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以上の点についての、ラマナ・マハルシさんの考え方?!ラマナ・マハルシ「真我」

以上の点についての、ラマナ・マハルシさんの考え方?!ラマナ・マハルシ「真我」

(今回の記事は、割と難しいし、割と長いので、閲覧注意!!。ただ、哲学することに、アナタは、目覚めちゃうかも?)

覚者:ラマナ・マハルシさんは、次のように言っている。

(中略)真我を名前と形に限定したとき、それは幻想であり、すべてを真我と見なしたとき、それが実在なのです。アドヴァイタ哲学の信奉者は「世界は幻想だ」と言います。しかし、「すべてはブラフマンだ」とも言っています。つまり、世界をブラフマンと見なすことではなく、世界を実在と見なすことが非難されているのです。
 あなたは世界の中にいるのでしょうか、それともあなたの中に世界があるのでしょうか?(中略)

本書より

ボク:覚者さん、ボクは、混乱しちゃったんだけどさ(笑)。

覚者:どんなふうに混乱したんだい??(笑)

だってさ、世界は実在しない=幻想だ、と言いながら、ボクの中にある世界はブラフマンだ!ブラフマン=アートマン=真我だから、ボクの中にある世界をすべて真我としたとき、それは実在する・・・、みたいな話でしょー??もうわけがわかんねー。いち抜けたっ!!(笑)

抜けられちゃ困るんだよ(苦笑)。覚者たる、オレの存在意義がなくなっちゃうし・・・(涙;)。

うーん、涙には弱いから、抜けないでおこうと思うけれども、それにしても、ここら辺の教えは、非常にわかりにくいよー。抜けたくなるのも当然だよー(苦笑)。

でもさ、この、ラマナ・マハルシさんの言ってることで、なぜ、アドヴァイタの信奉者が、「世界は幻想だ」としつつ「すべてはブラフマンだ」と言っているのか、整理できるじゃないさー(笑)。

要するに、ボクは世界の中にいるのではなくて、ボクの中に世界がある、って話でしょ。そして、前者の場合世界は非実在、後者の場合世界は実在ってことになるって、話でしょー??(笑)。わけわかんねーよ(笑)。

そんなに混乱している割には、ちゃんと整理してるじゃん(笑)。たぶん、ラマナ・マハルシさんの論法で進めていけば、そうなるかもしれないよね?(笑)。

岡本さんの本でも、「世界は幻想だ」「すべてはブラフマンだ」みたいな話は書かれていたよね。

岡本さんの本でも、「世界は幻想だ」「すべてはブラフマンだ」みたいな話は書かれていたよね。

(中略)このように、シャンカラは現象世界そのものを幻想のように捉えて(中略)

岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」より

(中略)一方で、シャンカラが述べるように、純粋意識であるブラフマン、真我は実在であると考えることができます。

同書より

(中略)このように、ブラフマンが見る者と見られるものを統合した超越的な一者であるとき、それを最高ブラフマン(パラブラフマン)(中略)という語が用いられます。

同書より

本当だ。ちゃんと書かれているね。パラブラフマンって結局、「すべてはブラフマンである」と言ってるに等しい。しかも、真我は実在するとまで書いてある。じゃあさ、この世界ひっくるめて、「すべてはブラフマンである」=「すべては真我である」と捉えれば、そのときの世界は実在する、ということになるよね(割と真剣!)。

まあさ、そんなに真剣にならずに、肩の力を抜きなさいって(笑)。

いやー、なんか、真剣に考えちゃった(笑)。これが哲学することの醍醐味ってやつなんかなぁ・・・??(笑)

そうなんじゃなーい??(笑)

この世界ひっくるめて、すべて真我と捉えたとき、世界は実在する!?

この世界ひっくるめて、すべて真我=ブラフマンと捉えたとき、世界は実在する!?

うーん、舌足らずだけど、たぶん、割といい線行ってるんじゃないの??(笑)。

じゃあ、もうちょっと詳しく書くね。この世界は幻想で実在しないけれども、自分の中に世界があり、すべてが真我=ブラフマンの現れだ、と捉えたときには、この世界は、実在するんだよね??

たぶん、割といい線行ってるんじゃないのー??(笑)。

ハッキリ評価してよ。覚者さんなんだからさー!?(苦笑)。

だって、オレにもハッキリとは、わかんねーんだもの(苦笑)。

それでも、覚者なんかい(怒!)

まあ、怒らないでよ!(苦笑)。ラマナ・マハルシさんの論法を進めていけば、キミの考えているように、たぶんそうなるよね?。でも、ラマナ・マハルシさんも、慎重に言葉を選んで書いているので、本当にそれでいいのかもわからないし、そして、シャンカラさんが、どう理論づけするかまでは、正直、覚者のオレにも、想像するしかない話で、ハッキリとしたことは、言えんのよ(苦笑)

まあ、覚者さんでも、ハッキリしたことが言えないんだったら、どーしよーもないか・・・。自分の頭で、考えるしかないよね。

そうだよ。それが哲学する、ってことだもの(割と真剣!)。

そこで、割と真剣!が出るんだねー。哲学するって、そういうことだったんだなーと、改めて思わされたよ(笑)。

キミも、ひと皮むけたんじゃないの?(笑)。

からかわんでほしいわ!(苦笑)。

再度、岡本さんの本の登場!

実は、今まで黙ってたけれども、岡本さんの本でも、この点について、書かれている箇所があってね。それが以下だ。

(中略)このように、私はブラフマンであるという視点を持つとき、その人の世界との付き合い方は一変します。あなたが世界の中にいるのではなく、世界があなたのなかにあると理解するなら、世界は自分の意志によっていかようにも変容させることができるからです。

岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」より

これ、前の記事で、覚者さんがサラッと書いてたところじゃん。でもさ、ブラフマンって変化しないから、変化する現象世界とは関わりがない。だから、真我も現象世界とは関わりがないとも、言ってたよね?

うんうん、言ってた。岡本さんの本にも以下のように書いてあるよ。

(中略)そして、ブラフマンが変化しないなら、それは変化する現象世界の原因にはならない、つまり、ブラフマンと現象世界は関わらないとされるのです。

同書より

この2つの引用箇所は、矛盾してない?

そこで、キミの解釈が役に立つわけさ。キミは言っていた。この世界は幻想で実在しないけれども、自分の中に世界があり、すべてが真我=ブラフマンの現れだ、と捉えたときには、この世界は、実在するんだよね??ってね。

そっかー!?ボクの解釈を使えば、矛盾を回避できる!

まあ、一つの解釈として成り立つよね?ってことさ。「世界」は一見すると実在しそうだが、究極的には、幻想で実在しない。でも、真我=ブラフマンと悟ることで、新たな視点から「世界」が実在する。この認識の変化は、とても大事なところだとは思う。ただ、本当に正しいかは、覚者のオレでもわからないけれどもね。

なるほどー!(笑)。

ここら辺は、難しいよね。一見矛盾がある。もしアナタもこの問題について哲学したくなったら、下の2冊を読んでみない??(笑)。

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