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ヒップホップ史を彩ったナードたち

ナーディなセンスでヒップホップ史を彩ったアーティストについて書きました。記事に登場する曲を中心にしたプレイリストも制作したので、あわせて是非。



新たなアワードでTyler, The Creatorが受賞

LL Cool Jが創設したライフスタイルブランドのRock The BellsとBETが提携し、新たなアワード「Rock The Bells Cultural Influence Award」をスタートした。BETによると、この賞は「ヒップホップの芸術性がポピュラーカルチャーに与えた影響の大きさを称え、ヒップホップを愛する全ての世代の間のギャップを埋めるもの」で、「カルチャーに大きな影響を与え、コミュニティを成長させた、若く、革新的で、別格のアーティストに贈る」ものだという。第一回の受賞者は、今年リリースしたアルバム「CALL ME IF YOU GET LOST」が大きな話題を呼んだTyler, The Creator。BETとRock The Bellsが掲げた評価基準に照らし合わせれば、これ以上ないほど相応しい人選と言える。
Tyler, The Creatorはインディロックやジャズなどの要素をナーディなセンスでヒップホップに結合させた音楽性で、ヒップホップリスナーに留まらず幅広いリスナーからの支持を集めたアーティストだ。ラップだけではなく自身でビートメイクも行い、プロデューサーとしてもSolangeやWestside Gunnなどの作品に参加している。影響を受けたアーティストとしてしばしば言及しているのはPharrell Williams。(インディ)ロックやソウルの要素をヒップホップにミックスしたその音楽性は、確かにTyler, The Creatorと繋がるものがある。
Tyler, The Creatorとその仲間たち、Odd Futureは多くのアーティストに影響を与えた。BETとRock The Bellsが称えたように、確実にコミュニティを成長させた存在だ。そしてヒップホップ史を振り返ると、Tyler, The Creatorのようにナーディなセンスで新しい感覚をシーンに注入したアーティストはこれまでにも多く登場していた。


Native TonguesからThe Neptunesへ

ナーディなセンスを武器にヒップホップシーンに登場したアーティストの初期の例として、NYのコレクティヴのNative Tonguesが挙げられる。De La SoulやA Tribe Called Questなどが所属する同コレクティヴは、ジャズやAORなど多彩なサンプリングソースを用いてヒップホップにカラフルな魅力をプラスした。
数多くの名盤を生み出した同コレクティヴだが、特筆すべきはA Tribe Called Questだ。Phife DawgとQ-Tipのラッパー二人とDJのAli Shaheed Muhammadを中心とする同グループは、1990年代を通して作品ごとに次々と新しいサウンドに挑み、後続のアーティストに大きな影響を与えた。Pharrell WiliamsもA Tribe Called Questの1990年リリースの1stアルバム「People's Instinctive Travels and the Paths of Rhythm」を聴いてアーティストの道を志したとRolling Stoneのインタビューで語っている。同作は先にリリースされたDe La Soulの1989年の1stアルバム「3 Feet High and Rising」と近い感触のカラフルなアルバムだったが、1991年にリリースされた2ndアルバム「Low End Theory」ではジャズ色の強いサウンドを提示。1993年の3rdアルバム「Midnight Marauders」では2ndでの試みを経て1stに立ち返ったようなクールネスとカラフルさを両立したサウンドを聴かせた。ヒップホップ史に名盤として輝く「Low End Theory」と「Midnight Marauders」の二枚は、Kanye Westや9th Wonderなど多くのアーティストにインスピレーションを与えた。
A Tribe Called QuestやDe La SoulといったNative Tongues勢の活躍は、後続のThe PharcydeやThe Black Eyed Peasなどのいわゆる「西海岸アンダーグラウンド」勢の登場にも繋がった。また、1990年代半ば頃にA Tribe Called Quest周辺から登場したプロデューサーのJ Dilla(当時はJay Dee)は、ボサノヴァなどNative Tongues一派よりもさらに広いサンプリングソースを使用。ヒップホップのサウンドの幅を拡張していった。そして1990年代後半には、Pharrell WilliamsとChad HugoによるデュオのThe Neptunesが登場。ギターやシンセを用いた奇妙なビートとPharrell Williamsの歌・ラップをトレードマークに、Noreaga(現N.O.R.E.)やOl’ Dirty Bastardなどの作品を手掛けて人気プロデューサーへと成長していく。


