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ノンフィクション形式!バカが勉強しないで東大合格するまで。資格試験にも!~すごい勉強法(1)今まで誰も書かなかった超画期的な学び方

(7月18日注:創作大賞に応募するため、無料化しました!)
無料部分超長めです。
第二章の途中まで、無料で読めます。
あらゆる試験に対応しています。
ストーリーが始まるのは、第一章からです。
なので、第一章から読んでも構いません。

本記事は、Kindle出版を意図して、2022年12月17日に自室にて、書きあげたものです。もちろん、noteの有料記事にするにあたって、訂正した箇所はあります。
あと、現役東大受験生だった、Aさんに聴いて、知識をアップデートしています。
Kindle出版は、若干、敷居が高いので、まずは、note有料記事として世に出し、反応をみることにしました。
有料部分を、引用・要約して、外部に公開するのは、やめてください。(結果として、購入したアナタが損をすることになるでしょう。)
ちなみに、この記事は無料部分も含めて、43878文字もあります。
ただ、目次で、章ごとにジャンプできますから、途中で中断しても、比較的、ラクに読めると思います。
お時間のあるときにでも、購入して読んで、ご自分を向上させ、役立てるとともに、楽しんでいただければ、これほどの幸せはありません。

(有料部分のサンプル)

ここまで文章を読んでもらってきた知り合いに、「結局、地頭がいいから、東大に合格したんじゃないの?」と言われてしまったので、スッキリ、クッキリ、シッカリと、反論しておこう。
実は、ボクとしては、「本書の方法論に再現性がない」と言われるのが、1番イヤなんだよね。
だから、地頭の話をされるのは、「ウムムムムッ?」となる程、不本意なのだ。
本書で1番伝えたいことは、次の3点だ。
(中略)
これら3つは、才能ではなく、後天的に得られるものなので、日頃の心がけで、訓練することができるし、常に訓練すれば、きっとできるようになる。
実は、東大二次試験や、共通テストのように、「知識量」ではなく「思考力」を問うタイプの試験問題は、この3つだけで必ずできるようになる。
というか、この3つはボク的には、必ず必要になる。
(これを読ませたら、さっきの方も、「再現性があるね!」と納得してくれた。)

本書第五章より

はじめに

1.はじめに

「東大に合格したら、どう思いますか?しかも勉強せずに!」

「資格試験に合格したら、どう思いますか?しかも勉強せずに!」

一旦、読むのをやめて、よく考えてみてほしい・・・。

・・・本記事は、実益の書であると同時に、一般読者が読んでも面白いものを、と思って書いた。

だから、本記事は、ボクの自分史を、ストーリー仕立てで書いた(第一章より)。だってストーリーの方が面白いし楽しいでしょ?

ところで、昨今は、入試改革が濫発され、大学受験は混迷の時代に突入していると言わざるを得ない。

ボクが東大に受かったのは、だいぶ昔のことなので、この手の記事を出すのはどうかなぁ?という、ためらいもあった。

しかし、こういう混迷の時代だからこそ、ボクの頃から普遍的に通じる受験勉強法が世に示せるのではないかと、考えたのである。

2.思考力をつける勉強法を学ぼう!

ボクは「思考力を重視する東大入試」に受かるために、徹底的に「思考力」を鍛える勉強法をとった。

今は共通テストの時代になり、一次試験も「知識量」よりも「思考力」を問うてくる内容になった。

だから、「思考力」重視の問題が、東大以外にも段々と広がっていっている。

ボクの勉強法は、まさに「知識量」よりも「思考力」を鍛える方法なので、この今の傾向に、バッチリと対応している。

ボクの方法論は、第五章で詳述するが、十分に再現性のある方法論である。
誰でも、ボクの言う通りに鍛えれば、ボクのように、東大に受かるための「地頭力」を、後天的に向上させることができるのだ。

ちなみに、ボクが本書で書く方法論は、そのまま、資格試験にも対応可能だ。実際、ほぼ全く同じ「思考・マインド」で、ボクは、東大在学中に、旧制度司法試験に合格している。

アナタに、少しでも構わない、少しでも手助けがしたい・・・。
そういう思いで、本書は書かれた。アナタが本書を楽しみながら読み進め、試験合格を勝ち取られることを、切に願う。

プロローグ

1.高2まで劣等生だったボクが、東大文1に受かる「すごい勉強法」!

(1)東大入試に関する噂

本書では、東大に特化した勉強法を語ると同時に、たいした対策も立てずに、ハイレベルと一般に言われている、私立大学にも合格する、すごい勉強法をお教えする。

「東大数学では、ロジックを書かないと0点」
「英文和訳では、直訳だと0点」

・・・など、少なくとも、ボクの東大受験当時では、普通の常識は通用しないという噂だった。
たとえ東大模試では点数がとれたとしても、である。

単なる噂かもしれないが、ボクは、それらが正しいとの仮説を立てて、試験本番にのぞみ、そして合格した。
だから、アナタも、単なる噂とは一蹴しがたいのではないか?、と思っている。

(2)東大文1一極集中だけど・・・

ボクは、バカなので、高2まで劣等生だった。
だから、受験対策は、「東大文1」一本に絞った。つまり、一点集中で突破しようと思ったのだ。

だが、特に何も対策せずに、慶応大学商学部と中央大学法学部にも合格した。
(他に受けたのは、早大政経、慶応経済だけ。さすがに、これらのレベルになると、何も対策しないと受からなかった。)

まあ、東大一極集中の勉強の、「副産物」みたいなものだったのである。

だから、この勉強法は、そのレベルの大学にも、余裕で、合格してしまうほどの、「すごい勉強法」なのだ。
だから「東大なんて・・・」って思っている人にも、ものすごく役に立つと思う。

あと、ボクは、この「すごい勉強法」を使って東大在学中に旧制度司法試験にも合格している。
だから、この「すごい勉強法」は、資格試験にも有効である。

(3)ガリ勉タイプではなかった

ボクは、俗に言う、ガリ勉タイプではなかった。

たとえば、両親から「勉強しろ!」と言われた反発から「絶対に、勉強しないで、東大文1に受かってやる!」と心に誓ったくらいだ。

2.一浪のとき、世界史を捨てて地理へコンバート!

(1)世界史から地理へ

一浪した。さすがに、現役では受からなかった。
実は、世界史が、致命的なレベルのボトルネック(全体の能力・成果に影響する、問題となる要因のこと)だったのだ。

世界史は、東大模試でも、一桁台の点数を量産していた問題科目だった。

そこで、東大不合格後、母校の職員室に行ったのだ。

それは、世界史を捨てて、地理へコンバートするというアイデアに対する、先生方の意見が聴きたかったからだ。

先生方は、こぞって「そんなことが可能なのか?一年以上やってきた世界史を捨てるのか?地理を初めから、勉強するのか?」と否定的な意見ばかりだった。

10人は下らない数の先生に聞いたのだが、皆さん同意見。

しかし、地理の恩師だけは「ぜひ、やりなさい」と言って、なんと、帝国書院の教科書と地図帳を、無料で、プレゼントしてくれたのだった。

(2)実は勝算があった

実は、ボクには勝算があった。
東大の過去問の地理をみたら、特に勉強しなくても、昨年の最後の大問など、答えられた問題があったからだ。
ボクの頃は、あまり知識が要求されなかったんだよね。
常識(と理論)さえあれば、対応可能だったのだ。

※東大のアドミッション・ポリシーの「入学試験の基本方針」には、
「第三に、知識を詰めこむことよりも、持っている知識を関連づけて解を解く能力の高さを重視します。」とある。
 まさに、ボクの持っている「常識」=「持っている知識」を関連づけて解を解く能力の高さが求められていることがわかるだろう。東大は、知識の詰めこみはハッキリと「解を解く能力の高さ」より重視していないと、アドミッションポリシーに書いてあるのである。だから、ボクの方法論は、今の東大入試でも、応用できる考え方なのだ。
この「第三に」以下のところは、別に地理に限らない。「入学試験の基本方針」とあるのだから、全ての科目に通じることなのだ。
ボクの知り合いの今の受験生にも、ボクが口を酸っぱくして、「「暗記」じゃなくて、「考える力」を東大は評価するんだよ!」、と言っているのに、全然聞かないから、ずっと東大模試でE判定の人がいる。
彼と同じ考え方の人は、心を改めてほしいものである。

東大地理は、暗記が超苦手なボクには、ものすごく適性のある科目だったのだ。

(今は、東大は、二次試験でも共通テストでも、社会2科目だ。
しかし、ボクの頃は二次試験だけ2科目だった。
だから、一次試験は現役時と同じ日本史だけだった。
一次試験まで、地理を対策する必要が、なかったのである。)

結果的には、浪人時の夏の東大模試では、地理の成績優秀者リストに名前がのった。

(当時は、科目ごとに、成績優秀者リストが配布されたんだよね。
今の模試では、やってないと今の受験生に聞いて、驚いたけど。
でもまあ、個人情報保護の観点からは、しょうがないよね。)

3.過去問研究と「戦略」を立てること!

まあ、今は、東大地理もだいぶ難しくなっているので、通用しない方法なのかもしれない。

しかし、ここで本当にアナタに伝えたいことは、「受験対策する前に、過去問を研究せよ」「「戦略」を立てよ」という教えなのである。

もし、過去問研究をしていなかったならば、東大地理に適性があることもわからなかったし、そもそも、受験対策前に、過去問研究をしなければ、勉強のゴールがみつからないよね?。

ゴールを知って、自分に足りないものをみつけ、その不足分を埋めるには、どういった勉強法をすべきなのか?という「戦略」を立てることこそが、一番、重要なのだ。

「本番直前の力試しに」と思って、過去問を見るのを、とっておくのは、下の下の下の下策、とても最悪の方法なのだ。

(・・・と言っても、今では受験界では、常識なんだろうが、念の為!)

ただし、入試改革が続いている昨今は、予想問題集系に頼ることも、当然かもしれない。

4.楽しい「お受験の旅」に出かけよう!

繰り返しになるが、ボクの勉強法は、頭のよくないボクが、東大文1に受かるとともに、一般にハイレベルだと言われている私立大学にも、特に対策も立てずに、しかも、勉強せずに合格するという、すごい勉強法なのだ。

皆さん、この勉強法を

「自分なりにアレンジ」

(これが、本書の利用にあたっての「最重要ポイント」!!)

・・・して、絶対に合格を勝ち取ってね。約束だよ!

ボクにとっては、東大受験は、最高にエキサイティングなゲームだった。

楽しみながら勉強することは、イヤイヤ勉強するよりも、記憶に良いというエビデンス(科学的根拠)もある。

だから、アナタもゲームだと思って、楽しく勉強してね!

それでは、皆さんと一緒に、お受験の旅に出かけよう!

第一章 高2最後の春休み

1.東大受験はゲームだ!

(1)ゲーセン少年だったボク

ボクは小学生の頃から、ゲームセンターに通い、主にシューティングゲームばかりやっていた。

中学高校時代は、ゲーセン仲間ができて、週に二回はゲーセンに通った。

ボクの仲間達は、ボクも含めて、皆、シューティングゲームが得意で、ボクらがプレイすると、そのあまりの華麗なプレイに、人垣ができることも、稀ではなかった。

それくらい、ボクの生活にはゲームはなくてはならないものだった。

(2)発想の大転換

そんなボクが、丁度、高2の最後の春休み頃に、思いついたのが、「東大受験はゲームだ!」という、発想の転換だった。

ボクの生活には、先程も書いたように、ゲームはなくてはならないものだった。そのボクが、「東大受験はゲームだ!」と言い切ったのである。

このときから、ボクにとって、東大受験は「単なる遊び」を超えて、「趣味とか至高の楽しみ」に変化したのである。

これは、本当に、発想の大転換だった。だって、「東大に、いかに、勉強しないで合格するか?」なんて、本当に最高にワクワクするゲームではないか!。

(3)ひたすら沈思黙考

ボクは、勉強しないでひたすら沈思黙考した。

まずは、基礎学力をつけねばならない。
ボクのその頃の学校の成績は、下から、3分の1〜4分の1あたりをウロウロしていた。

とてもじゃないが、東大に受かる成績ではない。

特に、ボクは、小学生の頃から「弁護士」になりたかったから、東大文1の一択だったのだ。

今の学力では、到底合格できない。

「なんとかしなければ・・・」

ボクは、ひたすら沈思黙考した。

勉強しないで、「東大に受かる「戦略」」を真剣に考え抜いたのである。

両親は、勉強しないボクに、完全に呆れていて、諦めている。
しかし、ボクは、真剣に、合格のことを考えていたのだ。

この沈思黙考は、受験時代を通して、よくやって、楽しんでいた。

やはり勉強よりも「戦略」、つまり「今の自分に何が足りなくて、それを埋めるにはどうすればいいか?何かウラ技はないか?」、を練る時間の方が、ずっと楽しい。

ボクは、実際に勉強する時間より、この沈思黙考の時間の方が長かったのかもしれないな。

ポイント1 東大受験はゲームだ!最高のエンターテイメントだ!と思うこと。
ポイント2 「戦略」について、ひたすら沈思黙考すること。

2.ある日、新宿三省堂書店に行ってみた

(1)本は人生を変える

そんなある日、なぜか、新宿三省堂書店に足を運んだ。

その頃のボクが、新宿の本屋さんに行くのは、わりと普通のことだったと、記憶している。

そこで、ボクは、ある本と運命的な出会いをするのである。
後にボクは、こう思う。「もしこの本に出会っていなければ、ボクの人生は、どうなっていたのだろうかと・・・」
それくらい、この本との出会いは、運命的な出会いだったのだ。

それは、内容的には「受験参考書を紹介する本」だった。
名前は忘れたし、今はたぶん絶版になっている上、情報が古すぎて使えないだろうから、名前なんて覚えていても意味はないだろう。

しかし、この出会いが、ボクの人生に大いなる光を与えてくれた、まさに「神の降臨」だったのだ!

