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文披31題:Day31 またね

 暑さから逃れるための方法として、何があるか、ということがふとした会話の中で、議題となった。
 冷たい飲み物。アイスキャンデー。冷風機。アカデミーの外にあるミスト発生機(ただし常に満員状態)。口々にあげてはみたが、全員が薄々感じていることは同じだった。
「なんか、違うんですよねぇ」
 研究室の助手が事務書類を束ねながらうーん、と唸る。魔法の研究とあらば体調、奇行、雰囲気その他あらゆる諸々を気にしないタイプの上司でさえ、日々の暑さに少々バテ気味で、最近は鍋をかき混ぜることもなくむしろ液体を扱う関係の研究か、研究冊子の読み込みの日が多い。
 今日は、古代魔法史の一冊を読んでいる。だが、読んでいるのかいないのかが正直わからない。時折固まったまま動かないからだ。
 寝てないよな、と思ったが、今の今まで会話をしていたんだから寝ているはずはない。だが、彼に限っては通常という事象が当てはまらないため、正直言ってわからない。
「……肝試し」
 ぽそ、と研究員である花の魔法使いが言葉を発した。こちらは本日、己の魔法により生み出した花の保存強化だと思う。なにやら今後に向けての準備らしい。「へっへっへ、まだ秘密~」と人差し指を立てて笑っていたので楽しいことらしいとは想像がついている。
 しかし暑さに悩まされているのは同じなのか、今日の進捗は悪いようだ。徹夜仕事だとは聞いていないがよく眠れていないのか、少し薄れていた目のクマが復活していた。
「せんせぇ、肝試し、しません……?」
「お?」
 呼ばれた上司が書物から顔を上げた。聞こえていなかったと思ったのかもう一度、「き・も・だ・め・し」と花の魔法使いが繰り返す。
 上司はしばらく考えたのち、ぽん、と手を打った。
「肝試しというか、ワシに良い案があるぞ」
 輝かんばかりの笑顔を浮かべた上司に、「胡散臭い……」と思った自分に罪はないはずだ、と上司は思った。
「と、いうわけでぇ。皆様お疲れ様です、肝試し大会にようこそぉ」
 終業後、暗くなってから再集合として集まった面々は、研究室にいる人数より多かった。
 魔法研究家、研究員の花の魔法使い、助手とその恋人、そしてアカデミー付属の高等部の生徒が二人。なお、なぜ高等部生がいるかといえば、定例の魔力抽出先の生徒で上司が話をしたところ「面白そう」と急遽参加決定したそうだ。
 夏休みの思い出になる、と嬉しそうだ。片方は『神の恩恵』と認定されている雨の魔法使いで、もう一人は香の魔法使いだそうで、テンションが高い様子は若さゆえか、まぶしい。
 大会というには小規模だが、これくらいの人数であればグループ活動めいていて心が浮き立つ。
「じゃあ、行くとするかね」
 集まったのはアカデミーの魔法研究室。だが、会場は違うようだ。先頭を歩く魔法研究家の後をついて行くと、とんでもない場所に案内された。
「先生。ここって」
「おお、王城じゃ」
「入っていいんですかっ!?」
「許可はとっておるよ」
 助手と花の魔法使いの突っ込みも気にせずすたすたと正門を進み、門を守る兵士のそばにいくと何やら話をしている。兵士も話は聞いているのか魔法研究家に身分証の提示を求めるのみであとは首肯をを繰り返し、最後は敬礼で締めくくる。
「ほい、お待たせ」
 涼しい顔で待っていた面々の元に戻る。こっちじゃ、と正門からそれて塀のそばを歩いて行く。
「先生、どことは言ってなかったですけど、まさかの王城って……」
「なに、知り合いが何かあったら来ていいと言っておったでの。夜の城は涼しいし、夕涼みにはもってこいかと思って」
「違う意味で肝が冷えるんですが」
 上司は高らかに笑って取り合わない。花の魔法使いと助手と恋人は恐れ多いとびくびくしながら進み、高等部生の二人は逆に楽しそうにきゃっきゃと笑いながらあちこち眺めている。夜の社会見学とでも思っているのかもしれない。おおらかでいいことだ。
 というか、むしろこれ自体が肝試しなのか……?と助手が思い始めたところで魔法研究家は「ここじゃ」と足を止めた。
「王城の裏手見学ツアーじゃ。涼しくて楽しいと思う」
 本当か……?と社会人組は胡乱げな目で示された扉を見つめ、学生組は王城の中には入れると目を輝かせたのだった。

 半信半疑で足を踏み入れたが、結果として見学ツアーは大変興味深いものだった。
 なにせ、「王城」だ。普通であれば遠くから眺めるだけの存在であるし、入るとしても正門側もしくはそれに準ずるところからになる。裏側見学、ということは王城で働く者たちの場所を、邪魔しない程度に見て回るという催しらしい。
