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やめどき(徒然草第151段)
徒然草 第151段 現代語訳
ある人が言うには
「50歳になるまで上手にならない芸はやめた方がいい」って。
頑張って練習しても行く末もないし
なんなら50歳になって頑張ってる人を見ても誰も関心を示さないだろう。
歳をとった人がたくさんの人と交流してるのもなんか悲しくなっちゃう。
歳をとってからはこれまでやってきた仕事をやめて
のんびり過ごすのが理想的だよね。
世の中に流されて生きてる年寄
ときめき(徒然草第8段)
徒然草 第8段現代語訳
世の中の人を惑わせるものは色欲に勝るものはない
香りなんてものはそもそも上辺だけのもの。
暫く衣類に薫きこんだものだと知っていながら
なんともいえない香りには
どうしても心がときめいてしまうものだ。
古代の仙人である久米の仙人が
洗濯している女性のふくらはぎが白く綺麗だったのをみて
神通力を失ってしまったそうだが
誠に手足や肌が綺麗でふっくらしているのは
上辺だけの美し
恋せよ/仏の道(徒然草第3段、第4段)
徒然草 第3段現代語訳
色々なことに立派でも
色恋に全く関心がないと云うのは
何か物足りないもので
それは、最高級の石でできた盃の底が
そんぐり抜けてしまっているようなものである。
理想の相手を求め
月夜の中夜露に濡れながら彷徨い歩き
周囲の人の視線を気にしながら
心の余裕もなくなり
そのことに想い悩み
そして挙句に相手には会えず
次第に独りで布団に入ることが増え
夜も眠れない日が続く
そ
マネ(徒然草第85段)
徒然草第85段 現代語訳
人の心は素直ではないので、偽りがないとはいえない。
だけれども、稀に本当に正直な人がいないともいえない。
自分が素直な人間でなくとも
人が賢いことを見て羨むのは世の常で全然おかしくはない。
最も愚かな人ってのは
賢い人を見て、それを憎む人のことなのです。
「大儲けしようとして小さな仕事はしないで
嘘をついて名声を得ようとしているやつだ!」
なんて、思いつきで文句
さぎちょう(徒然草第180段)
徒然草 第180段 現代語訳
左義長は、正月に使った毬杖(ギチョウ)を
真言院から近くの神泉苑へ出して焼き上げる行事です。
「法成就の池にこそ」
と唱えるのは、そこが神泉苑の池のことを指しているからです
徒然草の内容をもとに一人語りする番組はこちら
ユキボトケ(徒然草第166段)
徒然草 第166段現代語訳
みんながそれぞれ一生懸命に仕事しているのを見ると
春の日に、雪の仏像を作って
その仏像に、金銀や宝石を飾り付けて、
さらにはお堂を建てようとしていることに似ていると感じる。
お堂ができあがるのを待っていては
雪の仏像は溶けちゃって安置できないだろうに。
人の命もそうだ。
いつまでもあるように見えているけど、
いつのまにかこの雪の仏像のように消えてしまう。
それなの
そんな言い方ある?(徒然草第125段)
徒然草 第125段現代語訳
ある人が亡くなられ、四十九日の法要の後気に
素晴らしいお坊さんを招いたら
その方の説法がまことに素晴らしく、皆、涙を流して聞き入っていた。
御坊さんが帰られてからもその場にいた人々は
「なんてすばらしい説法でしたね♪」
と、感心しあっていたところ、ある人が
「なにはともあれ、中国の犬(チン)のような顔のお坊さんでしたね。」
なんて言うもんだから、感動もどっかへ行
なぞなぞ(徒然草第103段)
徒然草 第103段 現代語訳
大覚寺殿で使用人たちがなぞなぞを出し合って遊んでいたところ
(中国から帰化した)医師の忠守さんが来られた。
すると大納言・公明(きんあきら)さんが
「タダモリは 我が国の民と なぜ見えぬ?」
と問題を出されたところ、誰かが
「唐の国の 瓶子(≒平氏)なりけり」
と答え、みんなで笑っていたので
医師の忠守さんは怒って帰ってしまった。
※中国から帰化された医師の【
なぞなぞ(徒然草第103段)
徒然草 第103段 現代語訳
大覚寺殿で使用人たちがなぞなぞを出し合って遊んでいたところ
(中国から帰化した)医師の忠守さんが来られた。
すると大納言・公明(きんあきら)さんが
「タダモリは 我が国の民と なぜ見えぬ?」
と問題を出されたところ、誰かが
「唐の国の 瓶子(≒平氏)なりけり」
と答え、みんなで笑っていたので
医師の忠守さんは怒って帰ってしまった。
※中国から帰化された医師の【
身だしなみ/参拝するのはいつ?(徒然草 第191、192段)
徒然草 第191段 現代語訳
「夜になったら、モノの見栄えがしないな。」
なんて言う人は勿体無いなと思う。
いろいろなものの煌びやかさや、鮮やかさは夜になって映えるものだ。
昼は落ち着いた色合いの服装でもいいだろうが
夜は華やかな格好をするのが非常に良いだろう。
人の姿も夜の燈に照らされているとより良くなる。
話し声も暗い中でヒソヒソと周囲に気を配っている様子は思いやりを感じる。
香りや
先生はすぐそばに(徒然草 第102段)
徒然草第102段 現代語訳
尹の大納言の源光忠入道さんが
大晦日の宮中での 鬼祓いの行事の運営リーダーを務められた時に
儀式の進行プログラムの製作のアドバイスを洞院右大臣さまに聞きに行ったら
「又五郎さんを先生にする以外考えられないでしょう」
と教えられた。
この、又五郎さんは、年配の衛士(宮中の門番。焚き火などを担当する警備員)で、公の儀式に慣れていて
色々と詳しい人だった。
ある時、