【短編】人とヒトと、友達と。
僕は妙な視線を感じた。
僕はその視線の先を、テレパシーを受け取るかのように追った。
見ると、手にしていたCDのジャケットにデフォルメされた、可愛い宇宙人のイラストが僕を見ていた。
僕は宇宙人を見たことがある。でもこんな姿ではなかった。
だから正確には、宇宙人らしきヒトかもしれない。
だって、彼らは人間の姿をしているのに宙に浮いているように背丈が高かったから。何よりも、
彼らは空に浮かぶ円盤から出てきたのだ。
僕の方を見て、何か言いたげな彼ら。
口がゆっくり動き、何か言っているように見えたが、あまりに小さな声で聞き取れなかった。
僕は呆気に取られ、言葉が出ない口をただ開けていることしかできなかった。
そうしているうちに彼らはまた、円盤に乗り込み行ってしまった。
彼らの中には、ちょうど僕と同じくらいの年齢の子供もいた。
僕はあの時、なんて声を掛けたら良かったのだろう。
あの時なんて言えば、友達になれたのだろうか。
「そこの養生テープ、とってもらえますか?」
そんなことを考えながら、僕は古くなったCDを箱詰めしていた。だから、養生テープを使わないと箱が閉まらないほどCDを詰めてしまっていた。
箱が開かないように両端を手で押さえながら、隣で返却されたCDを仕分けている紀伊塚さんに声を掛けた。だけど彼は返事をしない。
「あの。紀伊塚さん。」
名前を呼んでやっと彼は振り向いた。
「養生テープ…」
僕が言い終わらないうちに彼は養生テープを取ってくれた。
「ありがとうございます」
僕は軽くお礼を言った。その言葉に反応する訳でもなく、彼は黙々とCDの仕分けに戻った。
「紀伊塚さんって、喋らないですよね」
言った直後、僕は後悔した。もし彼が声が出せない人だったら失礼だ。しかし振り向いた彼の顔は、先程と何一つ変わっていなかった。それがまた、彼が怒っているのではないかと僕を不安にさせた。
「あ、いや、どうしてかなって思っただけで、
喋って欲しいとかそう言うのじゃないんですけど。あ、喋ってもらっても全然良いんですけど。
むしろ嬉しいし。あ、でも全然、喋らなくても気にしてなくって…」
僕は慌てて弁解しようとして空回った。
焦るといつも感情が先走る。
「僕、ハンカチ落とされたことないんですよ」
早口の僕とは裏腹に、ゆっくり発せられたその声は想像していたよりも低い声だった。彼の声にまとう不思議な雰囲気は、この世界のどこにもない、異空のオーラを彼に漂わせ、彼をこの世界から3mm
浮かせてみせた。
「へ?」
そんな新しい次元に出会ってしまった僕の思考は追いつかず、自分でも初めて聞くような、風船から空気が抜けたような声が口から出た。
動揺が体全身から出てる僕を他所に、彼は真顔で続けた。
「小さい時やりませんでしたか?ハンカチ落とし」
「…あ、あ」
ハンカチ落とし、ハンカチ落とし、ハンカチ落とし、、、
僕は彼の会話に追いつこうと、小さな思考回路をフルに動かした。
「あの遊び、ハンカチを落とされない者はただ座っているだけじゃないですか。」
「あー。そうだったかもしれない。」
僕は正直ハンカチ落としのルールを忘れていた。
覚えているのは、じゃんけんで負けて、新品のハンカチがゲームで使われたこと。真夏の青空みたいな色のハンカチは、ゲームが終わる頃には、梅雨の空のような色に変わっていた。
「ハンカチを落とされなかった者は、参加してないのと同じです。あの時から僕はゲームに参加してなかった。できなかったんです。だから今も、この世界に参加してないんです。」
彼はずっとそんな気持ちで生きてきたのか?