The Neptunesの活躍とKanye Westの登場

The Neptunesは、A Tribe Called Questとはまた異なるクロスオーバー志向の持ち主だった。1990年代後半からヒットを連発したThe Neptunesは、2001年にはShay Hayleyも加えた三人組バンドのN.E.R.D.での1stアルバム「In Search of...」をリリース。同作ではヒップホップとファンク、そしてロックを大胆にミックスしたような作風を披露し、高い評価を集めた。Tyler, The CreatorがThe Neptunesの虜になったのも同作がきっかけだったという。
The NeptunesやSwizz Beatz、Mannie Freshなどの活躍により、1990年代後半からヒップホップシーンではサンプリングを使用しない楽曲が増えていった。そんな中、The Neptunesとも関係の深いJay-Zが2001年に名盤「The Blueprint」をリリース。Kanye WestとJust Blaze、Binkらが手掛けたサンプリングメインのサウンドを提示し、サンプリングによるビートメイクに再び注目を集めるきっかけを作った。
「The Blueprint」に参加したKanye Westは、Jay-ZのレーベルのRoc-A-Fellaに所属していた。当時のレーベルメイトはMemphis BleekやBeanie Sigelなどの強面揃い。そんな中、A Tribe Called Questの系譜にあるナーディなキャラクターは異彩を放っていた。ビートメイクだけではなくラップも行うKanye Westは、2003年には1stアルバム「The College Dropout」をリリース。チップマンク・ソウルなどの多彩なアイデアが詰まったソウルフルなサウンドが魅力の同作を機に、ラッパーとしても大ブレイクを掴んでいった。
Kanye WestとPharrell Williamsの二人は、共にJay-Zと縁が深く、A Tribe Called Questの影響下にあり、ラップもプロデュースも行い…と共通点が多かった。Jay-Z「The Dynasty: ROC La Familia」やScarface「The Fix」など同じアルバムに参加する機会も多く、共に活動していた訳ではないが時代の顔として並び立つ存在だった。2000年代前半はハードコアなキャラクターの50 Centのブレイクや、パーティミュージックのクランクの流行などでシーン全体としてはナーディなラッパーの時代ではなかったが、2000年代半ば頃から少し様子が変わっていく。そしてその流れにこの二人も自然と合流し、これまで以上に大きな存在感を放つようになっていく。


ロック的な歌の導入とLupe Fiasco

2005年にはKanye Westが2ndアルバム「Late Registration」をリリース。当時勢いのあったPaul Wallや、Q-Tipの従兄弟でA Tribe Called Questの準メンバー的な存在だったConsequenceなども客演に迎え、1stアルバムより一歩進んだソウルフルヒップホップを作り上げた。重要なのがMaroon 5のAdam Levineをフィーチャーした「Heard ‘Em Say」で、ソウルとは違うロック的な歌フックはこの前後から増加していく。
2005年のロック的な歌といえば、Linkin ParkのMike ShinodaによるヒップホッププロジェクトのFort Minorのリリースもあった。Linkin Parkとのマッシュアップも話題となったJay-Zがエグゼクティブプロデューサーを務めた2005年のアルバム「The Rising Tied」は、時折ロック的な歌も導入しつつも西海岸アンダーグラウンド系譜のヒップホップ作品に仕上がっていた。そしてこの流れを汲み、2006年にリリースされたシカゴのラッパーのLupe Fiascoの1stアルバム「Lupe Fiasco's Food & Liquor」にもMike Shinodaは参加。ロック的な歌も積極的に導入した同作は、新たな時代の到来を感じさせた。Lupe Fiascoは「Late Registration」にも参加していたが、「Lupe Fiasco's Food & Liquor」のサウンドも基本的にKanye Westからの連続性を感じさせるサンプリングを用いたものだった(The Neptunesプロデュースの「I Gotcha」のような曲もあるが)。本人のキャラクターがナーディだったこともあり、そのサウンドも相まってA Tribe Called Questの系譜のアーティストとしてシーンに迎え入れられた。
Lupe Fiascoが1stアルバムをリリースした2006年は、Pharrell WilliamsとKanye Westの初共演曲「Number One」も発表されていた。同曲を収録したPharrell Williamsの初ソロアルバム「In My Mind」も、評価は賛否両論だったものの大きな話題を呼んだ。なお、「賛」の評価を下した一人がTyler, The Creatorで、同作を聴いたことをきっかけにOdd Futureを結成したという。そして2007年、Kanye WestとLupe Fiasco、Pharrell WilliamsによるスーパーグループのChild Rebel Soldierが始動。シングル「Us Placers」などを発表して話題を集めた。同グループでの活動は続かなかったものの、この頃からこの三人の流れを汲んだようなナーディなラッパーが次々と登場していく。