 魔法研究家によると、最近王城が考えた催しらしい。さすがに外部の者を簡単に入れるわけにはいかないが、王城からお墨付きのある者、すなわち貴族などの紹介で入れるそうだ。
「ひえぇぇぇ……王城の、裏側っていっても高価なものがたくさんですよね……」
「うわぁ、どこもピカピカにしてある……さすが王様のお城の中……」
「うわ、この布地高いよ!!! そんでめっちゃいい匂いする!」
 思い思いに感想を言い合いながらの見学は、意外と楽しいらしい。裏庭から廊下越しに普段は人が多くいるだろう場所をちらとはいえ、見られることは興味を刺激するようだ。
「こっちは厨房、こちらは針子の部屋だの。あちらの部屋は、門番がおる。第五宝物庫だな」
 あっち、こっちと指を指して説明するのは魔法研究家だ。
「先生、詳しいんですね」
「そりゃ、先生は論文を発表したりするし、成果品を献上することもあるんだから王城に入ることもあるでしょ」
「それもあるが……昔ここにいたからのう。勝手知ったる、というやつじゃな」
「えっ!?」
 飄々と言ってのけた魔法研究家に、助手や学生どころか花の魔法使いまで素っ頓狂な声を上げる。声を聞きつけた警備の兵に視線を向けられたため、背筋を伸ばしてこそこそと話す。
「知ってました……?」
「知らないわよ、聞いたことないもの」
「でも、先生ってずいぶん前からアカデミーにいるって聞いてるけど、いったいおいくつでいらっしゃるの……?」
「聞いても教えてくれないんですよねぇ」
 社会人組がこそこそと話し合うが、魔法研究家は気にするそぶりもなく学生にあれやこれやと説明している。聞いても教えてもらえなかったと言うことは、きっと話す気はないだろう。
 奇人変人ぶりはよく見知っているが、よくよく考えてみたら彼のことは知らないことが多い。大ぶりな言動と行動に惑わされているため、普段は気にする余裕がないということなのだろうが。
 でも、確かに彼の知識や成果物は、凡人には容易に思いつくものではない。彼が何かを隠しているとしたら……
 様子をうかがっていると、気づいた魔法研究家はにやりと笑った。
「退屈になってきたかの? 安心せい。これからお待ちかねのメインイベントじゃぞ」
 うきうきとした様子でこっちこっちと歩いていくのについて行くと、ある扉の前に立つ。『第二書物庫』と書かれた札は、金色に縁取られている。
 見学のために扉に鍵はかけられていないそうで、古めかしさと威厳をもった響きで扉が開かれる。
 ふわりと、古い紙の匂いが漂ってくるが、それ以外に特に不思議なところはない。確かに、都の図書館よりも貴重な書物が収められていそうな気がするが、今まで歩いてきたどの場所よりも、この書物庫は開放的な空気に溢れている。
「ここは普段から地位に関係なく、申請が通りさえすれば利用可能だからの。皆の緊張も少しはほぐれよう。なにせ日々においても書物と暮らしているようなものだし」
 それの何がメインイベントなのかと思ったが、次の言葉に背筋が凍った。
「それにの、ここは夜には『出る』という噂が昔からまことしやかにあるのよ。肝試しにはもってこいじゃろ」
 いひひひひひ、と悪役よろしく笑う魔法研究家は、その後に「まぁでも、その噂を払拭しようと王城が夜も条件付きで解放しておるのだがな」と言い添えたが、誰も聞いていなかった。
 『出る』と聞いて目を輝かせた花の魔法使い、驚いて青ざめた助手と慰める恋人、件の何かを探そうとする花の魔法使いを追いかけていく学生たちと、一瞬で全員が別行動をとっていたからだ。
 なんだ、王城を歩く中では借りてきた猫よろしくおとなしかったのに、自分のテリトリーに近いところだと皆自由じゃの、と魔法研究家は入り口近くの閲覧用ソファに腰掛けた。
 どうせ全員、この狭い書物庫から出ることはないし、出入り口はこの扉一つだ。時間になったら声をかければいいと手近な書物を手に取り、備え付けのランプで読み始めるのだった。

「え、出るって本当……なの……?」
 うきうきしながらどこだろうかと花の魔法使いは楽しそうに書物庫の中を歩いていた。王城は魔法使いの国の建国とほぼ変わらない年数の建物だ。何か出る、という噂が立ってもおかしくはない。
 出ると言ったら幽霊だが、その存在そのもの興味があるわけではない。といったら嘘になる。それはもう、楽しいイベントだ。
「先生ありがとう!」
 先ほどの学生以上にきゃっきゃと高揚しながらあちこちを巡るが、特に何も感じなかった。何か条件があるのだろうか、聞きそびれてしまった。