ポイント3 合格体験記の類は、難しい本ばかり紹介されていることが多いのでオススメしない。
「超」入門書レベルを紹介してくれる本が望ましい。
でもまあ、インターネットが普及した現在、もうこういう本は無いかもしれない。GoogleやYouTubeやAmazonなどを駆使して、特に「超」入門書レベルの本を探して欲しい。
(ボクが少し調べて、気に入ったのが、武田塾。
授業をしない塾で有名だ。
ボクの頃に武田塾があったら、自分で戦略を考える大きな助けになっただろう。
ここの出しているアプリ「ルートタケダ」や、サイト「逆転合格.com」で、参考書を調べるのも手だと思った。
ただ、武田塾自体は値段が高いらしいので、実際に行くのならば、お金と相談になるよね?)

(2)立ち読みの鬼になる

ボクは、この本を書棚から取り出し、とにかく、紹介されている本を探しては、片っ端から読みあさった。
自分にあう本か、自分が本当に読みたい本か、吟味するために、しっかり時間をかけて調べた。

もう本当に、時間を忘れ、本当に何時間も、本屋で立ち読みしまくったのである。

その日は、ボクにとって「大いなる日・神が降臨した日」だった。

だって、その後の人生を、たった1日で、天地がひっくり返るくらいに、めちゃくちゃ大きく、変えたんだよ?

ポイント4 受験参考書は、安易に決めてはだめだ。十分に、実際に読んで、調べて、自分にあう珠玉の何冊かを探そう。
読まないでのネット注文は、地方在住者以外は絶対にやめよう。

実はその頃にはもう、東大過去問で、青本に載っているものは、全ての年代のものを、わからないなりに、家庭教師と一緒に見ていた。

(ボクは、過去問集は、赤本よりも、青本派だった。だって、天下の駿台だけに、解答例のクオリティが赤本よりずっと高いんだもん。
ただ、今の赤本には、27年分入っているものもあるし、昔よりは解答例のクオリティが高いらしいので、ボクが今の受験生だったら赤本かな?でも、青本も25年分の出してるしな・・・)

だから、自分に足りないものは、わかっていたつもりだ。

ポイント5 赤本・青本は、全てを始める前に、わからないなりに研究すべし。

だから、自分に足りないものを、ゴール(入試問題)から、逆算して、自分に必要な本を探せた。

特に、「超」入門書レベルの参考書は、すごかった。

ハイレベルな大学を目指す人は、変なプライドをもって、「超」入門書レベルの参考書をバカにして読まない傾向があるかもしれないが、そんなプライドは捨ててしまえ!。

何事も、土台がしっかりしていないと、その上に何を建ててもダメ。
高いビルを建てようとしたら、思いっきり倒れてしまう・・・。

ポイント6 ゴール(入試問題)から逆算して、スタートを決める(自分に必要な本を探す)・・・ボクは、これを「帰納的勉強法」と呼んでいる。
ポイント7 ハイレベルな大学を目指す人ほど、軽視しがちだが、「超」入門書レベルの参考書を改めて読んでほしい。
変なプライドは捨てること。

そして、ボクは、選んだ珠玉の参考書たちを、ドサッとレジに置き、会計を済ませて、帰宅したのである。
(もうだいぶ、夜遅かったのではないか?)

3. 二週間、自室にこもる

(1)「勉強じゃない」勉強をする!

その翌日から、ボクは、買ってきた参考書を片っ端から読んでいった。

自室に二週間こもって、風呂にも入らなかった。
食事とトイレ、そして睡眠のとき以外は、ずーっと勉強だ。

確かに勉強だ。しかし、自分では、勉強とは、なぜか、感じなかった。
自分が心から読みたい本を買ってきて、読んでいるだけなのだ。
これは、全然勉強じゃない。
楽しい。

心理学者ミハイ・チクセントミハイのいう「フロー状態」(わかりやすく言えば「没頭する」みたいなこと)に完全に入りきっていた。

だから、効率がとても良かったのだろうか?と後から思えば、考えることもできる。

ポイント7 自分が心から読みたい本を読んでいるときは、フロー状態に入り、効率がとてもアップする。
ポイント8 「勉強しないで合格する」といっても、やはり、最低限の勉強は、必要だ。
・・・といっても、ボクにとっては、それは、勉強ではなかったんだが・・・。

(2)全ての科目を国語で解く!

特に、この二週間で思いついた「戦略」・・・ボクにとっては、大きなブレイクスルー(障壁を突破する)になるのだが、それは「全ての科目を国語で解く!」というものだった。

ボクの選んだ英語の「超」入門書に、「受験英語は日本語で解け」という考え方を示唆するものがあったのが、きっかけなのだが。

その後、ボクは、大幅に全ての科目をかなりレベルアップすることに成功するのだが、その大前提となるのが、この「全ての科目を国語で解く!」という「戦略」だったのだ。

ボクは、剣道部に入っていたが、図書部にも入っていて、中学生の頃から、週に一回は、図書館に入りびたって、日本の本や、右ページにに漢文、左ページに和訳みたいな、中国の思想書や、歴史書を主に読んでいた。
昼休みも主に図書館だった。
だから、国語は得意だった。

※東大のアドミッション・ポリシーの「高等学校までの学習で身につけてほしいこと」の【国語】のところに、
「(中略)出題に当たっては、基本的な知識の習得は要求するものの、それは高等学校までの教育課程の範囲を出るものではなく、むしろ、それ以上に、自らの体験に基づいた主体的な国語の運用能力を重視します。」とある
そうなんだよ。「自らの体験」が重視されている。たぶん、日頃「読書」していない者は、東大の国語に太刀打ちできないのだ。だから、ボクが図書館が好きだったことは、東大の求める今の学生像にも、マッチしていたのである。(追記)当時の家庭教師に、勝負できる科目は2つぐらい持っておけと言われていた。要するに、模試の成績優秀者リストに、常にランクインする科目を、2つぐらい持っておけ、ということである。今は、成績優秀者リストは配布されなくなったと聞くが、「たとえ」としてわかりやすいと思って、あえて書かしてもらった。

当時のボクは、西洋かぶれなやつに対する反発心から、日本や、東洋の本を重視して読んでいた。
(まあ、今は、西洋の本も、もっと読んでいれば良かった、と後悔してるけど・・・)

だから、国語はできても、英語はダメ、みたいな傾向があった。

あと、数学なんだが、実は現代文と、モロ親和性があることも発見した。つまり、ロジックという点である。

というわけで、全ての科目を国語で解くという戦略で、「なーんだ!全部の教科、国語じゃん!」ってなって、だいぶ思考が単純化できた。

何度も言うが、これが、ボクにとっては、本当にブレイクスルーになったのだった。

ポイント9 主に読書家で、国語が得意な人、限定だが「全ての科目を国語で解く」という戦略をとれ。

こうして、怒涛の二週間が終わったのだった。

この二週間は、「奇跡の二週間」として、今も、ボクの自分史の中に、大きく刻みこまれている。

第二章 高3の生活

1.ボクは、母校入試でも、「裏ワザ」を使った

(1)中学入試

ボクの母校は、中高一貫の進学校だった。

だからといって、小学生時代に、後に東大文1に受かるほど、頭が良かった、というわけではない。

なぜなら、母校受験時に、「裏ワザ」を使ったからである。

ボクは算数が苦手すぎた。
それを見かねた父が、ボクに、xとyを使った簡単な方程式を教えてくれたのだ。

ただ、算数、というだけあって、算数という科目を方程式で解くのは、もはや算数じゃないよね?、ってことで、算数が0点になる危険性もあった。

しかし、ボクの学力では、あまりに合格が難しい難関校だったために、「ダメで元々!」という考えで、受験本番の算数を、方程式で解いた。

この年の母校の算数の入学試験問題は、特に難しい問題だったと記憶している。
しかし、それは、算数で解いたときの話だ。

方程式なら、スラスラと解けてしまうわけで、面白いように解ける!
たぶん、全問正解したと思う。

そして、フタを開けてみれば、みごとに合格していた。もし、算数が0点だったら、合格するわけがないから、たぶん、方程式で算数を満点とれたのだろう・・・。

(2)完全に落ちこぼれた・・・

でも、悲しいかな、ボクの快進撃はここまでで、中1のときには、そこまでヒドくはなかったが、中2のときの実力テストでは、最後から25人目という最悪の成績をとってしまう。

中3のときの実力テストでは、英語さえ平均点ならば、成績優秀者50人の中に入れたのに、英語が全くダメダメだったために、100位以下。

まあ、この中3のときがピークで、その後は、本当に落ちこぼれた。
いわゆる中高一貫校特有の「中だるみ」というやつである。

特に英語は、本当に、全く授業についていけなかった。

あと、ボクの母校では、数学は、途中から、下位クラスと上位クラスに分けられる(記憶があやふやだが、高1か高2までは)。

ボクは当然、母校にいる間ずーっと、下位クラスだったのだった。

下位クラス組は、教室から、だいぶ遠い別教室へと移動した。本当に屈辱だったよ・・・。

というわけで、本当に勉強がきらいだったし、頭もよくなかったのである。
特に、記憶力があまりにもなかったので、自慢できるくらいだった。

歳をとった今のほうが、脳の記憶メカニズムや記憶術などを学んだおかげで、記憶力があるくらいだ。

ただ、論理力だけは結構、適性があったみたいだから、不勉強からくる、少ない知識でも、赤点だけは免れていた。それだけだった。

2.高3春の実力テストでいきなり100人以上ごぼう抜き!

さて、そんなボクが、高2最後の「奇跡の二週間」でどうなったか?

ボクの母校は、中高一貫なのを活かして、中1のときに、通常の中1と中2の授業を全部終わらせてしまうので、高2終了時で、全ての科目を学び終える。

そして、高3から、特別な受験対策期間となる。
そのために、ボクの母校は、春の最初に、実力テストを行った。

結果は・・・

・・・

なんと、「文系で10位」だった!!おおー!!

なんということだ!?

いきなり100人以上ごぼう抜き!一気に東大文1が近くなった!

なんか、劣等生からいきなり成績超優秀者になってしまったので、頭がクラクラしたくらいだった。
なんか、世界が変わったというか・・・。
友達がボクを見る目も、だいぶ変わった。

あれだけダメダメだった英語が、かなり成績良くて、中学時代に英語を担当して、高3のときに再度、英語を担当した教師が、みんなの前で、目を丸くして、

「☓☓君って、こんなに英語の成績良かったっけ?!」

みたいに、目を白黒させていたのを思いだす。

フフッ、笑える(笑)

3.「奇跡の二週間」の振り返り

(1)なぜ、成功したのか?

しかし、たったの「奇跡の二週間」だけで、なんで、こんなに成果がでたのか?

色々と、分析してみたが、自分でもよくわかっていない。

人間には、失敗したときには、理由がすぐにわかるのに、成功したときには、理由がわからないことがよくある。

このときのボクがまさにそうで、ちょっと、あの二週間のときの感覚は、言語化しづらいものがあるのだ。
とにかく、あまりにも奇跡的に成功し過ぎたからである。

でもまあ、それでは、身も蓋もなく、アナタにとって再現性に乏しいので、あえて分析してみた。少しでも参考になれば、幸いである。

①まず、フロー状態に入っていた。
フロー状態に入ると、時間が止まっているように感じる。
だから、長時間学んでいても、苦ではなかった。

②「好奇心」を持って学んでいた。
「この本は面白い!納得できる!次のページが読みたい!」などと思って、学んでいた。

③これも、とても重要なんだが、「理解」しながら学んでいた。
この「理解」して学ぶ、というのは、ボクが特に重視していたところである。

そこで出てくるのが、ボクの作った言葉なんだが、「なぜなに思考」だ。
「なぜ?なに?」と思いながら、理由を深掘りしていくのである。結果的には、理由を腑に落ちるまで、突き詰めていた。
だから、「理解」できたのだ。

ボクの買ってきた参考書は、どれも、理由が腑に落ちるまで、突き詰めて書いていた。
そりゃそうだ。ボクは、そういう参考書を選んで買ってきたのだ。

④これも「理解」すること、に通じるものなのだが、「要するに」でまとめていた。

「これは、要するにこういうことだよね?」って知識を圧縮して、アウトプットしつつ、インプットしていた。
つまり、たとえば、Zipとかでファイルの容量を圧縮をするみたいに。

ボクはこれを「単純化」と呼んでいる。

⑤「超」入門書は、全く前知識のない人が読むと、なぜ大事かわからずに、面白くないものだったかもしれない。

ただ、できないながらも、授業にはちゃんと出て、赤点は取らなかったボクは、高2の最終段階で、だいぶ、知識の洪水に飲まれていた。(母校が進学校だったせいもあっただろう。)

だからこそ、「超」入門書を読んだとき、「ああ、あのとき学校の先生は、こういうことを言いたかったんだな!!」とだいぶ腑に落ちたのである。

(2)覚えるのではなく「理解」せよ

・・・うーん、これで、アナタに通じるのかなぁ?
あんまり自信がないが、まあ、要するに、言語化しづらいのである・・・。

まあ、敢えて言うなら、「なぜなに思考」が、一番重要かな?

