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伊藤緑
2019年9月11日 15:20
一 出産というものに初めて違和感を覚えたのは、私が中学生の頃でした。あなたが産まれたときです。 風が吹けば田んぼに緑の波が立ち、昼間は蝉の声が、夜はクビキリギスの声がする、そんな夏のことです。当時二十代後半だった叔母が、元気な赤ちゃんを、あなたを産み、私の家にやってきたんです。 あなたを抱く叔母と、その隣に立つ旦那さん、叔母より一回り年上の私の父、そして母。大人たちはみんな破顔していまし
2020年9月6日 14:40
ずっと、押し殺してきたのではありませんか。長いあいだ、必死になって隠してきたのではありませんか。ごまかしてきたのでしょう。たとえば、笑顔を作ったりなんかして。 けれどもう、よいのです。 生まれてきたくなかったと、そう叫んでもよいのです。 それは真実の叫びです。あなたの悲鳴です。悲鳴を呑み込んではなりません。悲鳴とは、上げてよいものなのです。上げるべきものなのです。 あなたは親とは
2024年6月17日 23:30
命という名の病を意図的にうつされて、いったいどれほどの時間が流れたでしょう。老いという症状は悪化する一方です。水面が鏡が、それを気まずそうに教えてくれます。ほかの命を貪りどうにかそれを遅らせようと、抑え込もうとしても、私はその病状から逃れられない。 よく熱を出します。皮膚が荒れたり赤くなったり、できものに間借りされたり。咳が止まらなくなったり目がかすんだり。お腹が暴れたり関節が喚いたり。息が
2024年6月27日 22:30
汗かく瓶のラムネのビー玉が畳の上で朝日を浴びて僕はそのきらきらをぼんやりと見ている持てば冷たくころんと透明が鳴る始めないことの美しさとはこういうものではないかと飲み終えた瓶を見ながら汗を拭う
2024年6月2日 23:33
生まれてきてよかったという神を自らの中に拵えようとしてみても、それは偽神に過ぎなくて、私はその前に跪くことができません。私はそれが神様のふりした詐欺師であるという意識を捨てることができないんです。今、無の子どもがつけている生誕という仮面は誰にとってよかったか。何にとって美しいのか。気付けばつけさせられていたそれが息苦しいことを、どうして端的に認めてはいけないんでしょう。今まさに窒息しながら、窒息
2020年3月24日 12:16
相手が誕生日だと知っても、おめでとうとは言わないようにしています。プレゼントも贈らない。誕生会なんて絶対に参加しないし、自分のときはケーキすら買いません。なにもしない。だって人間が、自らの意志で生まれてきたとは、自ら産道を歩いてきたとは、とても思えないから。 私はなぜ生まれてきたのか。親の理由は、いろいろとあるんでしょう。子どもがほしかったか、親になりたかったか、世間の圧力に屈したか、気持ち
2024年7月1日 22:30
中学生の頃に買った少しヒビの入っている百円の透明なシャーペンで いつからあるのか分からない空白だらけの大学ノートにやせた汚い文字を書く芯は何度も折れてカチカチカチカチ空っぽが鳴る内側がすっかり真っ黒なクリーム色のやわらかいふで箱にあったのはHBとFだけもっと大きなBかHがよかったとペンをミシミシいわせながら消しゴムを使わずに書いていく産み落とされることのなか
2024年6月28日 22:30
人が夏を見ているときに自分は春を見ています 人が秋を見ているときに自分は夏を見ています 人が冬を見ているときに自分は秋を見ています 人が春を見ているときに自分は冬を見ています季節の死体を見ています
2024年6月24日 17:30
「なんで産んだの」 従妹が家でそう呟きながら泣いてしまったと、叔母が私の母に相談していたのをこの前見かけた。正確には、仕事から帰ってきたときにリビングで電話しているのを盗み聞いてしまった。 叔母とうちの母はとても仲が良くて、家も近いほうだった。そういうこともあって、従妹が幼い頃からよく遊んでいた。従妹とは結構年齢が離れていて、私は就職してそれなり、従妹のほうは高校一年生。どちらかといえば昔
2024年6月22日 22:30
今日も平気で嘘をついた。顔を覗き込まれても大丈夫だよって笑ってみせた。「平気?」って聞かれたら平気だよってやまびこになった。 にこにこ嘘をついていた。いいなって、何も感じていないのに言った。ほしいって、思ってもいないのに言った。なにあの人って、無感情で同調もした。 嘘はいけないことだってひどく怒られているところを、帰りのショッピングモールで見かけた。小さな子どもで、親らしい人に叱られてい
2024年6月19日 23:45
青くて若い夏の細くて熱い腕に後ろから抱きつかれながら道を歩けばカマキリが胸で口づけするように押しつぶされている 汗のとろりという声はほとんど聞こえず蝉の声だけが響いて淡く揺れる灰色に黄緑がよく映えている あれは自分の成れの果て生誕を否定した自分の 踏みつぶされた言葉となって夏の燃える足元でぎらぎらと濃く溶けていくふらふらとやってきた目玉にじっと見つめられながら
2022年3月29日 23:37
家の前のドブ川に沿うガードレールに腰掛けてポケットに手を入れ持たされなかった鍵を弄びながらも痛みの父母は生であることを幼い頃は思い描けず
2024年6月4日 23:51
切ろうとした。言葉でできたハサミを使って。身体から。この世の地獄を。 だけど切れない。言葉で病は短くできず、老いは削ぎ落とせず、死は切り離せない。ほかのものも。 無理だと呟いた。そうしたら渡された。言葉でできた別のハサミを。刃先をこちらに向けられて。切れと言われた。受け取った。使おうとした。切れない。なまくらだった。 これでも無理だよって言ったら、奪い取られた。できるじゃないかって、
2024年6月15日 21:00
生まれてきてしまった。この「しまった」という隣人から決して逃れられないあなたへ、僕はこの文章を書くつもりです。 命というのは押しつけられたものです。くれと頼んだ覚えも、くださいと懇願した記憶もなければ、自らの意志でここまで歩いてきたわけでもありません。気付けばここにいた。そうして、様々な形で生の肯定を強制されている。僕たちは生きることを賛美しなければならないという現実に突き落とされてしまっ