 後ろから追いかけてきた学生たちが自分ほどではないが好奇心に満ちた瞳であちこち見渡しているのを仲間として認識し、何かその痕跡はないかと探ってみる。
「んん、やっぱりないのかなぁ」
「何が?」
「幽霊の痕跡」
「本当にあるんですかねぇ」
「幽霊を探してるの?」
「そうそう、先生がここ、出るって」
「先生? あの、入り口にいた人? 金色の目の!」
「そうよ、先生が今日のこのイベントに連れてきてくれたの」
 ぶつぶつつぶやいていると相づちが返り、一緒にいる学生かと思って受け答えする。だが、魔法研究家のことを聞かれてん?と思う。
 ああ、他の見学ツアーの参加者かと思ってあなたは探していないの?と聞くと、探してないよと返された。
「ここの本は何度読んでも面白いから、ついつい読みに来ちゃうんだよね」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ夜に来たこともある?」
「あるよ、ほら、今だって夜じゃない!」
 くすくす笑って指摘され、ああ沿うかと思う。ならば、知っているかもしれない。
「じゃあ幽霊を見たことはある?」
「どうだろう。ここにはいろんなものがいるから、いるかもしれないし、いないかもしれないね」
「いろんなもの?」
「いろんなもの! 人や、人以外や、本とか!」
 いーっぱい!と笑い声とともに言われて、さすが王城だなと思った。いるのはおそらく、使い魔や精霊のことだろう。それは幽霊よりもまぁ溢れていて、見られるものだ。
 じゃあそういうものが夜に出歩いていて、見間違えたのかもしれない、と結論らしきものにたどりつき、少しがっかりした。噂の真相なんて、そういうものなのかもしれない。
「そっかぁ、じゃあ私も本を楽しみながら、出会えるのを楽しみにしてみようかな」
「うん、お姉さんならきっとたくさん会えるよ! お花のいい匂いがするもの。みんなきっと、会えたら嬉しい」
 ありがと、と返すと、どういたしましてと返された。一期一会の出会いにしては、なかなかいい感じだ。
「あ、呼ばれてる。早く戻らないと。ありがとね、お姉さん。楽しかったよ!」
「こちらこそ」
「またどこかで出会えるといいね」
 そうだね、と手を振って別れを告げ、気づけば結構な時間が経っていたのでひとまず入ってきた扉魔で戻ることにした。
 いつの間にか奥まで来てしまったのか、入るときよりも出口に向かう時の方が長く感じるなと暗い書物庫の中をなんとか戻ると、魔法研究家たちが一同そろってこちらに気づき、声をあげた。
「どこに行ってたんですか!」
「え、ずっといたけど……」
「気づいたらいなくなってて、こんなに狭いのにどこにも見当たらないから心配しましたよ!」
 口々に責められて、意味がわからなかった。振り返ってみてみても、隠れるところなんてどこにもない。ただ、歩いてきたよりもずいぶん狭いことに違和感を覚える。
「あの、ここってこんなに狭かった?」
「見たまんまですよ」
「それとさ、先にこどもが出てこなかった? 他の見学者さん」
 見てません、と助手が答えた。何言ってるんですか、といぶかしげな顔をされる。
 え、と花の魔法使いが戸惑っていると、ソファに腰掛けてひとり落ち着き、にやにやと笑っていた魔法研究家が、立ち上がり言った。
「見学ツアーは一晩につき一組しか認められておらんよ。同輩よ、出会ったのかもしれんの?」
 悲鳴が、あがった。誰のとは名誉のために誰にも言わないでおこうと、面白がる魔法研究家以外は思う。
 ひとまず時間も時間だし、これで終わりにしようと扉を開けてぞろぞろと書物庫を出始める。ツアー中とは逆に、魔法研究家は帰路はしんがりをつとめることになった。助手たっての願いだ。
 歩いて行く面々よりも大分遅い速度で進み、廊下の角を曲がったところで魔法研究家はぴた、と足を止めた。
「相変わらずのいたずらぶりじゃの。息災でなによりじゃ」
『肝試しに来たって騒いでたから、遊んでくれるかなと思って』
 声が、魔法研究家の耳にだけ届く。楽しそうで、少し寂しそうな声だ。こどもの声にも、老獪な人間の声にも聞こえる。
『そっちこそ、なかなか顔を見せないから心配してたよ。次はいつ来るの? 昼間でも、あなたならいいよ』
 声をあげて魔法研究家は笑い、歩き出す。
「そのうちな、またな」
 手をあげてひらりと振ると、同行者のもとへと向かうべく、角を曲がっていった。
 小さな光が書物庫の扉の前で一回転すると、扉の向こうに消える。カチャン、と鍵の閉まる音だけが静寂に響いた。

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