西岡壱誠「東大独学」でも、「インプットとアウトプットの間に、もう一段階、別のフェーズがある(中略)そのフェーズのことを僕は、「クエスチョンのフェーズ」と呼んでいます」と書いてある。

ボクの言葉でいえば、インプットとアウトプットの間に、もう一段階、「なぜなに思考」を入れようよ!みたいなことなのだ。

ボクにとっては、この「なぜなに思考」は、子供の頃から、当然にできたことなので、みんなできると思ってたんだよね。
でも、できない人もいることを、後で知ることになる。

そういう人は、かなり意識して、何度も「なぜなに思考」を使って、訓練しないとダメなんだろうね・・・。

また、これも大事だと思っているのが、「単純化」である。
「要するに」で、複雑なものを、できる限り「単純化」するのだ。

これも、なかなかできない人がいると思う。
「なぜなに思考」「単純化」は、普段の勉強のなかで、意識して訓練しよう。
いつか、絶対にできるようになるから。

ポイント10 覚えるのではなく「理解」することが大事。
「要するに」で、人に説明できるまで!
(ただし、自分で納得するだけなら、もっと極端な自分なりの超単純化でもかまわない。
たとえば、覚えるべき三つセットの単語があったら、その頭文字だけとって、ゴロ合わせで覚える、とかでもいいし・・・。)
ポイント11 「なぜなに思考」と「単純化」で合格を勝ち取ろう!

4.でもその後は、あんましパッとしなかった

ボクの母校は、高3の第二学期から、出席欠席は完全自由となる。
もともと、一部の例外科目を除いて、母校の授業に面白みを感じていなかったボクは、全部欠席した。
全部欠席したのは、ボクの他にもう一人だけだったらしいけれど・・・。

ボクは、家で、特にペースメーカーもなく、ダラダラと過ごしてしまう。
週一回ずつ、河合塾の英語の授業に行くのと、家庭教師が来るぐらいか?
あの、「奇跡の二週間」はどこへやら?という感じになってしまう。

久しぶりに会った友達に、「春のときのお前は尊敬するけど、今のお前は尊敬できない」などと言われてしまうくらいにパッとしなかった。

ポイント12 毎日に近いペースメーカーになるものを作れ。
週1くらいのペースメーカーでは、足りない。

なんか、勉強する気が起きなかったんだよねー。

東大模試も、いまいちな結果。
特に世界史は、壊滅的だった(一桁台の点数量産)。
文1合格に必要な点数に、総合点で数十点及ばず、模試は終了。

現役生は、それから伸びると言われるが、こんなにダラダラしていたら、伸びるわけもない。

ポイント13 「燃え尽き症候群(バーンアウト)」みたいなものには、ご注意を。対策法は、ググれば出てくるよ。

第三章 現役受験時

1.センター試験

(1)今は共通テストの時代だが・・・

もう、今は、センター試験の時代は終わって、共通テストの時代になってしまったが、ボクの頃は、やっぱり、一次試験は、センター試験だった。

センター試験は、東大駒場キャンパスだった。憧れの東大!そこの教室に初めて入るのは、結構テンション上がったよ・・・。

成績は、あまりパッとしなかった。
当時の東大入試(二次試験)は、最近のやつとは大きく異なる内容の、後期試験があって、日本語と英語の各小論文だけで、受かってしまうという、なんだかなー、な試験だった。

しかし、後期試験の足切り点数は宇宙人レベルに高かったので、それは、ムリかも?って点数だった。

ただ、前期試験(通常の試験)の足切りラインは、余裕で超すレベル。

ただ、センター試験の点数の、二次試験での点数加算の際に、少しだけ足を引っ張る感じの点数だった。

まあ、ボクの学力も、東大文1(前期だけど)は、余裕で足切りされないくらいには、なっていた。

勉強ができない人は、この時点で、スゴイと思うんだろうけど・・・。

でもさー、「奇跡の二週間」で思いっきり底上げして、その後、ダラダラしちゃったけど、ボクにはその程度の学力はついていた。

それぐらい、「奇跡の二週間」は凄かったし、その影響が続いていたため、その程度には、至っていたわけだ。

あと、この際だから、超重要なことを書いておくね。この点だけは、アナタに、しっかりと、押さえておいて欲しいのだが、

「ボクは、勉強を勉強と思わないくらいの、気が向いたときだけ勉強する」

・・・のだった。そのため、

「勉強したとはボク自身は思っていない」

・・・のである。これは、受験時代を貫く、ボクの「一番の思考・行動原理」なのであって、だからこそ、

「いかに勉強しないで、東大に受かるか?」

・・・という、ゲームが成り立つわけだ。そこだけは、しっかりアナタに理解して欲しい・・・。詳しくは、第五章で解説する。

(まあ、要するに、勉強が難行苦行になってはいけない!ということなのかな?とか自問してみる。)

(2)ときには妥協も必要

話をセンター試験に戻そう。

数学は、なんとか満点だったな。
東大受験するレベルになると、数学は満点とらなきゃ、って感じだったから、ここだけは死守した感じだよー。

ボクは、浪人時代も同じ方法で、満点を取ったが、その方法を伝授しよう。
(今の「共通テスト」は難しいらしいから通用しないと思うけど・・・。まあ、参考までに。)

その方法は、半分の時間で解いて、残り半分の時間で、検算しまくる、という方法だ。

ボクは、計算間違いがとても多い人間だったので、一回目の計算が、全くあてにならなかった。

センター試験の数学は、たとえば、序盤で、計算をミスると、その後がいもづる式に、間違えるという構造になっている。
だから、特に、検算をする必要があったのだ。

半分の時間で解くなんて、そんな無茶な・・・、って思うかもしれない。
それはそうだ。
勉強のできない人は、ここで、この本を読むのをやめるかもしれない。

しかし、ちょっと待ってほしい。
まあさ、計算ミスが少ない人は、別に、半分の時間で解くなんて必要はない。
それに、何も東大文1レベルを目指さないんだったら、満点を取らなくてもいいじゃん。

単に、妥協して、志望校のレベルを下げればいいだけだ。
現役生なら浪人を覚悟してもいいし・・・。

ポイント14 少し調べたんだが、「大学受験 合格る計算」という本が、今はあることを知った。
もしかしたら、これをやれば計算ミスがなくなって、検算する必要がなくなるかも?、みたいな仮説を立ててみた。
ポイント15 この時期の自分の実力判断については、冷徹に行え。
実力が足りなければ、志望校を変えるなり、浪人を覚悟するなり、何らかの妥協をせよ。

それに、ボクは、もともと、一浪くらいはする覚悟だった。

高2まで劣等生だったから、そもそも、現役で、東大文1に受かるとは、受験本番時の自己評価の結果、本気では思っていなかったのである。

東大模試もイマイチな点数だったし、気が向いたときだけの、勉強とは自分では思わない勉強を、「奇跡の二週間」以降は、ダラダラと続けていた自分自身をそのとき振り返って、「ああ、現役ではムリかもな・・・」って諦めていたのである。

浪人中の一年間で挽回すればいいじゃない。浪人すれば、スゴイ予備校講師陣の授業も受けられるわけだしね。

あとさ、プロローグでも書いたが、浪人時に、世界史から地理へのコンバートをする、というアイデアも、もうこの頃には、すでにあったのだ。

浪人の一年があれば、東大の地理は、間に合うんじゃないか?と思っていた。
まあ、一浪時の夏の東大模試で、地理がいきなり、富士山大噴火級の成果をたたきだすことになるとは、さすがに思ってなかったけれどさ。

ポイント16 受験本番時に実力がついていなければ、一浪くらいは覚悟すべし。
ただし、一浪までだ。二浪以上は基本的にやめておけ。
就活時の企業面接とかでも、二浪以上は東大法学部卒とは、みなされなかったという噂を聞いたことがある。それに、一浪で受からないんじゃ、根本的なボトルネックが、どこかにあるかもしれない。

こういうところだけは、変にリアリストなんだよねー。
結局、東大二次後期試験にも、足切り覚悟で、願書を出してしまうんだから、ロマンチストな側面も、あるわけなんだけどさ・・・。

2.私大受験

(1)早大政経しか受けなかった

ボクは、東大文1しか考えてなかった。しかも、一浪覚悟。
変に、保険をかけて、滑り止めのために、私大を受験する必要性も乏しかった。

だから、私大受験は、早大政経学部一本しか受けなかった。

浪人時も、意地で、早大政経を受けるんだけど、全くと言っていいほど、早大政経には、適性がないボクだった。

数学が超得意な人は、結構楽勝なんだろうけれど、ボクは、数学ではなく、日本史を選択した。
しかし、ボクの超苦手な暗記を重視する早大日本史には、全く歯が立たなかった。本当にちんぷんかんぷん。

つまり、適性がないのがわかっているのに、玉砕覚悟で、早大政経を受けてみたのである。

ちなみに、浪人時代は、早大は、政経一本だったのに、慶応は、経済とともに、商学部も受けている。
結果は、経済はダメ、商学部は合格。

本当に早稲田大学に行きたかったんだったら、政経学部だけでなく、もっとランクの低い学部も、受けるべきではなかったか?

それは、早稲田大学に対して、あまりいいイメージを持っていなかったためだろう・・・。

「学生一流、教授三流」とか、学生が多すぎて、初めは、教室に生徒が入り切らないとか、嫌な情報が、入ってきていたからである。

(2)なんで早大政経なんて受けたんだろ?

あと、早大入試は、暗記重視というイメージがあり、本気で受かるつもりは、初めっからなかったのである。

もしかしたら、政経よりランクの低い学部だったら、受かったかもしれない。

しかし、ボクは「早大は暗記重視」というのにビビってしまって、結局ダメ元で政経学部だけは受けるということになるのである。

受かるわけないんだけど、「受かれば儲けもの」とばかりに受けたんだよなぁ。

というか、変にプライドがあったのかもしれない。
東大文1を受けるのに、私大は、トップクラスを受けないのか?という変なプライドが。

あとは、精神的な、マゾヒストな面が出たのか?
早大政経に打ちのめされることに、快感を覚えていたのかも?

または、早大政経で、打ちのめされることで、その後の東大入試に気合が入る効果を狙ったのかも?

今考えたら、早大政経なんて、なーんで受けたんだろうね?
受験料だけムダに取られるだけなのがわかっているのに・・・。
本当に不思議だ・・・。

しかし、とりあえず、「受験本番の緊張感を体験する場」として活用できたことだけは、事実だ。

ポイント17 もし東大一筋なのだったら、私大受験は、特に何も対策しないで、「受験本番の緊張感を、体験する場」として活用すれば、いいんじゃない?
現役生の場合は特に・・・。
(浪人生だったら、後がないから、無対策は結構スリルあるけど(笑)。
だって、全ての大学に落ちたら、「終わり」だからさ。)

3.東大文1二次試験

(1)本郷キャンパス

東大二次試験は、本郷キャンパス。
本郷キャンパスの教室に入るのも初めてなので、やっぱり、テンションが上がる。

実は、ボクは、本番受験前に、受験会場となる大学へ、全て足を運んでいる。
現役時代と浪人時代の両方だ。

その後、資格試験を受験するときも、ずっとそうしてきた。

要するに、受験会場の「下見」である。
やはり、受験本番前に、会場となる大学の雰囲気を肌に感じることが、本番の雰囲気に飲まれないために、必要だからだ。

さすがに、「下見」の段階で、教室に入ることまでは、ビビってできなかったが。

ポイント18 受験本番前は、受験会場となる大学を、「下見」に行くこと。

やはり、駒場キャンパスよりも、本郷キャンパスは、まさに「日本最高の大学」といった趣で、駒場キャンパスよりも、「品格」というか、独特のオーラや歴史感といった趣があった。

東大赤門や、安田講堂など、日本人ならば、誰でも知っているであろう歴史的名所の数々の存在・・・。
そういった雰囲気に飲まれないようにするのが、精一杯という感じだった。

(2)受験本番

さて、受験本番の話に戻ろう。

やはり、受験本番は、要するに、ニセモノの、東大模試とはわけがちがった。「パターンをはずしてくるな!?」というのが、実感だった。

基本的には過去問と同じ形式に見えるが、パターンを外してきて、見たこともないような問題で攻めてくる。
わけがわからない。対応不能だ。

この傾向は、特に数学で見られた。

ポイント19 東大二次試験本番は、とにかく、パターンを外してくる。
底の浅い丸暗記では、全く歯が立たない。

パターンをはずされて、とにかく、実地で、考えることを要求してくる。

東大二次試験は、考える力を問うてくる試験というのはわかっていたつもりだった。

考えることや、ロジックは、鍛えてきたつもりだった。

しかし、完全にパニックになっていて、冷静に思考できない。

それでも、やる前から諦めずに、試行錯誤の鬼となるのが、必要だった。
なのに、それができない。何をしたらいいのかすら、わからないのだ!?

