昨今のノンデュアリティ(非二元)批判?!岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」
昨今のノンデュアリティ(非二元)批判?!岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」
とりあえず、この本、途中のムズイところの理解は、この際諦めて、Alexaアプリに読ませて、2倍速で聴いて、読了したの。
そんなんじゃ、ウパニシャッド哲学の非二元論、アドヴァイタ・ヴェーダーンタのことも、理解できてないでしょ。
うん。理解できてない。けれども、読了したんだ。
本書の最後ほうのネオ・アドヴァイタ批判。
でも、本書の最後のほうの、ネオ・アドヴァイタ批判が先に聴けて良かった。
ネオ・アドヴァイタってなんだっけ?
昨今のスピリチュアル界隈で話されている、ノンデュアリティ(非二元)のことだよ。
探求してはならないのなら盲信するしかない。
この本に書いてある、アイデアを元に、話を進めるね。
アイデアだったら、著作権法にふれないね。
たとえば、詐欺を考えてみよう。詐欺にあうのは何が原因だと思う?
それは、馬鹿だから??
まあ、馬鹿っていうのは、可哀想なので、「知識がなかった」と言い換えてみよう。では次に、カルトにハマってしまうのは、なぜかな?
やはり、「知識がなかった」から?
つまり、宗教的な「知識がなかった」なら、「これが真理です」、と言われると、盲信するしかなくなっちゃうよね。
要するに、知識がないと、盲信するしかなくなっちゃうよね、ってことでしょ?
そうなんだ。これは、今の、ネオ・アドヴァイタでも、同じことが言える。
ネオ・アドヴァイタ批判。
多くの、「非二元難民」が生まれる背景には、ネオ・アドヴァイタにある矛盾と、他の非二元論、たとえば、アドヴァイタ・ヴェーダーンタや、仏教の不二の概念に対して、「知識がなかった」ことが原因でない?
さっきの、詐欺やカルトの話を思い出すね。
例えば、大和田菜穂「すでに愛の中にある」では、幻想の「私」、即ち、二元の住民のことの特質の一つとして、「探求イコール「私」」と書いてある。
要するに、本当に悟った人は、探求しちゃいけない、ってことになるよね?なーんか、二元の住民も、探求はよくないんだー、ってなりそう。
でも、探求してはならないのなら盲信するしかない。「知識がなかった」なら、比較検討の仕様もないからね。
ボクは、ネオ・アドヴァイタが一概に悪いとは思ってないが・・・。
ボクは、ネオ・アドヴァイタを学んで、自分の悟りが正しいかを検算していたんだ。
うん。まあ、そういう感じだったよね。
お勉強していて、とても、気持ちがラクになった。だから、ボクは、ネオ・アドヴァイタが一概に悪いとは思ってないが・・・。
でも、やはり、検算のために、この本を読み直すんでしょ?
そうだね。ウパニシャッド哲学のアドヴァイタ・ヴェーダーンタにせよ、仏教の不二にしても、1000年以上学ばれてきた教えだから、一定の信頼性の担保はあるしね。
今のネオ・アドヴァイタは、1000年以上残るのかなぁ・・・??
誰にもわからないよね。
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