ヒップスター・ラップの隆盛

Lupe FiascoとKanye Westの出身地であるシカゴは、多くのナーディなアーティストを輩出した。ラッパーのNalegdeとプロデューサーのDouble-Oのデュオ、Kidz in the Hallもその一組だ。
より1990年代東海岸ヒップホップへの憧憬が強いKanye Westといったような音楽性のKidz in the Hallは、Just Blazeからのフックアップを受けてシーンに登場。2006年に発表したシングル「Wheelz Fall Off ('06 Til)」では、タイトル通りSouls of Mischiefの名曲「93 ‘Til Infinity」を思わせるサウンドで1990年代ブーンバップファンの心を鷲掴みにした。翌年に発表した当時の大統領候補だったBarack Obama応援曲「Work To Do」も話題になり、大きな注目を集めていった。
The Cool Kidsもシカゴを拠点に活動していたラップデュオだ。デトロイト出身のChuck Inglishとシカゴ郊外出身のSir Michael Rocksの二人からなるこのデュオは、Eric B & Rakimなどの影響を受けた1980年代ヒップホップ風のサウンドを新たなセンスで構築するユニークな音楽性の持ち主だった。Myspaceを通して知り合って2005年に結成されたThe Cook Kidsは、2006年にFlosstradamusのパーティへの出演を機にDiploやA-Trakと繋がり、A-TrakのレーベルのFool’s Goldとの契約を掴んだ。その後Fool’s Goldからは離脱するが、CMやゲームのサウンドトラックでの起用から注目を集めていった。
The Cool Kidsのブレイクは多くのナーディなラッパーに影響を与え、Kidz in the Hallも2007年にリリースしたシングル「Driving Down the Block (Low End Theory)」でThe Cook Kids風のミニマルなサウンドに挑戦。The Cool Kids本家とThe Neptunes一派のPusha T、Bun Bをフィーチャーしたリミックスも発表された。2008年にリリースされたKidz in the Hallの2ndアルバム「The in Crowd」では、これまでのブーンバップ志向から一歩進んでThe Neptunes風のシンセを用いた曲なども収録。自身のマナーに当時のナーディなヒップホップの流行を取り入れて傑作を生みだした。
ほかにもシカゴからはエレクトロを取り入れた音楽性で話題を呼んだKid Sisterなどが登場。こういったナーディなヒップホップのムーブメントには、いつしか「ヒップスター・ラップ」という名称が付き浸透していった。定義は非常に曖昧なものだったが、その曖昧さによって多彩な個性を持つラッパーが次々と登場していった。


多彩なジャンルが交差したNYのヒップスター・ラップ

Native Tonguesを生んだNYもヒップスター・ラップの中心地の一つだった。The Cool Kidsともシングル「Rockin N Rollin」で共演している、Mickey Factzもこの時期に注目を集めたラッパーだ。N.E.R.D.のビートを用いたミックステープ「In Search of N*E*R*D」を2006年に発表して一部で話題を集めたMickey Factzは、その後もDaft Punkのビートジャックなど自由な発想で制作したミックステープを何枚か発表。センスだけではなくラッパーとしてのスキルの面でも高い評価を獲得し、知名度を広げていった。
セガのゲーム「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」への愛を打ち出したユニークなキャラクターで話題を集めた、Charles Hamiltonもヒップスター・ラップの文脈で語られる機会が多いラッパーだった。Charles Hamiltonの音楽性はソウルを中心としたサンプリングからなるブーンバップ系譜のもので、The Cool KidsやMickey Factzとは少し異なるセンスの持ち主だ。2008年頃からミックステープを精力的に発表し、Pharrell WilliamsのフックアップでInterscopeと契約した
エレクトロニック・ミュージックのシーンで活躍するプロデューサー、Machinedrumもこの時期はヒップスター・ラップのシーンと近かった。NYのラッパーのTheophilus Londonのミックステープではプロデュースやミックスなどで参加したほか、2009年にリリースしたアルバム「Want To 1 2?」ではそのTheophilus LondonやMickey Factzなどをフィーチャー。ジャンルを横断して活躍した。
Machinedrumと親しいTheophilus Londonは、極端なまでのクロスオーバー志向を持つラッパーだ。2008年のミックステープ「JAM!」、「The Charming Mixtape」ではニューウェイヴやエレクトロを取り入れた音楽性を披露。2010年のミックステープ「I Want You」ではMarvin GayeからVampire Weekendなどの曲にラップを乗せて疑似共演し、客演でもMachinedrumのほかMaximum Balloon(TV on the RadioのDavid Andrew Sitekのソロプロジェクト)などの作品に参加。ヒップスター・ラップのステレオタイプなイメージそのままな新しい感覚を提示していった。
この周辺からはほかにもMeLo-XやJessy Boykins III、Ninjasonikなど多くの才能が登場。ヒップホップに留まらず多彩なジャンルが交差し、ユニークなシーンが形成されていった。