ポイント20 東大二次試験本番は、とにかく、実地で考えることを要求してくる。
パニックにならずに、冷静にならないと、合格は遠い。
ポイント21 東大二次試験本番は、とにかく、やる前から諦めずに、思考錯誤の鬼となれ。

ワケがわからないうちに、怒涛の試験二日間がおわった。手応えは、「惨敗」である。

(3)東大二次試験の分析

後で、思ったんだが、この「パターン外し」による「ワケのわからなさ」なんだが、受験生は皆同じ土俵なので、皆同じ条件であるはず。

だから、東大模試よりも、相当低い点数での争いになるだろう、と思った。

実際そうなっているという噂(確か、駿台の予備校講師が言っていたかな?)を、浪人時代に聞くことになるのだが。

そうなってくると、完全解にこだわらずに、「部分点」を拾うことも、問題によっては、とても大事になってくるだろうと思った。

(最近は、ボクの頃にはなかった得点開示があるし、それを分析したサイトもあるから、良い時代になったものだと、つくづく思う。

サイトで見てみたけれど、大体の傾向としては、本番での最低点と、東大模試で言われている合格最低点とで、そこまで違いはなかった。それはなぜか?

それには、受験生の声が参考になる。

特に数学で、「結構、部分点がもらえるのね」って人が多い傾向だったのだ。

だから、仮説としては、「東大模試よりは、レベルの低い戦いになるものの、本番は東大模試よりも、部分点が加算されるので、結果として、合格最低点が同じくらいになる」ということではないか?)

ポイント21 東大二次試験本番は、相当低いレベルでの争いになるだろう。
だから、問題によっては、「部分点」を拾うことも、とても大事になってくるのだ。

何につけても、ボクは、実際に体験しないと、学ばない人間なのかもしれない。

こうして、多くの発見や学びや知見などを得て、現役時代の東大二次試験は終わった。

「東大二次試験本番は、やっぱり格が違うな・・・」というのが、率直な印象だった。

まあ、合格発表には一応行ったけど、やはり無駄足だった。

そして、東大二次後期試験足切りの手紙が届く。
ボクの現役時代の大学受験は、どこにも受かることなく、静かに幕を閉じたのだった・・・。

第四章 高3最後の春休み

1.大手3予備校からのプレゼント

(1)もらっちゃっていいの?

ボクが高3最後の春休み(まあ、厳密に言えば、高校卒業前後の期間なんだけど)になったころ、大手3予備校(代ゼミ・河合塾・駿台)からダイレクトメールが来て、あるプレゼントをもらった。

それは、代ゼミと河合塾は、一年間、学費が無料になること、駿台は、学費がディスカウントされること、だった。

当時は、そんなこともされていたのだ。
ボクにとっては、前情報が無かったので、これには、ちょっと驚いた。

結局、代ゼミは、入学の登録だけして、駿台にディスカウントされた金額を払い、駿台メインで行くという方針にした。

(2)代ゼミの無料はかなり嬉しかった

代ゼミの無料は、かなり嬉しかった。
なぜなら、当時の駿台の地理は授業がダメで、代ゼミの先生がめちゃくちゃいいということを知っていたからだ。

プロローグでも書いた通り、ボクは、世界史を捨てて、地理へコンバートするのだが、そうなると、予備校の授業が大事になるよね?

だから、もし、代ゼミが無料じゃなくても、代ゼミの地理だけは、お金を払ってでも講義を受けようと思っていた。

このプレゼントをもらった、ボクの母校の浪人決定組の中には、親に迷惑をかけるのがイヤだから、という理由で、河合塾をメインにする人も、少数派ながら結構いたことを記憶している。

でもボクは、駿台をメインにした。
やはり、他と違って、ディスカウントだけ、という高飛車な態度をとってくるだけあり、当時、東大に一番近かったのが、圧倒的に駿台だったからだ。

いまでこそ、現役合格をうたう予備校が多いんだけれども、当時、そういう勢力は、まだまだ弱小だった。

当時の大手3予備校の本音は「みんな浪人になって、ウチに来て、お金払ってね!」って感じだったから、現役生用のコースは手を抜かれてて、そちらよりも、浪人生用のコースのほうが、めちゃくちゃ力が入れられていた時代だった。

それは、皆の暗黙の了解事項だったのだ。

だから、ボクは、浪人になれば、スゴイ予備校講師の授業が受けられるよね?って、さっきも書いたのだった。

2.地理対策

(1)また、本で人生が変わる

とりあえず、「なんとか一年で、皆に追いつかなければならない」、という地理の対策は、この頃から、すでに始まっていた。

地理は、要素を大きく分けると、ざっくり言って、「理論」と「データ」になる。

丸暗記が苦手なボクにとっては、「データ」をインプットする前に、「理論」を頭に入れておく必要があった。

なぜなら、理論さえあれば、膨大なデータも、なぜそういうデータになるのかがわかり、「なぜなに思考」と「単純化」で、丸暗記せずに、「理解」することができるからだ。

ポイント22 地理においては、まず、「理論」と「データ」の二分法が成り立つ。まずは、理論を学べ!データ記憶が丸暗記にならないからだ。覚えるより理解せよ。

先に理論を理解すると、データも丸暗記せずに「理解」することが可能になるのだ。覚えるのではなく理解することが何よりも大事なのである。

とりあえず、地理の「理論」を理解しなければならない。ボクは本屋に行って、ボクにあう参考書を探した。

そしたら、一冊の本との、またもや奇跡的な出会いがあったのだった。

その本は、河合塾の天才講師と言われながらも、若くして亡くなった、ある講師の残した、講義録だった。

この本は、まさに、理論だけで一冊書かれたような本だったので、まさにボクの探し求めるもの、そのものだった。

とりあえず、第一学期より前のこの時期に、この講義録を読んでみた。

とても素晴らしいデキで、「この本と出会わなかったら、どうなっていたことか・・・?」という感じだった。

この講義録は、そのときは、集中して繰り返し読んだ。
そのあとも、理論があやふやになりかけたときに、何度も浪人時代に読んだ。
今でも、たまーに読みたくなるほどの名著だった。

ポイント23 良書との出会いは人生を変える。

(2)集中学習と分散学習

あと、今は、エビデンス的には、集中して繰り返す「集中学習」と、忘れた頃に復習する「分散学習」とがあり、分散学習のほうが、良いとされている。

しかし、ボクは、基本的に、上記のような集中学習で成果を出してきた。それはなぜか?

たぶん、「集中学習を分散学習していた」からではないか?と今では思っている。
要するに、集中学習をしたあと、忘れた頃に、もう一度、集中学習をするのだ。

ポイント24 ボクは「集中学習を分散学習していた」から、集中学習でも成果が出たのかも。結構今でもたまにやってるよ。

恩師から頂いた、帝国書院の教科書も読んでみた。
当時は、他の教科書よりも、帝国書院のほうが圧倒的にクオリティーが高かったみたいだった。今は知らないけど・・・。

あと、帝国書院の地図帳は、よく読んで、楽しんでいた。

これをプレゼントしてくれた、恩師に感謝しつつ・・・。

第五章 浪人時代の第一学期

1.さあ、予備校が始まった!

さて、第一学期になって、予備校が始まった。

まずは、駿台だ。
ボクは、第一学期の授業は、試しに全部出続けようという方針だった。
ただし、地理だけは例外で、数回出ただけで、もう見限ったけど。

次に、代ゼミだ。一回目の講義だけ一通り出てみたけれど、すぐに見限った。
ただ、地理の先生だけは、「やっぱり、評判通り、この先生で大丈夫そうだ!」という確信を得たので、代ゼミは、地理だけは出続けることになる。

駿台の講義は、確かに、当時、一番東大に近かった予備校だけあって、とても素晴らしい授業ばかりだった。
「まさに神!」レベルの素晴らしい授業もあったよ・・・。ボクの知的好奇心は十二分に、満たされたのだった・・・。

代ゼミの地理も、本当に先生と相性が良くて、まさにボクは、水を得た魚のよう。
どんどん、知識を吸収していけた。やはり、あの河合塾の天才講師の残した講義録を、やっておいてよかった。
なぜなら、結構データの量が多かったからだ。

たとえば、これは後の話になるが、第二学期だったっけ?
なんか、近くにいた女子集団が、話しているのが聴こえたんだけど、「この先生の授業は、データが多すぎて、ついていけないよぉ・・・」と、一人の女の子が愚痴をこぼしていた。

「え?そんな風に捉えている人もいるのか?」とだいぶビックリした。
ボクにとっては、その先生の語るデータが、すいすい頭に入ってきていたからだ。

やはり、地理において「理論」は大事だということと、自分の適性を知っておいて、科目や授業や参考書の類を選択することの重要性を再認識させられた。

ポイント25 やっぱり、自分の適性を知った上で、科目や授業や参考書の類を選択することが、重要だ。

他に社会科目といえば、日本史である。
日本史も、ボクが東大対策に使っていた、分厚い参考書を書いた著者自身の講義が、駿台で受けられたので、相乗効果で良い感じだった。
ぐんぐん力が付いたかといえば疑問なのだけど、まあ、良い感じ。

この第一学期の頃かは忘れたけれど、駿台の全国模試で、全国で国語2位の点数をとったのは、嬉しかった。
やはり、国語は、ボクを裏切らないのだった。

古文は、現役時代にメインで使っていた問題集を書いた講師の授業も聴けた。
やはり、著者の授業を生で受けると、全然違うわけで・・・。
問題集と講義との相乗効果で、ぐんぐん古文の力が付いていった。

古文は、この先生でイケると思った。
(日本史と違うのは、古文のほうが適性があったからだろう。)

ポイント26 自分の使っている参考書や問題集の著者の授業を受けると、相乗効果を生む。

漢文は、ボクの母校の先生が優秀過ぎたために、駿台の先生は見劣りがして、イマイチな印象だった。

ボクの母校の先生は、参考書も出版するほどの、超実力のある先生だった。
その先生の書いた薄っぺらい参考書の知識だけあれば、ほとんど、東大漢文でさえ、対応可能だった。
だから、駿台の漢文の先生は、あまり要らなかったんだけど、まあ、第一学期だけは出続けた。

現代文は、なぜか代ゼミの東大コースの先生ではなかったんだが、代ゼミのある先生が書いた、当時の定番の問題集シリーズをメインで使っていた。

しかし、駿台の授業も、他流試合みたいで、なんだか楽しかった。
一人、めちゃめちゃ面白い先生がいて、スゴく気に入ってたのを思い出す。

数学は、つまらなかったな・・・。
なんか、解法を丸暗記しろ、みたいな指導をする先生が担当だったので、あまり面白くなかった。
もっと理系的な教え方をする先生のほうがあっているような気がした。
まあ、第一学期は、出続けたけど。

英語は、だいぶ充実していたなぁ・・・。だけど、あんまり、今は記憶がなくなっているので、もしかしたら、ボクには合わなかったのかも?

「受験英語の神様」みたいな先生の講義もあったんだけど、これがヒドくつまらなくて・・・。どこが神様やねん!

まあ、一応、この先生の参考書が結構定番だったので、先生の人柄を思い出しながら、一読だけしたけど、これが、なぜかはわからないが、なんか得るものがあったんだよなぁ・・・。

本当に一読しただけなんだけど、とても良かった。
頭の中が整理されたというか。
だから、一応神様だと認定しよう(笑)。

まあ、そんな感じで、第一学期は終わったのだった。

一応、若干、不服のある授業もあったにせよ、ボクの好奇心を満たすのには、十分以上だった。
なので第一学期間は、授業に出続けたのである。

2.相変わらず通ってたゲーセン

相変わらずゲーセンには通っていた。
それも、ほぼ毎日。
昼休みと予備校が終わった後に、それぞれ違うゲーセンに行っていた。

ボクは、かなりそのゲームが上手かったので、人垣がいつもできていた。
それが快感で快感で・・・。
それぞれ、30〜40分ぐらいだったかな?本当に、良い気分転換になったよー。

本当に鬼のようにクソ難しいゲームで、当時のシューティングゲームでは、ゲーセンの華だったよ・・・。

次々と繰り出される、ボクの見事な敵弾回避と、攻撃力。
さらには、復活力さえあって、途中で死んでも、ゲームオーバーにはならなかった。

途中で死んだら、今までパワーアップしていた分が帳消しになり、貧弱な攻撃力に戻るので、普通は一度死んだらゲームオーバー。
だから、ボクが死んだ時点で、見るのをやめちゃった人もいたなぁ・・・。

しかし、ボクは、そこから奇跡の復活をして、見事、ゲームクリアとなるわけなのだが・・・。
それが快感で、ゾクゾクしていた。

だから、ボクの奇跡の復活力を知っている、通な、お兄さん方は、ボクが死んでも、見続けてくれていたっけ・・・。

やはり、この快感だけは、なにものにも代え難かったので、やはり、ボクにとって、ゲームは、生活になくてはならないものだったのである。

でも忘れてはならない。
「どうしたら勉強しないで東大に受かるか」というゲームのほうが、ボクにとっての本当のゲームであったということを・・・。
ゲーセンに通い続けたのも、このゲームの一環だったのかもしれない。

3.「結局、地頭がいいから、東大に合格したんじゃないの?」に対する反論!

