生まれてきてしまったと感じるあなたへ

 生まれてきてしまった。この「しまった」という隣人から決して逃れられないあなたへ、僕はこの文章を書くつもりです。
 
 命というのは押しつけられたものです。くれと頼んだ覚えも、くださいと懇願した記憶もなければ、自らの意志でここまで歩いてきたわけでもありません。気付けばここにいた。そうして、様々な形で生の肯定を強制されている。僕たちは生きることを賛美しなければならないという現実に突き落とされてしまった。生を始めたのではありません。生を始めさせられたのです。これはただの事実です。僕たちの現実です。現に生まれてきてしまった僕たちに、やり直すことはできない。なかったことにはできません。不可逆性という不条理、その太陽が沈むことはありません。絶えず照らされ、焼かれ続ける。そうして視力を奪われる。
 
 目的を与えられる。意味を与えられる。意義を与えられる。理由を与えられる。けれどそのどれも、「しまった」という隣人の囁きによって否定されるのが僕たちです。たとえば魂という言葉を使ってみたところで、僕たちはそれに寄りかかれない。どんなものであろうと僕たちはそこに安住できない。気付いてしまったからです。どんな美辞麗句で飾られていたとしても、瞬間瞬間、自分というものはあっさりと数字に変わること、変えられること。そもそも求められていたのは自分というものではなく、子どもという概念、観念であるということ。僕たちは生まれてきてしまった。個人の、社会という一つの生命体の幸福、利害のために。
 
 そう、出発点としての僕たちは道具です。権利や尊重、自由や意味等々、そういった言葉の群れがどれだけ輝いて見えても、それは端的な月光の一束に遠く及ばない。先行する光ではないからです。生まれてきたあとにしかそれらの言葉は存在できない。これもただの事実です。幸せになるために生まれてきたんだよと言われてみたところで、自分に言い聞かせてみたところで、そもそも生まれてこなければ幸せになる必要がないという隣人の小さな声を、僕たちは否定できない。誰かを幸せにするために生まれてきたんだよと言われてみたら、じゃあやっぱり私たちは道具なんだねと隣人は微笑む。意味は自分で見つけるもの? 生まれてこなければそんなレース、参加する必要ないのに。そう、全ては競争です。意味も理由も好きも、僕たちは言葉で引かれたライン、そのあいだでみんな駆け、競い合っている。人それぞれと言いながら喰い合っている。自分らしくと言いながら、決められた場所を走って走って走って。振り返り、別の存在の小ささを嗤う。そうして、生誕という儀式を行う。あるいは協力する。
 
「使命があって生まれてきたのなら結局押しつけだよ、そうは思わない?」
「でも役に立てるなら、自分というものを活かせるなら」
「じゃあそこからはみ出た人は?」
「どんな人にだって」
「本当に?」
 
 愛するために、愛されるために生まれてきた。じゃあ、愛されない人は。愛というものを理解できない人は。愛せない人は。人それぞれという言葉なんてそんなもの嘘なんじゃないか、欺瞞なんじゃないかという意識を、僕たちはどこかで持っている。だから全てが嘘に聞こえる。本当にそうなのかと思ってしまう。そして隣人は言います。全ての同意はあとからしかできない。自分が生まれてきたことの肯定はあとづけから逃れられない。それを自由や意味と呼ぶのなら、それら神様は死骸だねと。どんな言葉も、言い聞かせという柵を越えられない。
 
 僕は否定を願っていました。生まれてきて「しまった」なんて、そんなことはないと。けれど今まで見てきた、聞いてきたどんな声にも言葉にも、体を預けられませんでした。僕には隣人の言葉しかなかったんです。隣人の言葉だけが真実に聞こえてしまう。僕は隣人から逃れたかった。地獄のような言葉だからです。絶望と疎外の言葉だからです。孤独にしかなりようのない言葉だからです。
 
 この先僕たちにできることは限られています。そのうちの一つは、隣人を無視して生きていくことです。生誕の肯定という、舗装された道です。別の一つは、隣人の言葉を記して生きていくことです。生誕の否定という、荒れ果てた険しい道です。また別の一つは、全てを忘れて留まることです。周囲にいる言葉の群れと一緒に、言葉でできた街で駆け回ることです。隣人なんていやしないと。
 
 僕はこの文章をどこかにいる似た誰かへ書いているつもりで、本当は過去の自分に書いています。過去の自分はこれを読むことができない。自分で自分に寄り添おうとすることは、常に数歩遅れる。内側からの救済は手遅れという形でしか現れない以上、生誕を否定することは救いたりえない。それなのに、僕はこんなものを書いている。
 
「また言われちゃうね」
「なんて」
「なら死ねよ。なんで生きてるんだよ。暗い。気持ち悪い」
 
 隣人はそう笑います。くすくす優しく。まだまだあるよと。
 
 生まれてくることは素晴らしいこと。それは最初からそう。端的にそう。生誕とは福音。そんなふうに簡単に思えるなら、心の底から同意できるなら、いったいどれほどよかったでしょうか。
 
「本当によかったってそう思うの?」
 
 あぁ僕はいつまでもいつまでもこの声から逃れられないようです。僕は記し続けるほかないようです。
 
 あなたは逃れたいですか。それともこの隣人の声と共に生き続けますか。生き続けられますか。この暗さという光のなかで、溺れることなく泳ぎ続けられますか。まっすぐ。

                               (了)

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