続くナーディなラッパーの活躍

ヒップスター・ラップが注目を集めた2000年代後半からは、新しい感覚を持ったナーディなラッパーが続々と全米から登場した。ペンシルヴァニアからはAsher Rothがロック要素を含むサウンドに乗り、ラップデュオのChiddy BangはMGMTの名曲「Kids」をサンプリングした「Opposite of Aduluts」を2010年にヒットさせた。ほかにもアトランタ出身でAndre 3000フォロワーのB.o.B、西海岸のラップデュオのU-N-I…などなど、次から次へと新たな才能が注目を集めていった。
特筆すべきはオハイオのKid CudiとDCのWaleだ。Kid Cudiはインディロックやエレクトロを取り入れたダウナーなサウンドと内省的な歌詞、The Pharcydeなどから影響を受けたメロディアスなフロウで特出した存在感を放っていた。2009年には傑作アルバム「Man on the Moon: The End of Day」をリリースしてシーンに衝撃を与え、後のTravis Scottなど多くのアーティストに影響を与えた。Waleはフレンチ・エレクトロのJusticeのヒット曲「D.A.N.C.E.」をサンプリングした「W.A.L.E.D.A.N.C.E.」のようなキャッチーな話題もありつつ、ラッパーとしてのスキルや地元DCのゴーゴーも取り入れるなどマニア向けの側面もあり高い評価を集めた。
こうしてナーディなラッパーの活躍が本格化していた2010年、その道を切り拓いたLupe Fiascoは新たなコレクティヴのAll City Chess Clubを結成した。メンバーはLupe FiascoとPharrell Williams、Asher Roth、B.o.B、The Cool Kids、Charles Hamilton、Blu、Diggy Simmons、Wale、J. Cole、Dosage。後にMickey Factzも加入した。2010年の「I’m Beamin’ (Remix)」一曲しか音源を残せなかったものの、当時のヒップスター・ラップの人気を象徴するコレクティヴだった。
しかし、ヒップスター・ラップの人気は長く続かなかった。元々本人たちがそのカテゴライズを嫌っていたこともあったが、それに加えてCharles Hamiltonはメジャー契約を打ち切られ、Waleは2009年にリリースした1stアルバム「Attention Drift」がセールス的に失敗。The Cool Kidsはアルバムがなかなか出せず…と代表的なアーティストが不運にも勢いを維持できなかったこともあった。こういった数々の要因から、ヒップスター・ラップという言葉を耳にする機会は急速に減っていった。


ヒップスター・ラップを通過したアーティスト

ヒップスター・ラップという言葉は急速に衰退していったが、そのムーブメントが育んだラッパーは後に活躍していった。現代のヒップホップを代表するスーパースター、Travis Scottもその一人だ。
Travis Scottはキャリア初期の2008年頃にはシンガーのChris Hollowayとのユニット、The Graduatesで活動。その後ラッパーのJason Eric(現OG Chess)とのユニット、The Classmatesを結成してミックステープを何枚か残している。パッと見ではインディロックバンドっぽいユニット名にもThe Cool Kidsなどに通じるセンスが感じられるが、内容もエレクトロ風味だったり1980年代ヒップホップ風味だったりとかなりヒップスター・ラップ的なものだった。その後T.I.のフックアップでメジャー契約を掴んだTravis Scottは2013年に初のミックステープ「Owl Pharaoh」をリリース。この頃には既にヒップスター・ラップ色はほとんど抜けていたが、Theophilus LondonとWaleの参加にはその名残が感じられる。以降はトラップ色を強めながら人気を拡大していったが、Kid Cudiから受けた影響は今も色濃く残っている。
Young Moneyでの活動で知られるTygaも初期はヒップスター・ラップ的な音楽性だった。2008年にリリースした1stアルバム「No Introduction」は、エレクトロ的なビートの導入やFall Out BoyのPatrick Stampの客演などクロスオーバー志向を覗かせた作り。DJ Jazzy Jeff & The Fresh Princeの名曲「Summertime」のリメイクも収録し、明らかにヒップスター・ラップ的な方向性で売り出していた。同作は賛否が分かれる結果となり、セールス的にも不調でブレイクまでは至らなかった。この後Tygaはジャーキンのシーンへの接近を経てYoung Money入りし、よりメインストリームの王道を行くような音楽性にシフトしていった。
また、ヒップスター・ラップのムーブメントに乗って登場したWaleは、1stアルバムでフィーチャーしたGucci Mane周辺との交流を深め、Waka Flocka Flameの2010年のシングル「No Hands」などに客演。センスよりも実力で聴かせるようなキャラクターに転向していき、2011年にはRick Ross率いるMaybach Musicに移籍した。以降、Waleはメインストリームの第一線で常に活躍を続けている。ヒップスター・ラップは一見終わったように見えたが、その遺伝子は確実にメインストリームに残っていた。