ここまで文章を読んでもらってきた知り合いに、「結局、地頭がいいから、東大に合格したんじゃないの?」と言われてしまったので、スッキリ、クッキリ、シッカリと、反論しておこう。

実は、ボクとしては、「本書の方法論に再現性がない」と言われるのが、1番イヤなんだよね。
だから、地頭の話をされるのは、「ウムムムムッ?」となる程、不本意なのだ。

本書で1番伝えたいことは、次の3点だ。

「マインドセットを変えよ!」〜勉強を勉強と思わないほど、気が向いたときにだけ勉強することで、勉強したとは思わないように勉強せよ。
だからこそ、「勉強しないで」東大に受かることが可能になるのだ。
このようにマインドセット(物事を捉える時の思考の癖)をちょっと変えるだけで、勉強しないで合格できるのだ。
イヤイヤながら勉強したら、記憶力も悪くなるというエビデンスもある。なので、このマインドセットはエビデンス的にも有効なのである。
あと、これもエビデンスがあるが、集中したあと、何もしないでボーッとしていたほうが、記憶が定着するし、アイデアも生まれやすい。ズーッとガリガリ勉強していては、かえって効率が落ちる、というわけである。

「戦略をじっくり考えよ!」〜確かに、気が向いたときだけだと、基本的に勉強量は減ることになる。
しかし、.そんなときは、「戦略」、すなわち、「自分に足りないものは、こうすれば埋められるのでは?」という、「仮説」を問い続ける時間を、たっぷりとればいい。(要するに「仮説思考」だ。)
そうすれば、その「仮説」を確かめてみようというモチベーションが生まれ、結果的には、苦しまずに勉強量を増やすことが可能になる。
たとえば、「この参考書を読めば、かなり成績がアップするのではないか?」と本屋で立ち読みして、ウンウン悩んでから、この仮説を持てば、買ったあとで、参考書を読むモチベーションがグーンとアップするよね?
それから、仮説は、適宜アップデートして欲しい。PDCAサイクル(注)を回すのだ。

(注)PDCAサイクル:PはPlan(計画)、DはDo(実行)、CはCheck(評価)、AはAction(改善)。まず計画を立てて(Plan)、実行し(Do)、それを評価し(Check)、改善する(Action)。この4つをグルグルと回すのだ。
たとえば、「この参考書を読み、成績を大幅にアップさせる」という計画を立てて、参考書を買って読み、実際に手応えがあったか評価し、イマイチだったら他の参考書に乗り換えて改善する、といった感じだ。

「覚えるのではなく理解せよ!」~なぜ?なに?と問い続けることで(「なぜなに思考」)、「要するにこうだよね?」と、自分自身や他人に言えるまでになること(「単純化」)を目指せ。
そうすれば、覚えないで「理解」できるのだ。
疑問を持ったら、腑に落ちるまで、とことん、調べる(先生にも、質問はどんどんすべきだ)。そして、要約するのである。この「なぜなに思考」と「単純化」は、「思考力」重視の試験(東大二次試験や共通テストなど)で、特に威力を発揮するだろう。
たとえば、単純暗記の代表格であると思われている、英単語の暗記も、「接頭辞」「接尾辞」を知ることで、理解に変わる。
実は、接頭辞「a」は否定だ。だから、apnea(無呼吸)は、「a(否定)+pnea(呼吸)」という構造になっている。
「接頭辞」「接尾辞」を押さえることで、英単語の暗記も理解に変わるのだ。

これら3つは、才能ではなく、後天的に得られるものなので、日頃の心がけで、訓練することができるし、常に訓練すれば、きっとできるようになる。

実は、東大二次試験や、共通テストのように、「知識量」ではなく「思考力」を問うタイプの試験問題は、この3つだけで必ずできるようになる。
というか、この3つはボク的には、必ず必要になる。

(これを読ませたら、さっきの方も、「再現性があるね!」と納得してくれた。)

実は、現在、この「思考力」重視の傾向は、「知識量」重視のセンター試験から「思考力」重視の共通テストにかわったことで、東大二次試験以外の大学の入試問題にも、だんだんと広がってきているのである。

今後の大学入試を制するには、心しておいてほしい。

ポイント27 ①「マインドセットを変えよ!」、②「戦略をじっくり考えよ!」、③「覚えるのではなく理解せよ!」の3点セットで「思考力」重視の試験を制覇せよ。

第六章 浪人時代の夏休み

1.夏期講習

浪人時代の夏期講習は、かなり幅広くとった。
駿台で受けた講師の中で、特に気に入った講師は全て受けた。
代ゼミは、地理の先生だけ。
河合塾は、普段行かないので、スター講師と言われている先生の講義だけ受けた。

記憶によく残っているのが、駿台の日本史の先生の夏期講習だ。
日本史の記述問題のテストをし、講師がそれを採点して解説する、という形式だった。

ボクは、自信たっぷりに、テストを出すのだが、思ったように評価されない。
「なんで評価してくれないねん!」と悔しくて、毎回気合いを入れて挑戦した。
なかなか評価されなかったけれども、徐々に評価が上がってきたので、確かな手応えは感じた。

ただ、日本史は、あまり地理ほど適性がなかったようで、そんなに爆発的に点数が出せる教科ではなかったのだが。
でも、個人的には、大好きな教科の一つではあった。
その先生の書いた参考書が、めちゃくちゃ面白かった、というのもある。

あと、もう1つ記憶に残っているのが、河合塾の現代文のスター講師の講義だった。
この講師の講義は、だいぶ、システマティックかつテクニカルに教える感じだった。
「これがキーワードで、これがキーワードで、このキーワードとこのキーワードがつながっていて」みたいに線を引いていくみたいな感じ。

実は現役時代も、そのスター講師の夏期講習を受けたんだけどさ。
受けた当時は、あんまりピンとこなかったのだが、今でもこうして講義風景がなんとなく思い出される、ということは、だいぶ相性のいい先生だったのかもしれない。

あと強いて言えば、駿台の古文の先生の講義が思い出される。
もう、第一学期の延長みたいな感じで、ボク的には、第一学期の総まとめみたいな講義だった。

古文は、これで東大レベルもほぼ完成、といった感じだった。あとは、独学でなんとかなりそうな手応えを感じた。

たくさん受けた割には、あまり夏期講習の記憶が残ってないんだけど、ボクは、第二学期から予備校に出ない方針を段々と固めていたから、予備校の講義の総まとめみたいな感じで、夏期講習を受けた。

総じて第一学期の延長だったから、あんまり記憶が残っていないのかもしれない。

2.東大模試

東大模試は、駿台のと、代ゼミのを受けた。
結果は、両方ともいわゆるA判定みたいな評価だった。
ボクは、「浪人になったら、あんなにも取れなかった東大文1のA判定が取れるものなのだな?!」と普通に受け取っちゃったけれども、当時は分析が足りなかったのだった。

その当時、確か、東大文1の合格点は、230点だと言われていたはずだ。
現役時代は、行って、200点ぐらいだったので、上手く行っても30点も足りなかったのだ。
そりゃあ、受かるはずもない。

ところが、今思えば、あまり記憶がないんだけど、これだけは覚えている。
駿台の東大模試の地理で、成績優秀者リストに名前が載ったことを・・・。

つまり、地理で、60点満点中50点前後(というか50点オーバー?)の点数を叩き出したということだ。

よく考えてみてほしい。ボクは、世界史では、一桁台の点数を量産していたのだ。
となると、世界史から地理のコンバート効果で、+40点以上も、総合点がアップしていたのだ。
そりゃあ、A判定は、取れるよね?

地理へのコンバートは賭けだったけど、結果的にはボクを東大に導いてくれた、グレートな「戦略」だったのだった。
「戦略」を考えることの重要性がわかる好例とも言える。

ポイント28 やはり、「戦略」を考えることは、時には「勉強」そのものよりも、志望校の合否を分ける。
だからこそ、授業をしない武田塾みたいな塾も成り立つのだろう。
ポイント29 お受験ものでは、時には博打も必要。この「仮説」で行こうと決めたら、思い切ってその「仮説」と「心中」することも、大事な時がある。
ボクの地理へのコンバートがまさに好例だ。

3.博打がうてない人へ

ポイント29では、博打をうって、自分の仮説と心中しろ、みたく書いたが、博打をうてない人は、無理にしなくてもいい。

やっぱり、落ちるのは怖いもんね。実際、博打なんかうたずに、大抵の人は、合格しているわけで。
ただ、ボク自身は、受験はゲームだと思っていたので、博打がうてたんだよなぁ。

地理へのコンバートだけでなく、ボクは、これから、いろんな博打をうつことになるのだけれど、まあ、真似しなくても合格するので安心してほしい。

ただ、博打がうてる人は、ぜひ、ボクのように、自分の仮説と心中してほしい。
特に、ボクは、自分の実力を、謙虚に受け止めていたから、「博打をうたないと、どうせ落ちる。ダメで元々!」という精神で、博打をうったのだ。

第七章 浪人時代の第二学期

1.ほぼ宅浪へ移行

(1)やっぱり宅浪じゃないと・・・

第二学期は、第一学期とは、心機一転、ほぼ宅浪状態へ移行した。
最終的に予備校に出続けたのは、代ゼミの地理の講義と、駿台のセンター化学対策の講義だけにしぼった。

なぜ、宅浪にしたのかというと、自分のやっている参考書や問題集をやりたかったことが1番大きい。
だって、予備校に時間取られると、自分の参考書や問題集をやれないじゃん。
だから、宅浪にしたのだ。

あと、第一学期に予備校に通い続けたおかげで、各教科の勉強のしかたは、だいたいわかった。
「これなら、もう自分でやれる」と思えた。

(2)ペースメーカーの問題

問題はペースメーカーだ。
現役生時代に、学校に出なくなって、ダラダラしちゃって失敗したのは、前にも書いた。

この問題は、当時、丁度いいペースメーカーになるものを見つけたので、ボクは解決したのだが、もうその手は今では使えなくなっているので、あえて書かない。

今の受験生は、どうすればいいんだろう・・・。

ボクなりに仮説を立ててみたが、スタサプなんてどうだろう?毎日、1コマ〜4コマくらい、スタサプを観て、ペースメーカーにするのだ。

それも、ベーシックレベルや、スタンダードレベルの簡単なやつでいい。
高度なやつは、自分の参考書や問題集でフォローできるからだ。
それに、単なるペースメーカーだから、あえて、全部やる必要もないだろう。

さて、この方法はどうなんだろうね?

なんで、簡単なやつでいいかというと、その動画自体が復習ないし基礎固めになるので、その動画自体を復習する時間をとらなくていいからだ。
これなら、毎日続けられるのではないか?まあ、ボク自身は、スタサプやったことがないので、よくわからないのがアレだけど、良さそうじゃない?

「ドラゴン桜2」でもスタサプ使ってるし、ボク自身はやったことないけれど、かなり内容いいらしいよね。
何度も書くが、単なるペースメーカーとして使うだけだから、ベーシックレベルやスタンダードレベルが復習がいらないのでいいし、また、全部やる必要もない。

今、ボクが受験生だったら、スタサプを使おうと思うだろう。

(3)結局自分で考えるしかない

まあ、「毎日、自習室に行く」とかでもいいのかもしれないんだけど、身支度を整えるのが、手間だ。
時間が惜しいので、自室にこもりたいボクなら、取らない選択だ。

なかなか難しいが、やはり、毎日のペースメーカーは大事だと思う。
アナタもアナタなりに、仮説を立てて実行して欲しい。

何度も言うようで悪いが、仮説を立てるには、だいぶ長い時間をとって、戦略を練ることが必要だ。
安易に、すぐに、直感で立てた、初めの仮説に、人は飛びつきがちだが、合否を分ける大変重要なところなので、ここはあえて、熟慮して戦略を練るべきだ。

戦略を練る上で大事なのは、「自分に足りないことは何かをじっくりと考えて、こうすれば埋められるんじゃないかと考えて、仮説を立てる」ことだ。

ここは、熟慮しよう。

ポイント30 毎日のペースメーカーを作れ。ペースメーカーは、自分で考えるしかない。スタサプの簡単な講座を受けるとかでもいいのかもしれないが・・・。

2.秋の東大模試でいきなり全国13位!!

(1)駿台の東大模試

さて、秋の東大模試はどうだったか?

結論から言ってしまうと、駿台の東大模試で、全国13位になってしまった!!

といっても、実力かと言われると、それは怪しい。
まあ、それなりに実力がついていないと、全国13位なんて取れるわけないんだけど、まあ、テキトーに解答したら、それがたまたま正答だったというだけだ。

試験運だけはボクは、自信を持って「ある」と断言できるのである。

ボクの母校の浪人生たちが、成績優秀者リストをみて、「おお、あいつ何位とってる、スゲーな」みたいに話している。
しかし、ボクの順位が上過ぎて、全く見落としてる。ボクが13位なのを発見したら、どれほど驚愕するだろうか、と思うと内心ニヤニヤしていた。

で、「なんだ!?あいつ13位じゃん!?」ってなる瞬間がついにやってくる。

いやー、快感だったね!!溜飲が下がった。
やればできる子なことを証明したわけね。
母校では、ズーッと劣等生だったから、どれほど、アイツらは驚愕したことだろう・・・。

実は、ボクの母校で、ボクの学年は、歴史的な数で、東大に受かることになるんだけど、それは、「もしかしたらオレのせい?」って今でも思っているんだよね。

ボクが突き抜けた成績を叩き出したものだから、みんなの意識改革があって、その結果、東大合格者が爆発的に増えたのかもしれないね。

覚えている限りでは、国語は全国6位だった。
おおー!!やはり、国語は、ボクを裏切らないのね。
あと、地理がランクインしていたのも覚えている。

まあ、全国13位だから、他にも科目別優秀者リストに、ランクインしている科目があったと思うが、どうも忘れてしまって思い出せない。

まあ、とりあえず、合格がぐっと近づいた瞬間だった。

(2)代ゼミの東大模試

・・・とまあ、駿台の東大模試では、超宇宙規模な成績を、取っちゃったんだけど、裏話をしておくと、一週間後に返ってきた、代ゼミの東大模試では、合格可能性が、たったの40%だった!!