僕は圧倒されてしまった。
蚊帳の外からでは、一体この世界はどのように映っているのだろう。
きっと雨が降っても気にならないんだ。
だとすると、その後に掛かった虹の美しさにも気づかないのだろうか。
感情が激しく動く友達との喧嘩も、
心が熱くなる友情も、
ワクワクするような美味しい食べ物も、
ワールドカップも、オリンピックも、
社会問題も、地球温暖化も、世界遺産も、
彼には無関係のことなのだ。
参加したくてもできなかったのだから。
「そこから見たこの世界って…、参加したいと思いますか?」
彼はしばらく考えた後、整理していたCDを眺めながら言った。
「不思議なんですよ。人が音楽を聴いて、楽しそうに体を動かしたり、笑ったりするのが。」
その時彼が手にしていたCDは、蛍光色が使われたジャケット。確か、若者に人気のラッパーが最近リリースしたアルバムだ。歌詞がささると話題の曲は、ラップに馴染みのない僕の心も射止めた。
「だから…、そう言う気持ちはちょっと、知りたいなって思います。」
彼が、彼の雰囲気とかけ離れたCDを見つめる姿が、まるで宇宙人にでも会ったかのような、未知との遭遇のようだった。
彼は本当にこの世界の蚊帳の外にいるんだ。
僕はこの時確信した。
「知るべきです。」
僕の口から力と熱がこもった大きな声が、頭で熟考されずに放ったれた。
「確かにこの世界はそんなにいい面だけじゃないですけど。参加したいのか参加したくないのかよく分からなくなるような。もしかしたら参加しない方が良いかもしれないような…」
僕は言いかけて首を横に振った。
あの時のハンカチは、その後すぐに捨てられなかった。そう。あの後、ハンカチに描かれたキャラクターを見た友達が僕に声をかけてくれて、その後そいつと卒業までずっと一緒に遊んだ。日が沈む景色も、イタズラして怒られる景色も、木の上から見えた隣町の景色も、いろんな景色をそいつと一緒に見た。
だから。だから、僕は紀伊塚さんをしっかりとこの世界に降臨させたい。
「いや、それでも参加した方が良いです。参加して、新品が、お気に入りの物が、汚れちゃうようなちょっと悲しいことだって起こるかもしれないけど、
それでもそれが、まあいっかって思えるような、輝いてる瞬間もあるんです。そんな輝いてる瞬間を、紀伊塚さんは知るべきです。だってこの世界に生まれたんだから。この世界に生まれて、この世界の空気を吸って吐いて、この世界の地面に立ってる。だからこの世界の幸せを感じる権利があります。」
僕はまたも彼の雰囲気に反して早口で言葉を飛ばしてしまった。
彼といるとなぜか舌が猛烈に早く回りだす。
僕は大きく深呼吸をした。
「それでも紀伊塚さんが参加したくなかったら全然いいと思うんです。止めません。」
そう言いながらも、彼が整理しているCDたちが、光だす。彼はその煌々と輝くCDたちを、手で優しく誇りを払うように触った。
「あ、この曲もいいんですよ。あ、あとこの曲も。これはちょっとご年配の人が聴く系かなー」
彼が整理したCDを僕は徐に手にし、わざと順番をバラバラにさせる。彼ともっと話したい。
もっと彼のことが知りたい。
でも30分くらいかけて彼が綺麗に整理したCDの山。流石に彼も怒ったかもしれない。
僕は恐る恐る彼の方を見た。
彼もガラス玉のように透き通った瞳で、まっすぐ僕の方を見ていた。
「レンタルしてみます。」
彼は先程と変わらない声色で言った。
それでも気持ち、彼の口角が3mm上がったように見えたのは、スリーブケースに入った光り輝く円盤が反射したせいだろうか。
もう一度だけ、僕が宇宙人に出会えたら…
いや、僕はいつだって、この地に立っているヒトと話している。
もう一度だけ、あの時のあのヒトに出会えたら、
今度は…
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