恵まれた。Boosie Badazzはその後もDJ Khaledのシングル「Out Here Grindin’」などで凄まじいヴァースを披露して人気を拡大。エネルギッシュなフロウも多用していたラッパーだが、2009年作「Superbad: The Return of Boosie Bad Azz」収録の「Miss Kissin’ on You」などで聴かせる脱力フロウには現在のラッパーとも通じるものを発見できる。かなり問題のある人物だが、その影響力は無視するには大きすぎるラッパーだ。

Soulja Boyは後のLil YachtyBoosie BadazzはKodak Blackに影響を与えた。2010年代半ば頃にブレイクしたこの二人は、現在のLuh Tylerなど多くのラッパーの登場を促した。それも先の南部ヒップホップの盛り上がりがあってこそのものなのだ。


歴史に当てはまらない西海岸の新たな動き

そして現在。Kodak Blackはシーンの頂点に限りなく近い立ち位置まで登り、Babyface RayやLuh Tylerといった新進ラッパーが次々とブレイク。かつてはT.I.のようなフロウだったLarry Juneもリラックスしたフロウにシフトして人気を拡大し、Curren$yやWiz Khalifaといった2010年代前半のシーンを彩ったストーナー・ラップ勢と交流しながら多くの良作を生み出している。先日はThe Alchemistとのタッグ作「The Grater Escape」をリリース。レイドバックしたソウルフルなサウンドをスムースに乗りこなし、そのフロウの魅力をブーンバップ系譜のビートで見事に示した。

Kodak BlackやLil Yachty、Babyface Rayなどは、ある程度これまでの文脈の延長線上にあるラッパーである。しかし、西海岸のRalfy the Plugと故Drakeo the Rulerの兄弟はかなり特異な存在だ。

Drakeo the Rulerは影響を受けたラッパーとしてバトルMCのCockyの名前を挙げ、「彼はクレイジーなことを言いながらも、スムースで穏やかにラップする。言いたいことを伝えるのに、大声を出したりする必要はないんだと教えてくれた」と話している。しかし、CockyのラップスタイルはDrakeo the Rulerの囁くようなフロウとはそこまで近いものではなく、やはりその独自性は際立つ。実弟のRalfy the Plugもそれは同様だ。この二人の登場前後から、西海岸ではOHGEESYMoneySign Suede(R.I.P.)など脱力ラッパーが増加。Kendrick Lamarも昨年リリースしたアルバムMr. Morale & The Big SteppersDrakeo the Ruler風のフロウを使用していた。Drakeo the Rulerは2021年に惜しくもこの世を去ったが、今後もきっと多くのラッパーに影響を与えていくだろう。

Slick RickやToo $hortが活躍した1980年代に始まり、1990年代のSnoop DoggやMa$e、2000年代のThe JackaやShawty Lo、2010年代のCurren$yやBerner…などなど、常に多くのラッパーが採用していた脱力系フロウ。こうして並べてみると、大ベテランでも長く活動を続け、下の世代のラッパーとも共演し続けたラッパーが多いことに気付く。その筆頭が先述したようにToo $hortで、(一時引退していたが)1980年代から現在に至るまでほぼずっと現役であり続け、今でも下の世代のラッパーから客演に呼ばれるその活動はヒップホップにおけるベテランの理想のあり方だと言えないだろうか。

また、脱力ラッパーたちは世代を問わず通じるようなスタイルのラッパー同士での共演も多い。例えばBabyface Rayは自身の作品に先人のPusha TだけではなくLil Yachtyも招き、Curren$yやLarry Juneなどの作品に参加してきた。ベテランのDevin The DudeもToo $hortやThe Jacka、Curren$yなどと共演している。これからも脱力ラッパーはゆるく繋がりながら、その力の抜け方に反した強力な作品を数多く届けてくれるに違いない。


ここから先は

307字

¥ 100

購入、サポート、シェア、フォロー、G好きなのでI Want It Allです