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狭霧 織花
2024年7月31日 17:16
暑さから逃れるための方法として、何があるか、ということがふとした会話の中で、議題となった。 冷たい飲み物。アイスキャンデー。冷風機。アカデミーの外にあるミスト発生機(ただし常に満員状態)。口々にあげてはみたが、全員が薄々感じていることは同じだった。「なんか、違うんですよねぇ」 研究室の助手が事務書類を束ねながらうーん、と唸る。魔法の研究とあらば体調、奇行、雰囲気その他あらゆる諸々を気にしな
2024年7月30日 12:20
似合う色は、人によって違う。そして、顔色や感情や、隣に立つ人によってさらに変わる。 まさに千変万化。場合によって必要な色が変わる状況で、誰がそのすべての状態に「ベストな色」を選ぶことが可能だろうか。 でも、私にとっては難しいことではない。とても、とても簡単だ。「このお色はいかがでしょうか?」「こんな色、選んだことないわ。……でも、なんだかわくわくするわね。……これにするわ」「ありがとう
2024年7月29日 12:22
「お前のその魔力と探求心は、いつか自分の身を焦がすことになるだろうねぇ」 彼女のお師匠様は、あきれたような、悟ったような、それでいてどうしようもない愛しいものを労るような、もしくは慈しむような声で、そう言った。 なんで、と無邪気な声で尋ねると、苦笑して頭をなでられた。猫の仔にでもするような仕草に、こども扱いしないで、と突っぱねたかったが、お師匠様の手は優しくて暖かくて、とろりとした眠気と共にま
2024年7月28日 13:55
耳に入る音すべてがわずらしいもので、どうにかして遮断できないものか、そればかり考えていた。 世の中にはいろんな音がありすぎる。綺麗な音も、汚い音も、みんな混ざってめちゃくちゃだ。「そんな風に聞こえないよ」 言われても、自分は聞こえてしまうのだから仕方がない。みんなが聞こえないことがわからなかったし、自分が聞こえることも伝わらなかった。 そして時折、自分の口にする声が聞かせる相手に意味をな
2024年7月27日 12:18
促されて差し出した手のひらの、五本の指の先、爪の部分が、己のものと自分の手を眺める人のそれとは違うのを、ぼんやり眺める。 爪は全体的に乳白色をしており、角度でゆるりといろいろな色に光を弾いている。オパールという石だよ、と昔、目の前の医師に教えられた。「……うん、今日は調子がよさそうだね」 かかりつけの医師がにこりと笑って言った。調子が良い、は体調のことではない。 体の鉱物化の進行があまり
2024年7月26日 12:15
暗い室内で、紙をめくる音だけが響いている。とっぷりと暮れた夜の中で、小さな灯りひとつをデスクに置いて、その人は熱心に一冊の書物に目を落としていた。 数行読んで、一度止まる。指でなぞり、何かを確かめるように何度か行き来して、そして一度宙を眺めてまた書物に目を落とす。 かと思えば読んでいるのだかわからないスピードでページを繰り、急にぴたりと止まる。 何かを探しているようで、けれどどこか目当ての
2024年7月25日 12:25
胸の奥で音がするんです、と訴えられたので、診察しますので椅子にかけてくださいと返した。 椅子にかけた自称患者殿は、胸に手を当て、音がするんですと繰り返す。 それは誰にでもわかるのかと尋ねると、手を当ててみればわかると思うのであててくださいと言われた。半信半疑で手を伸ばし、言われた場所に手を当てる。 確かに音がした。患者が呼吸をするたび、声を発するたびに、カラカラと、乾いた音がするのだ。
2024年7月24日 12:06
目が覚めたとき、わかった。その時が来たのだと、覚悟していた瞬間が訪れたのだと。 静寂だけが世界を満たしていた。吐息ひとつさえ誰かに聞きとがめられてしまいそうな、静謐な時間が流れている。「準備、しなきゃ」 はたと思いだし、起き上がる。かすれた声でつぶやいてベッドから起き上がると寝間着を脱いで、白いワンピースに着替えて、顔の下半分を覆うレースをつける。肩より下まで伸びた髪はくくり、布で覆って長
2024年7月23日 12:27
暑いね、と言いながら手にした飲み物を手に取る。グラスにびっしりとついた水滴が、持ち手を滑らせそうになり、慌ててストローを支えた。「暑いって言うと、余計暑く感じない?」 かもなぁと返すと、だよねぇと気怠げに相づちが来る。少しのいらだちを感じたのは、疲れと暑さのせいだろう。人間、疲れてくると余裕がなくなってくる。 かといってこの暑さに対する良い表現も思い浮かばず、沈黙が続いた。普段はお互いにお
2024年7月22日 12:35
思えばつくづく、不運な生まれだと思う。祝福を受けていると言われても、実感できないほどには、この身に受けた特性はうとましいものだった。 『神の恩恵』と呼ばれる魔法のうち、雨の魔法の性質を持って生まれたと知ったとき、喜びよりも落胆の理解を覚えた。 なにせ、雨の魔法といっても使いこなせないうちは知らず知らずのうちに雨を降らせてしまうがゆえに、外での行事はほぼ確実に雨天決行もしくは中止の状態だった。
2024年7月21日 15:31
真っ白なノートを見つめてどれくらいの時間がたっただろうか。いくら見つめても、そう、穴が開くほど見つめても、ノートに何か浮かぶことはない。 長期休暇でいちばん嫌いな宿題が、最後の難関となって立ちふさがっている。 誰だよ、こんな課題考えたの。 ふてくされて唇をとがらせても、誰も答えてはくれない。もちろん課題が終わるはずもない。 仲の良い同級生は、もう手をつけていたり、なんならすでに終わってい
2024年7月20日 13:12
美しい姫、いづこにおわす。白磁の髪に、薄氷の瞳、雪の肌に珊瑚の唇。菩薩の笑みに、琴の音の声、白魚の指に天女の肢体。 美しい姫は塔におわす。蝶の着物に毬の帯、真珠のかんざし、琵琶の扇。 高い高い塔のてっぺんに、姫はおわす。数多の富と名声と、愛を積み上げ、高みから見下ろしておわす。 姫はいづれの宝物、いづれの誉れのものならむ。姫は誰にも手に入れられぬ。姫は孤高の貴きもの。 高い高い塔のてっぺ
2024年7月19日 12:20
ピンク色の髪に、赤い目。その見た目でからかわれるのはしょっちゅうで、隠すのに必死になっていた。 さらにしゃべり方もおっとり気味だったし、あげくに自分の魔法の気質が花とわかると、ますますからかわれた。何もかもが、嘲笑の対象だった。 だから隠したいと思って眼鏡をかけ、なるべくしゃべらないようにしたし、髪は一つにくくってこっそりと過ごしてきた。 ありがたいことに、得意の魔法は大した力ではないと思
2024年7月18日 12:12
むしがでた、と騒いでいるルームメイトがあまりにうるさくて、騒ぐ背中を蹴り飛ばしたら枕が飛んできた。 そのまま軽い乱闘になったところを寮長に止められて、三日間のおかず一品減らしますの罰を受けることになった。 育ち盛りの健康男子にとって、おかずが一品減るのはたいへんなことだ。考えるだけでもお腹は空くし、事実としてすぐにおかずは取り上げられてしまったため、満足しきらなくて落ち着かない腹ともの悲しい