結局、試験は水ものだし、駿台13位は単なる運だったと証明されたわけだ。
(まあ、代ゼミの東大模試があてにならないって可能性もあるけれども。)

だから、ボクは、全く、安心してなかった。本試験に受かると決まったわけではないのだ。
このとき、ボクは、本試験対策を本気で考え始めるのだった。

まあ、代ゼミの東大模試では、多少イレギュラーなこともあった。

試験当日、ボクは、あの開成高校の現役生に囲まれて座っていた。なんか、すこぶる居心地が悪い。
しかも、謎なことに、隣のその開成組のヤツが、試験開始後、5分間何もしないで、全科目、瞑想するのだ!気になってしょうがない(笑)
1分でも惜しいのに、なにやってんだ、キサマは!

というわけで、代ゼミでは、合格可能性40%でした!!(笑)

ポイント31 試験は水もの。何が起こって、何で自分のペースが乱されるかもわからないのである。

3.そのあと

(1)一次試験対策へ

まあ、この東大模試の時期を堺に、センター対策に勉強は移行することになる。

ポイント32 だいたい秋の東大模試が終わった頃くらいから、ボクは、一次試験対策に基本的に全フリした。
一次試験は侮れない。特に、共通テストになった今では、難易度が上がってる分、その負担は大きかろう。
というか、東大模試までに二次試験対策をひとまず終わらせる、と決めたほうが、二次試験対策に気合いが入るので、特に浪人生の場合は、これでいいかも?
それに対して、現役生の場合は、二次試験対策をこの時期までに終わらすのは難しかろう。

センター試験は、今度こそ、ホームランを打たねばならない。
東大二次試験をできる限り有利に運ぶためだ。

とにかく、浪人時代の第二学期は、自室に基本こもって、あの「奇跡の二週間」のときのように勉強しまくった。
でも、前にも書いたように、ボクは、それが勉強だとはつゆ程も思っていないんだけどね・・・。

とにかく、現役生のときダラダラしちゃった失敗は繰り返さなかった。

センター試験は、今の共通テストと違って、暗記重視・知識重視の試験だった。
ボクは丸暗記が苦手なので、まあ、適性がないわけだ。
だから、ひたすら、「集中学習を分散学習」していたなぁ。
結構地味な作業だったよ。

(2)化学の勉強

ところで、駿台のセンター化学対策の講義は、本当に良かった。

頭が整理されるというか。
出続けて正解だった。
あとは、自分の参考書や問題集をやった。

なぜ、化学を選んだのかというと、生物は暗記科目でしょ?物理は数学的な科目でしょ?
というわけで、中間的な化学を選択したわけだ。
暗記も計算も苦手なボクには、化学はうってつけの科目だったんだよなぁ・・・。

ポイント33 生物は暗記科目、物理は数学的な科目、化学は両者の中間だろう。この点を重視して選択科目を選ぶべきだ。しかし、今の東大受験生にとって、理科基礎2科目というのは、めちゃくちゃ負担が大きいな。
(ボクの頃は、理科1科目だったから。)

というわけで、大変充実した日々を送りましたとさ。

4.駿台で表彰状とたてをもらった話

(1)駿台で100位以内?!

実は、駿台では、駿台の全国模試の成績で、一位から順に、順位がつくシステムだった。
席順もクラス分けも、この順位で決まった。

基本的に、授業にちゃんと出ていれば、全国模試の成績も上がるように、模試の問題も作られてるみたいだった。

だって、そりゃあ、駿台で授業に真面目に出た人が成績上がったほうが、予備校側としても、狙い通りなので、そういうふうにボクは解釈していた。

実際、宅浪に移行した第二学期が終わって、第三学期が始まるときに、また順位が決まるのだが、ぼくは、200位台後半で、ギリギリ1番トップのクラスに入れる順位まで落ちていた。

実は100位に入ったときに、100人だけ特別に招集されて、表彰式が行われた。確か、表彰状とたてがもらえた。

実は、表彰状のほうは記憶に自信がない。
たてのほうは、ものすごく立派だったのでしっかり覚えている。
クソ重かったし、スゴく豪華で金がかかった感じだった。

あとは、学費のディスカウントもプレゼントされた記憶がおぼろげながらある。
特に1位とか取ると、全額免除だったように記憶している。
学費については本当に記憶がおぼろげで、自信がないが・・・。

ボクは、90位台だったので、本当にギリギリだった。
ボクの傾向なのだが、定期テスト系よりも、実力テスト系のほうが、点数取れる感じだった。それなのに、90位台だったとはいえ、100人に入ったのは超自然的に異例なことのように思える。

(2)女の子に一目惚れ

実は隣の隣、即ち、ボクよりも順位が2つ上の席に座った女の子に、一目惚れした。
向こうも気がある感じだった。
でもボクは、物心ついたときから、男子校だったので、女性は、全く扱いがわからなかった。だから、結局声もかけられずに終わった。

東大合格後、二年生の頃に、ボクのサークルにその娘が入ってきた。
ボクは一応、サークルの責任者的な立場にいたので、彼女はボク狙いで入ってきた可能性がある。
ボクは、彼女と仲良くなりたいという思いで、彼女に対していたのだが、サークルの友人に、サークルを女と付き合う道具にするのはいかがなものか、と提言されてしまう。

要するに責任者としてどーなの?ってことだ。

皆んなの手前、結局彼女とは、あまり親密になれなかった。
そして、いきなり学校で会わなくなったなぁと思ったときには、時既に遅く、彼女は、東大から姿を消した。

風のうわさでは、医学部の大学を受験して、合格したので、そっちに行ってしまったらしかった。
まあ、スゴい根性だなぁとは思うが・・・。
だから、彼女とは二度と会えなくなってしまった。

青春時代のほろ苦い経験である。

ポイント34 受験時代に恋愛をするかは、賛否両論あるだろうけれど、ボクはやってもいいと思う。ボクは男子校だったので、この頃は、女性の扱いもわからなかったので恋愛は無理だったが、旧制度司法試験受験生の頃は、合格するまでのほぼ2年間、ずっと彼女と付き合っていた。

第八章 浪人時代の冬休み

1.実は、記憶がかなり無くなっている、浪人時代の冬休み

その後、浪人時代の冬休みになるのだが、そのときの記憶がほぼ無くなっている。
何をしていたかといえば、たぶん、ほぼ、センター試験対策一色だったとは思うんだけど、どうにも思い出せない。

クリスマスや、年末年始も、何をやっていたか、全く記憶がない。

記憶の空白状態・・・、そんな感じだ。

2.たぶんこの頃だろう・・・

というわけで、記憶がないんだけど、たぶんこの頃だろう・・・、東大二次試験に臨むにあたって、戦略というか、仮説というか、また博打を打つことに決めたのだった。
というか、この段階では、アイデアだけだったと思うんだけど。

数学の解き方の仮説である。

で、その話をする前提として、まずは「学コン」の話をしなければならないだろう。
ちょっと話が脱線するけど、ごめんね。

実は、ボクは、「大学への数学」という月刊誌を購読していた。
その雑誌の解法が、当時は、ずば抜けて美しかったので、問題は解かずに、ただ、たまーに、解答を見て、解法の美しさを楽しむだけ、という、かなりもったいない利用の仕方を高3まではしていた。
目の保養にはなったんだけど、それで満足しちゃっていた。

(当時は本当に、解答の美しさが圧倒的だったんだけど、今は、この雑誌が、そこまでの優位性を保っているかはわからない。現在の「大学への数学」も見たが、数学をすっかり忘れているため、判断がつかなかった。)

しかし、浪人が決まったときに、決意するのである。
巻末の学力コンテスト(通称、学コン)というのに、一年間トライすると。
当時、一年分の学コンの添削された答案は、かなり効果のある、「お守り」として有名だったこともある。

当時の学コンは、今の学コンとは異なり、詳しくは忘れてしまったが、まあ、せいぜい1〜2問程度だった。

当時の学コンの問題は凄まじく難しい問題だった。
当時、理1に一浪して受かった方に、家庭教師をしてもらっていたが、彼にも全然手に負えないレベルだった。

ボクはこうやったら解けるのではないか?ああやったら解けるのではないか?などと、仮説を家庭教師に聞いてみたのだが、彼もさっぱりわからなくて、困ったような表情をしていた。 

そして、ボクは、わからないなりに、1番良さそうな仮説に従って、解答を書き上げて、添削に出した。
まあ、当然のことながら、あまり良い評価はもらえずじまいだった。

でも、ボクはそれで満足だった。クソ難しい問題でも、部分点をもぎ取ったのだから。

・・・というわけで、どんなに難しい問題でも、一通り答えを最後まで作って、部分点をとるという、素晴らしいスキルをゲットできたのだった。

3.仮説を立てて、それと心中する博打をする

(1)東大本試験の採点方法に対する仮説

話を戻そう。

実は、ある予備校講師が、話していた噂なのだが、東大二次試験の数学では、計算ミスをしても、採点者が、ミスした数字で、最後まで合っているかを計算してくれる、というものだった。

「そこまでするんかいな?!」とは思ったものの、もし本当なら、計算ミスをしても、それほど痛手ではないことになる。
あと、東大二次試験の数学では、ロジックを書かないと0点だという噂もあった。

だから、ボクは、「東大では、計算よりロジック重視だ」という確信から、「東大二次試験の数学は、検算をしないで、日本語の文章でロジックを書きまくり、全部の問題を一応解いて、部分点を最高に取るのがいいのではないか?」という仮説を立てて、その仮説と心中するという博打をうつ、という方針を固めた。

※東大のアドミッション・ポリシーの「高等学校段階までの学習で身につけてほしいこと」の【数学】のところに、
「数学的に問題を解くことは、単に数式を用い、計算をして解答にたどり着くことではありません。どのような考え方に沿って問題を解決したかを、数学的に正しい表現を用いて論理的に説明することです。」とある。
ボクの、日本語の文章だらけの答案が「数学的に正しい表現」だったかはわからない。しかし、当時受かったんだから、当時は少なくとも、「数学的に正しい表現」だったのだろう。今も通用するかはわからないが、ボクのマネをするという「大バクチ」を打てる度胸のある人は、ぜひ、やってみてほしい。ボク個人としては、今でも通用するような気がするんだ。
(注:もちろん、最低限の数式を書くことは当然である。そうじゃないと、数学の答案にならないよね?)

実は、東大模試のほうでは、ロジックを書かなくても、計算だけ合っていて、答えがあっていれば、満点が来るという感じだった。

だから、検算しなきゃいけなかったし、計算ミスすると、0点になるのである。
実際、僕も、東大模試の数学では、検算しまくっていた。13位を取った時もそうしていたのである。

それなのに、東大模試のほうでは、たぶん計算ミスによって0点になるであろう方法を、本番ではとることになるので、かなり勇気のいる決断だったと言える。

でも、問題の全てを一応解いて部分点をとるスキルは、さっき書いた、学コンでゲットしていたので、検算をせずにひたすら日本語でロジックを書きまくるという荒業に出ようと心に決めたのである。

検算してたら、例えば全問解答なんて無理だよね?だから、検算をしないで、ガーっと解いてしまうことにしたのだ。

ちなみに、東大二次試験の数学では、絶対に解けない問題が必ず出るから、そういう問題を見つけて、それには全く手を付けないというのが、良い方法だとされている。
ボクの方法は、それに楯突く方針だったわけだ。

(2)先取りして言ってしまえば・・・

まあ、先取りして言ってしまえば、現役時代の二次試験では、どうしても解けない問題に時間をかけた苦い経験があったのだが、なんか、その年が難しかった反動からか、ボクの一浪時の数学は、ちょっと難易度が下がっていたので、問題全部ざっとみたときに、「これなら、全問解答できる!」と確信したから、一応、全問全て、最後まで解いた。

もちろん、検算している余裕はない。
ボクの計算能力は幼稚園レベルだったので、たぶん、計算ミスを連発しているはず。
それなのに、検算しなかった。
東大模試だったら、確実に数学は0点になりかねない戦略だった。

そして、日本語のロジックで埋め尽くされている、文字ばかりの、およそ数学の問題集の模範解答とは、全く違う答案をかいた。
それによって、部分点を取りまくる戦略だったのである。

まさに、ボクの基本戦略である、「全ての科目を国語で解く」にも合致している戦略なのであった。

実は本番のときに、英語が全くダメな手応えで、落ちたと思った。
なのに、受かっていた。

これはどういうことかといえば、他の3教科で、ホームランを叩き出してていたからではなかろうか?
つまり、数学も、ロジックを重視したため、しかも全問解いたため、部分点を、かなりしっかりと、稼いだんじゃないか?と今でも思っている。

当時は、得点開示の制度がなかったので、推測にすぎないけれどもね。

まあ、冬休みの間は、ここまでハッキリと戦略を固めてはいなかったように思うんだけれども、まあ、アイデアみたいなものは、既にこの時期に出来上がったように思う。

本当に完全にこの戦略に賭ける決断をしたのは、二次試験直前期だったはずではあるのだが・・・。

ポイント35 この数学の方法論は、あくまでも、ボクの頃通用したものだから、今通用するとは、限らない。しかし、計算力よりもロジック重視というのは、今も変わっていない可能性はあるかもしれない。数学で部分点が結構来るのは、今の受験生の声からも明らかだからだ。

※さっきと同じことを書く。東大のアドミッション・ポリシーの「高等学校段階までの学習で身につけてほしいこと」の【数学】のところに、
「数学的に問題を解くことは、単に数式を用い、計算をして解答にたどり着くことではありません。どのような考え方に沿って問題を解決したかを、数学的に正しい表現を用いて論理的に説明することです。」とある。
ボクの、日本語の文章だらけの答案が「数学的に正しい表現」だったかはわからない。しかし、当時受かったんだから、当時は少なくとも、「数学的に正しい表現」だったのだろう。今も通用するかはわからないが、ボクのマネをするという「大バクチ」を打てる度胸のある人は、ぜひ、やってみてほしい。ボク個人としては、今でも通用するような気がするんだ。
(注:もちろん、最低限の数式を書くことは当然である。そうじゃないと、数学の答案にならないよね?)