Odd Futureの快進撃

そんなポスト・ヒップスター・ラップ時代の2011年、ナーディなセンスでインディロックなどを取り込んだ音楽性でシーンに衝撃を与えたのがTyler, The CreatorとOdd Futureだった。ヒップスター・ラップ全盛期の2007年に結成されたOdd Futureは2008年頃からミックステープを発表し始め、そのオルタナティヴな音楽性から最初はヒップホップリスナーの間ではなくインディロック系リスナーの間で人気を集めた。2010年には、Tyler, The Creatorが2009年に発表したミックステープ「Bastard」がPitchforkの年間ベストアルバムにランクイン。ここからOdd Futureの快進撃が始まり、2011年にはメジャー契約を掴んだ。
そしてTyler, The Creatorは2011年に1stアルバム「Goblin」をリリース。The NeptunesやN.E.R.D.の影響を感じさせるインディロックなどの要素も含むサウンドと、サイコなラップはシーンに衝撃を与えた。Tyler, The Creator憧れのThe Neptunesも即座に反応し、同年にはThe Neptunes一派のPusha Tのシングル「Trouble on My Mind」でTyler, The Creatorをフィーチャー(Odd FutureのLeft Brainもプロデュースで参加)。以降、Tyler, The CreatorとPharrell Williamsは共演を重ねていく。
Odd FutureからはR&BシンガーのFrank Oceanや最終的にファンクバンドとなったThe Internet、The Alchemistとの制作など西海岸アンダーグラウンドの系譜で活動を続けるラッパーのDomo GenesisやEarl Sweatshirtなどが登場。Vince StaplesもOdd Future周りから登場し、その尖ったセンスで大きな話題を集めていった。
Odd Future以降、同様の大型コレクティヴは次々と注目を集めていった。その中でもOdd Futureとよく比較されていたのが、アトランタを拠点に活動していたNRKだ。NRKにはOdd FutureのJet Age of TomorrowメンバーでもあったPyramid Vritraも所属。スペイシーなシンセをトレードマークにしたサウンドで一部から高い評価を集めた。また、テキサス出身のKevin AbstractやDom McLennonなどが始めたコレクティヴのAliceSinceForeverもOdd Futureに通じる音楽性で2010年代前半から静かな注目を集め、2014年には新たなコレクティヴのBROCKHAMPTONに発展。DIYな活動を続けてブレイクを掴んだ。Odd Futureは、名前通り未来のシーンを形作る存在だったのだ。


ナーディなリスナーの理想

そんなOdd Futureの創始者であるTyler, The Creatorが「Rock The Bells Cultural Influence Award」の第一回受賞者に選ばれたことは、繰り返すがまさに相応しい人選だったと言えるだろう。Tyler, The Creatorは受賞時のスピーチで、Q-TipとAndre 3000、The Neptunes、Kanye West、Missy Elliottにシャウトアウトを送っていた。Tyler, The Creatorは確かに革新的な人物だが、そこに至るまでには数々の先人の取り組みがあったことをこの発言は示している。なお、ここで名前が挙がったKanye Westだが、年々その言動が問題になることが増加し、近年ではさらにエスカレートして大きな批判を受けている。本稿でも重要なアーティストとして取り上げたが、だからといってその言動は全て肯定できるものではないということは強調しておきたい。
また、ヒップホップはナーディなアーティストだけが進めてきたわけではない。トラップのようにストリートから生まれたスタイルも多く、ストリート派とナードが共に試行錯誤を繰り返してきて現在のシーンがある。本稿で振り返ったナーディなラッパーたちも、Jay-ZがKanye Westと契約するなどストリート派のアーティストの助力を随所で受けてきた。Tyler, The Creatorの最新作「CALL ME IF YOU GET LOST」でも、T.I.などのストリート派ラッパーのミックステープでホストDJを務めたDJ Dramaの煽りを全編でフィーチャー。客演にも42 DuggやYoungBoy Never Broke Againなどストリート派のラッパーを迎えている。キャラクターやスタイルを問わずあらゆるヒップホップを聴くことで、ヒップホップを聴くことがより楽しくなるはずだ。それがナーディなリスナーの理想ではないだろうか。

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