第九章 浪人受験時(センター試験)

1.受験前

さて、とうとう、本試験の季節が始まった。

このときのセンター試験の会場は、東工大大岡山キャンパスだった。
例によって、下見もした。
なんか、昨年の東大とちがって、落ち着いて試験をうけれそうな、そんな雰囲気がただよっていた。

さすがに、一浪となると、現役生の頃とは、格段に実力が上がっていた。
模試の成績も上々。
今度こそ、東大二次試験で、合格を後押しするようなホームランを狙う必要があった。

実は、この受験時には、試験前に、ユンケル黄帝液を飲むことにした。
この時以後、この手の栄養ドリンクを飲む、という習慣が、各種資格試験まで、続くことになる。

まあ、栄養ドリンクの効果を求めてというのもあるけれど、むしろ試験前のゲン担ぎみたいなものだったが。

ポイント36 試験前に、栄養ドリンク系を飲むのは、賛否両論あるだろうけれど、ボクは、ゲン担ぎになるので、いいと思ってやっていた。

というわけで、昨年よりも、ずっと、万全の体制で、センター試験に立ち向かうことになる。

あと、1歳年下の妹も受験するので、彼女には1課目も負けられない、というプライドがあった。
全ての科目で、妹に勝つ!それも目標になっていた。

2.受験本番

受験当日、ボクは、大岡山キャンパスに向かった。
教室に入った。

昨年は東大だったので、テンションが上がり過ぎたが、なんか、あんまりパッとしない普通の教室だったし、ボクの志望校の東大じゃなかったから、落ち着いて、試験に臨める、そんな気がした。

さて、試験が始まった。

特に難問というほどの問題は、もう無かった。
ただ、例えば、現代文の配点のでかい、読解問題は、最後の2つまでは、選択肢が絞れたが、そのあとは、何回か、課題文を読んで、直感で、1つ選んだ。

英語の文法や、長文読解問題もそんな感じ。
確率50%の博打、みたいなものだった。
これは、一浪時でも変わらなかった。

どこまで、博打が好きなんや?お前は!と言われてもしょうがなかった。
それは否定しない。ボクにとっては、受験はあくまでも、ゲームだったのだ。
楽しまなきゃ意味ないでしょ?
ゲームなんだからさ。

ポイント37 たとえば、80点完全解答して、残り20点分は選択肢を2つに絞れれば、20点分は正答確率50%になるから、例えば、コイン投げで裏か表かで答えを決めても、だいたい90点になるという予測が立つ。ボクの場合、試験運が結構いいから、こういう場合、90点以上になることが多かった。

まあ、ある程度の手応えは感じて、大岡山キャンパスを後にしたのだった。

3.受験後

さて、受験後、自己採点のときがやってきた。

ボクは、妹とともに、自己採点を行った。思ったより取れてない。焦った。

英語なんかは、配点のでかめな長文読解は、ボクは全問正解、妹が一問間違える。ボクは、妹に勝ったと思った・・・、けれども、英文法は、なんと惨敗だったのだ。

ボクは、確か、6〜7割?くらいしか取れなかったはずなのに、妹は、なんと、全問正解!
結果、総合点で、英語は、妹に負けることになる。ボクにとっては、大きな屈辱だった。

彼女のほうが、高度な英文法問題集を使っていたことが原因である。

ボクは妹がその問題集をやっているのをみて、あんなクソ難しいのやって、時間が取られて、他にしわ寄せが来るんじゃないか?と思っていたが、やはり難しい問題集の真の力をまざまざと知った瞬間だった。

まさか、全問正解するとは本当に思わなかった・・・、トホホ。

ポイント38 英文法はたしかに大事ではある。
ただ、東大二次の今の英文法問題は、ネイティブの外国人でも、解答が困難な、コスパの悪い問題でもある。
ボクの妹みたいに、高度な英文法問題集までやる暇があったら、やはり、今はリスニングなど、他のコスパのいい分野を攻めるべきではなかろうか?

というわけで、あまり思ったより取れてない・・・。ボクは焦りまくった!
このままでは、東大二次試験で有利な立場をとれない点数である。
当時の東大二次後期試験も、このままでは、足切りされそうな雰囲気だった。

ボクはもうダメかと思った・・・。

・・・

しかし、奇跡が起きたんだよ!

なんと、国語で、200点満点中、193点(だったっけ?)を叩き出したのだ!!

ボクは、本当に、狂喜した!!

「起死回生!起死回生!!」と、何度もおたけびをあげながら、家中を興奮して、歩き回った!
結局、やっぱり国語はボクを裏切らないのだ!

ポイント39 ここでも、明暗を分けたのは、最後の二択まで絞るという丁半博打のロジックである。
本来の確率である、正答確率50%のままの点数だったら、こんなに高得点にはならなかったはずだ。
ボクの試験運が、現代文長文読解問題の1問のミスだけで、済ましてしまったのである・・・。

結果として、圧倒的な点数を叩き出して、センター試験は終わることになる。

いやー、一時は焦ったけど、国語に救われた・・・。本当に、裏切らないな、国語は。

とにかく、スゴくいい気分で、その日は、気持ちのいい赤ん坊のような、眠りにつくことになるのであった・・・。

第十章 浪人受験時(私大受験時)

1.大数ゼミ

この一次試験が終わった頃か、冬休みの頃か、それとも、私大受験が終わった頃か、は忘れてしまったが、ボクは、大数ゼミというものに行った。

大数というのは、雑誌「大学への数学」の大数だ。
今は、予備校みたいに、大数ゼミを展開しているが、ボクの頃は、短期間、試験的に大数のスタッフが、受験生に生の授業で教えるというものだった。

とにかく、あの当時、飛び抜けて美しい解法を載せていた、大数のスタッフが、生で教えるというので、たぶん、当時としては、最高のクオリティの授業をしてくれるだろうと期待して、ボクは、大数ゼミに行くことに決めたのである。

大数ゼミの講師は、本当に誰よりも数学を愛している、みたいな人達で、そういうマインドを自分にインストールできたのが、最高の成果だと思っている。
とにかく、美しい答案が、美しい説明とともに、板書されていく。本当に、興奮した。

とても高度なので、全部を理解できたわけではなかった。
しかし、講師の数学への愛がものすごく伝わってきた。
ボクは、数学って、こんなにも面白いものだったのか!と、ビックリしたのだった。

この大数ゼミで、本当に、数学に開眼できたと思っている。
いやー、本当に、良かった。

今の大数ゼミは、予備校みたいになっているので、いいかどうかはわからない。
しかし、当時の大数ゼミは、ヤバいくらい、素晴らしかった。
講師の人も、金のために教える、みたいな感じではなかった。

今の大数ゼミは、金儲けのために、事業を展開しているかもしれないので、果たして、当時ほどの、エキサイティングな講義をしているかは、不明だ。
でも、個人的には、当時ほどの良さがあるかは、ちょっと疑問な感じがする。

この大数ゼミで、心から数学を好きになったボクは、こうして、一皮むけたのだった。

ポイント40 ボクも数学では、かなり苦労した。色んな問題集に手を出しては失敗し・・・、の連続だったのだ。そこで大いに悩んだ苦労があったからこそ、この大数ゼミでボクは救われたのである。

2.私大入試

(1)滑り止め校の受験

ボクは、私大は、早稲田大学の政経学部、慶応大学の経済・商学部、中央大学の法学部の4つだけ受けた。

これらの大学が、ボクにとっての滑り止めになっていたと聞いて、驚く人もいるかもしれない。
どこも、ハイレベルな大学の学部だからだ。

しかし、当時の私学のレベルなんて、最近と比べると、まだまだ低かったはずだ。
でもまあ、受験生が今よりも多かった時代なので、競争率は高かったはずだし、そこまで難易度が低かったかはわからない。

ボクがやった、私学対策については、過去問集(赤本を買ったか、青本を買ったかは忘れたが)を買って、数年分見る、みたいな、その程度の対策しかしなかった。

相変わらず、早大政経はムズすぎたし、受かるわけがなかったが、早稲田ほどのマンモス大学の受験を体験すること自体は、意味があるよなぁと、とりあえず、受けた。

慶応の経済は、わからない問題が結構あった。これは、苦戦するな、と思った。
慶応の商と中央の法は、問題が全部、解けそうなレベルなことが確認できた。
落ち着いて試験に臨めば、この2つには受かるんじゃないかなと思った。

慶応の経済は、確か、商学部よりも、早い時期に試験があった。
だいぶ、問題もわからなかったので、これは、運次第だな、と思った。

結局落ちることになるのだが、合格した友達から電話が来て、いきなり、「おめでとう」と言われてさ。

まあ、ボクの成績からは、受かっても当然だよね、と思ってくれてたらしいんだけど、まあ、それはそうなんだけど、やはり、東大プロパー(プロパー:その分野に固有なこと)の勉強法では、受からなかった。早大政経も、受かるわけがない。

ただ、慶応の商学部と中央の法学部の問題は、東大プロパーの勉強をしてきたボクでも、問題が解けた。手応えはあったが、やはり受かっていた。

だから、東大プロパーの勉強でも受かる私大もあるということだ。今はどうかは良くわからないけれども。

ポイント41 滑り止めをどの程度のレベルで決めるかというのは、難しい問題である。
一応、赤本か青本をみて分析して、自分にとって滑り止めになるかもしれない私立大学を受験すべきだ。
この際、偏差値ではなく、過去問が解けるかで、判断したほうがいい。

(2)入学金をどちらに払うか?

で、慶応の商学部と中央の法学部、どちらに入学金を払うか、選択することになる。

ボクは、弁護士志望だったから、本当は、中大の法学部に入りたかった。

でも、父が、「慶応は慶応だし、中央は中央なんだよね、学部じゃないんだ。だから、ランクの高い慶応を選ぶべきだ」と、主張したので、しょうがないから、父の言うとおりに、慶応の商学部に入学金を払った。

だから、東大に受からなかったら、慶応の商学部に行くことになるはずだった。
ボクとしては、それはイヤだ、と思った。
だからこそ、東大二次試験に向けて頑張ろうという心境になった。

ボクとしては、商学部はイヤなので、東大に受かるか落ちるかの、オールオアナッシングみたいな、思考になっていた。

俄然、気合が入ったのだった。

ポイント42 ボクの父の話にも、一理ある。大学は学部や偏差値ではなく、大学の「格」が大事なのだ。特に就活まで考えるとそうなってくる。
もちろん、自分の入りたい大学がどうしてもあるのなら、そちらを優先したほうが、いいのかもしれないけれども。
でもさ、受験生の段階で、そこの大学がどんな大学かなんて、わかるわけがない。
自分の将来についても未確定だ。
ならば、やはり大学のランクで選ぶというのは合理的かもしれない。

第十一章 浪人受験時(東大文1二次試験)

1.当日

東大の二次試験。とうとうこの日がやってきた。

一次試験(センター試験)では、国語のおかげで、高得点を叩き出したので、本番では、ざっくり言って、二次試験の受験生の平均点より、10点以上の優位性をボクは持っていた。

昨年の現役時とは、雲泥の差である。

何もかもが、現役時とは異なっていた。
精神力も、学力も、思考力も、戦略も、実績も。

東大プロパーな学習をしてきたおかげで、だいぶ楽勝な予感がしていた。
でも、試験は水もの。
何が起こるかわからない。
とりあえず、本試験の問題文を見るまでは安心できなかった。

会場は、いつもテレビで放映される、法学部の大教室だった。

ボクは、この2日のために、1本3000円もするドリンク剤を2本用意して、一日目と二日目の最初に飲んで気合を入れた。まさに天王山だ。

科目別に見ていこう

2.国語

1科目目は、国語だ。やはり、国語はボクを裏切らない。どの問題も、解ける!

総合的に言って、ホームラン答案を出したと思う。

現代文も、古文も、漢文も、どの問題も、面白いように解けた。

手応えはバッチリだ。

3.社会

2科目目は、社会だ。

まず、地理。

地理は、この一年で、非常に攻撃力のある科目に成長していた。
世界史からのコンバートは大成功だった。

論述も、自分でも、ほれぼれするほど、上手く書けた。たぶんホームラン打てたと思う。

次は、日本史。

日本史では、試験運が炸裂した。
母校の日本史の先生が、授業で余談で話していたことが、そのまま出題されたのだ。

すでに知っていることだから、そりゃ、ホームラン打てるわな。

手応えはバッチリだ。

3.数学

試験は二日目に突入して、数学だ。

試験前に、会場に持ってきた、「大学への数学」の学コンの添削答案をざっと読み返して、自分を安心させた。

この「お守り」の効果は抜群だった。

試験開始後、試験問題にざっくり目を通したところ、全ての問題に解答できる手応えを感じた。

そして全ての問題を、解答まで書いた。

もちろん、先述した通りの方針でいった。検算しないで、日本語でロジックを書きまくって、途中点をとる方針だ。
ボクの数学の答案は、日本語で埋め尽くされていた。

こんな答案を書いたのは、たぶんボクだけだっただろう・・・。

しかし、たとえ数式が間違っていたとしても、ロジックは正しいはずだから、途中点はだいぶ稼げたはず。しかも全問解いているのだ。

全ての問題を国語で解く。その方針が最もいかんなく発揮されたのが数学だった。

だいぶ、手応えを感じた。

※前に書いたことと、同じことを書く。東大のアドミッション・ポリシーの「高等学校段階までの学習で身につけてほしいこと」の【数学】のところに、
「数学的に問題を解くことは、単に数式を用い、計算をして解答にたどり着くことではありません。どのような考え方に沿って問題を解決したかを、数学的に正しい表現を用いて論理的に説明することです。」とある。
ボクの、日本語の文章だらけの答案が「数学的に正しい表現」だったかはわからない。しかし、当時受かったんだから、当時は少なくとも、「数学的に正しい表現」だったのだろう。今も通用するかはわからないが、ボクのマネをするという「大バクチ」を打てる度胸のある人は、ぜひ、やってみてほしい。ボク個人としては、今でも通用するような気がするんだ。
(注:もちろん、最低限の数式を書くことは当然である。そうじゃないと、数学の答案にならないよね?)

4.英語

最後は英語だ。

英語は壊滅的だった。もともと、英語は、ボクの苦手科目だ。いつもボクの足をひっぱってきた。

それまでの三科目が上手く行ってた分、あまりのできなさに愕然とした。

全然わからん・・・。

一応、書けるだけの解答は書いたが、合っているか相当自信がなかった。

心理学で、ピーク・エンドの法則というのがある。人は、ピーク(1番もりあがったとき)と、エンド(最後)だけで印象を決めるという法則だ。

ボクの場合、英語がピークかつエンドだった。

英語のあまりのダメっぷりが、ボクの東大二次試験全体の印象を決めた。他の三科目が手応えを感じたのも、全然印象に残ってなかった。

ボクは、英語で、東大に落ちたと思ったのだった・・・。

精神的にだいぶ落ち込んで、帰路についたことを思い出す。本当に落ちたと思ったのだ。

こうして、他の三科目のことは印象に残らず、英語だけで落ちたと思った。
印象は、やはり、現役生のときと同じく、「惨敗」だった。

ああ、ボクは、慶応の商学部に行くのか?法学部じゃないのが嫌なんだけどな・・・。

・・・などと考えながら、打ちひしがれていた。
ボクの浪人時代は何だったんだろう・・・。

その後、合格発表まで、苦悩の日々が続くことになる。

ポイント43 本番は本当に、何が起こるかわからない。
今回のボクのように、1科目壊滅しても受かるほどの点数を、総合点で取れるようにしておく可能性(あえて「実力」とは言わない)を持たせておくのが大事なのだ。
なんで「実力」と言わなかったかというと、自分に答えられる問題が出るとは限らないし(出題における可能性・問題を出す側の可能性)、適当に答えても正答になる場合もあるからである(解答における可能性・問題を解答する側の可能性)。
要するに、ギリギリで受かるのを目指すのではなく、圧倒的に受かる可能性があるほどに、おのれ自身を鍛え上げよ。
まあ、理想論だけどね。

第十二章 合格発表前後

1.合格発表前のボク

合格発表前のボクは、受験生の友達とも話さずに、家にずっとこもっていた記憶がある。

落ちた、と思ったから、友達とは話したくなかった。

親にも、落ちたと伝え、兄弟にも落ちたと伝えたはずだ。
ただ、兄弟には、「もし受かっていたら、好きなこと一つだけ、やってあげる」と言って、合格への願かけをしていた記憶がある。

とにかく、ひたすら、家にこもっていた。

東大に受かるかは、運次第だと思っていた。
たぶん落ちているけれど、運が良ければ受かっている・・・。
結局は運頼みかよ。

ポイント44 まさに「人事尽くして天命を待つ」を地で行っていたボク。みんなも、そういう心境になれるまで、人事尽くしてね。
ここでは、「人事尽くす=勉強する」では、決してないことも付言しておく。
(ここまで読んできたアナタにとっては、もうわかっていることだろうけれども。)

そしてとうとう、合格発表の日がやってきた。

2.合格発表日

(1)ボクの運命の日

ボクは、本郷三丁目駅を出た。
赤門までの道のり。
赤門から入って、左へまがり、図書館の入口の広場のところで右に入る。
すると、合格発表の掲示板と人ごみが見えた。
例の「胴上げ」とかやってるのが見えた。

ボクは、自分の番号を確認しつつ、名前を探した。
当時は、合格者の名前も張り出されていた。
個人情報保護はあまり意識されてない時代だった。

昨年は、前の番号を見て、次の番号を見て、間に自分の名前がないことを、何度も何度も確認していた。
その時の記憶がよみがえってくる。

今年はどうだろう?
さすがに、惨敗の印象だったにせよ、昨年よりは合格している可能性は増していたので、昨年よりはドキドキした。

受験番号を順に見ていく・・・。

・・・
・・・
・・・

うお!?名前あるじゃん?!
うお!?名前あるじゃん?!
うお!?名前あるじゃん?!

・・・

呆然と立ち尽くすボク。
信じられない。
このボクが東大生だなんて!!

ボクは、髪もボサボサで、服もダサかった。
あまりに身なりがダメだったから、「あんな風にはなりたくはないわねえ・・・」と、発表を見に来た親族らしい人たちの陰口が聞こえる。

たしかにボクは、身なりはダメダメだった。
でも、「勝った」のだ。
ボクは勝者なのだ。
東大生なのだ。
だから、別に何言われたってかまわない。

ボクは受かったんだから!!

ポイント45 まさに「勝てば官軍」。勝てばいいのだ、勝てば。

合格者はこっちへという誘導に従って、安田講堂前庭まで移動し、そこから地下にもぐって、1食(第1食堂だったっけ?正式な名称は忘れた)の空間に入った。
ボクは、まだ1食のことを知らなかったから、安田講堂の前庭の地下に、こんな空間があることに、ちょっと驚く。

そして、そこで、ボクは「The University of Tokyo」(だったっけ?)とイチョウの紋章のはいった白地に青字の紙の手さげ袋を受け取る。そして地上へと戻った。

(2)家に電話したら・・・

ボクは合格者のしるしの手さげ袋を誇らしげにさげて、正門へのイチョウ並木をまっすぐに抜けて、正門を出て、公衆電話を探した。
まだボクは携帯電話を持っていなかったのだ。

真っ先に、家に電話をかけた。
そして、弟か妹か?が出たので、せっかく合格したのだから、このはれの日にせっかくだから、両親も発表会場に来ないか?と伝えた。

しかし、なんと、両親は、二人でテニスクラブに行っていた。
息子の運命の日に、なんちゅう態度じゃ!?

まあ、息子が落ちたと思ったから、テニスクラブにでも行って、現実逃避したかったんだろうなぁ、と今なら思えるけれど、受験時代中ずっと親父は、「お前が受かるはずがない」と言っていたしなぁ・・・。
(勉強している姿を極力親父には見せてなかった。勉強しろと言われた反動からだ。)

まあ、いかにボクが勉強しなかったかの、証左でもある。

こうして、ボクは、勉強しないで東大文1に合格したのであった。

(3)ボクが、東大受験を通して、成長して、得た、大切なものとは・・・

あと、ボクは、今回の東大受験を通して、成長して、生涯、失うことのない、大切なものを得た。それは・・・

「自己効力感」

・・・である。

これは、今後の人生において、かけがえのない資産になった。

今も、人生をめげずに、頑張れているのは、この時に得た、自己効力感によるところが大きい。

だから、ボクは、こういう機会をくれた、東大という母校に、本当に感謝しているし、東大という母校を、未だに愛しているのである・・・。

エピローグ

仲が良かった叔母さんが、興奮して電話してきて、「☓☓くんが、東大生になったなんて、信じられない!!」って言ってきた。
むふふー、そうでしょそうでしょ。
自分でもまだ信じられないんだもの。

弟と妹は、「好きなことを一つだけやってあげる。」と言っていたのは、兄貴の冗談だと思っていたらしく、何も頼んで来なかった。
正直、「無理なことを頼んできたらどうしよう?」と思っていたので助かった。

その頃、東大後期試験で足切りにあわなかった、という通知も来た。
ボクは、「そりゃー、あんだけセンター試験でホームラン打ったからなー」と悦にいった。
まあ、前期で受かっちゃったから、もはや、カンケーないけどさ。

ボクは、4月から、東大に行く。期待や夢でいっぱいだった。

そのときは、東大での生活が、そんなに甘いものだとは言えないことなど、知るよしもなく・・・。

すごい勉強法(2)に続く・・・。

おわりに

1.ゲームと思って楽しんで学べ!

最後まで読んでくださり、ありがとう!

勉強しないで東大に合格するというのは、「勉強を勉強と思わないぐらいに、気が向いたときだけ勉強するから、自分では勉強したとは思わない」というロジックで達成されるもの、というのが、この記事の言いたいことなのだ。

実際、ボクの大学受験時代は、高2最後の春休みに、「奇跡の二週間」を迎えて以降の勉強では、勉強したという実感を持っていない。

勉強せずに、「ただ単に、ゲームで遊んでいただけ」だったのだ。

合格発表の日は、「あー、超面白いゲームを遊びまくって、ラスボス(ゲームのラストに出てくる超強い敵ボスキャラ)を倒して、クリアしたなー!」くらいにしか思ってなかったのである。

「不謹慎な!」と思う人も、いるかもしれない。
しかし、そういう人に対して言いたい。

「なんで、難行苦行しなきゃいけないの?」と。

どうせ、やらなきゃいけないことならば、どのような心的態度をとってもいいわけで、楽しんで面白がりながらやったほうが、絶対にいいはずだ。

ポイント46 どうせやるなら、楽しくやろうぜ!!

2.上級レベルの本だけやるな!受験本オタクになれ!

あと、本文では、あまり強調が足りなかったけれども、東大とか、ハイレベル校を受験するからといって、小難しい高度な問題集ばかりを、ありがたがって、それだけやるというのは、ボクはあまりオススメしない。

上級だけでなく、中級や初級や入門の本、超入門の本にも、たまには戻ってまんべんなく学び、どうか基礎から上級に至るまでの、高層ビルを、1階の手抜きもなく、まんべんなく頑丈に建築してほしい。

上級レベルが解ける人ならば、中級、初級、入門、超入門の本は、もはや簡単なはず。
すぐに読み切れるはずだ。

ただし、どんな本でもいいものではなく、世間的に良いと言われている本を片っ端から本屋で立ち読みし、精査してほしい。
正直いって、自分に合わない中級以下の本をやるのは、時間の無駄だからだ。

ボクは、世間的にいいと言われている参考書や問題集を、たいてい本屋で立ち読みしてきた。
一日で必要な本か見極められない本は、何日も立ち読みしに本屋へ通った。

ボクは、本文中では、あまり強調してなかったけれど、受験生当時は、完全な「受験本オタク」だったのだ。

ポイント47 受験本オタクになれ。地方の人には難しいかもしれないけれど、本屋へ通って、立ち読みすべし。

3.スペシャル・サンクス

この記事を書いていくのと同時並行して、看護士やってる「Tさん」と、ボクと超仲のいい愛する「Iさん」に原稿を読んでもらい、色々とアドバイスして頂いた。
そして、東大受験生「Aさん」には、今の大学受験界の情報をもらって、情報のアップデートを大いに助けて頂いた。
これらのお三方には、本当に感謝しても感謝しきれない。この場を借りて本当にありがとう!

そして、最後まで読んでくれたアナタにも、この場を借りて、異次元レベルで、ありがとう!

みんながいたから、最後まで頑張れた。みんながいたから、この記事は完成した。

そして、みんなで、「勉強しないで」、大学受験や資格試験などを、制覇しよう!

ボクは、この本で、「なぜか誰も書いてない、独自の勉強法」を、みんなに伝えたかった。
全ては考え方次第なのだ。

・・・この世の生きとし生けるもの全てに、感謝しつつ。

2022年12月17日に自室にて。ポリドルフィン。

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